第148回 手書きとスマホ、神保町の「六法すし」、「地噺」の魅力、高橋治さんのこと、錦織圭選手のケガ、「いまむら」の鱧づくし

×月×日 慶應義塾大学のメディア・コミュニケーション研究所の特別講座「モバイル・コミュニケーション」の講師に招ばれたことは以前に書いた。
 300人を超える受講者にあらかじめ「コンビニ」という題で800字の「手書き」の作文を書いてもらった。
 かなり時間はかかったが、すべてを読み終わり、赤字を入れ、ようやく返却することが出来た。参考までに、「下書き」の有無を調べてもらったら、結果は次の通りだった。
◇ 原稿用紙に直接書いた: 58%(194人)
◇ 別の紙に下書きした: 9%(29人)
◇ 最初にパソコンで書いてから原稿用紙に書いた: 24%(80人)
◇ 最初にスマホで書いてから原稿用紙に書いた:10%(33人)
 原稿用紙に書く前に、あらかじめパソコンかスマホで下書きした人は、1/3で、意外に少なかった。就職試験の「作文」を想定すれば、「下書きなし」で練習しておく方がいい。パソコンを所有せず、スマホで「作文」を書く学生が少なからずいることには、驚かされる。

×月×日 神保町の「六法すし」。以前から気になっていたが、初めて暖簾をくぐる。初老の兄弟2人で、40年以上も続いている。やたらと最近のすし屋は高級化するが、気取らない活気の中に、握りずしの本道を守る矜持が伺える。
 夜は5時半からだが、6時には満席になった。東京勤務が長いアメリカ系ビジネスマン同士の姿があった。日本通の外国人が増えている。

×月×日 朝日名人会は、今回で150回目を迎えた。
 桂三木男「天狗裁き」、柳家花緑「蜘蛛駕籠(くもかご)」、春風亭一朝「中村仲蔵」、三遊亭圓楽「船徳」、桂文珍「御血脈(おけちみゃく)」。
 三木男は3代目桂三木助の孫だから、先代三木助の甥に当たる。11代金原亭馬生の弟子。三木男の名前は、祖父が二つ目時代に名乗っていた。まだ31歳。「血筋」の良さは、いずれこの先、どこかで「大化け」するだろう。
 一朝は、東京の千住生まれ。粋のいい江戸弁を喋る。歌舞伎に通じているので、「中村仲蔵」は迫力が違う。
 落語のカテゴリーの一つに「地噺(じばなし)」というのがある。例えば、「青菜」のように、お屋敷の旦那が出入りの植木屋へ向かって、「植木屋さん、お精が出ますね」と言うような登場人物の会話が定まっているわけではない。噺家のしゃべり(説明、ト書き)で進行していく。時事ネタのギャグやくすぐりなど、噺家の裁量で何を入れてもいい。
「源平盛衰記」や、善光寺の由来をテーマにした「御血脈」が代表的な「地噺」だ。落語には、宗教や信心に因む噺が多い。成立時の「説教僧」の存在と関係づける説がある。
 いずれにしても、「地噺」は誰にでもできるわけではなく、文珍や亡くなった三遊亭圓楽(先代)、立川談志、新作の春風亭小朝などの名前が達人として挙がるが、下手な人が演(や)ると、漫談になってしまう。文珍は、上方の大ネタ「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」の約束事というかハイライトの「閻魔大王(えんまだいおう)」の顔の「つくり」を桂米朝風に演じていた。

×月×日 作家の高橋治さん(「高」はいわゆるハシゴ高)が亡くなった。
 スタートは映画で、小津安二郎監督の「東京物語」の助監督を務めた。小津を描いた『絢爛たる影絵 小津安二郎』は直木賞の候補に挙げられた。受賞作は老漁師と巨大魚の「格闘」を描いた『秘伝』だったが、代表作は『風の盆恋歌』だろう。
 私が好きな作品は、軽い話だが伊豆の下田に実在する鰻屋を舞台にした『片意地へんくつ一本気 下田うなぎ屋風流噺』で、田舎町の鰻屋を巡る人間模様は、森繁久弥を主役にした「駅前シリーズ」に格好のテーマと思われる。
 海釣りの「こませ」は環境汚染につながる諸悪の根源、と嫌った。ご自身はかなりの愛煙家だが、酒は嗜まず、禁煙車が有るのだから「禁酒車」を設けろと主張していた。
 陶芸にも造詣が深く、女性の古物商をテーマにした短篇小説をお願いしたことがあった。

×月×日 テニスの錦織圭選手は、ドイツのゲリー・ウェバー・オープンで左足の筋膜炎のため、残念ながら棄権。ベスト4止まりだった。
 6月29日からの、全英選手権(ウインブルドン)に備えて、一日も早い回復を祈るや切。

×月×日 銀座の「いまむら」で、「鱧づくし」。鱧ずし、お椀(牡丹鱧)、落とし、すり流し、鱧皮の三杯酢、鱧ご飯など。旬の味覚を堪能した。
 酒は、石川県能見市の「農口(のぐち)」と新潟県南魚沼市の「鶴齢」の夏酒。(15・6・24)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。