第151回 最近築地事情、落語「臆病源平衛」、「オール讀物」通巻1,000号記念特大号、映画「ボヴァリー夫人とパン屋」、白鵬35回目の優勝

×月×日 銀座の板前割烹「いまむら」で、築地銀鱗会の福地享子さんと久しぶり。主の今村英太郎さんは、先日のテレビ朝日「食彩の王国」で茄子(ナス)の料理を紹介していた。福地さんから伺った最近の築地市場の話題を三つほど。
 相も変わらず、外国人の姿が目立つ築地だが、中国人のグループは、生海胆(ウニ)をひと箱(通称は弁当箱)買って、歩きながら食べているという。生ウニは塩気があるから、別に醤油が無くても食べられる。山葵(ワサビ)と海苔(のり)に醤油があればさらに美味しいけれども。
 落語の「居残り左平次」に、「おしたじが無くて刺し身が食えるか。猫じゃあるまいし」という独白がある。すると左平次が蕎麦の汁(つゆ)を小皿に分けて、気が利くところを見せる。落語から、智慧を借りたわけでないだろうが、場外の鮪(マグロ)屋では、マグロを刺身に造り、醤油と山葵を添えて売っているそうだ。サービス過剰というか、食堂ではないのだから、小売店の矜持(きょうじ)を忘れてもらいたくない。
 中国の購買力のお蔭で、生の帆立貝の値段が暴騰している。「干し貝柱」にして、中国へ輸出するらしい。海鼠(ナマコ)や鮑(アワビ)、鱶(フカ)のヒレと並んで、貝柱は江戸時代から「乾貨」と称して高価な中国向けの食品だった。干し貝柱はお土産にも好まれるようで、これも食べながら歩いている。
 地方都市の料理店やすし屋向けに、東京の築地市場から高級鮮魚を運搬する「運び屋」と呼ばれる商売が昔からある。逆に地方の港に揚がった特産の魚介を大都市に運ぶ人もいる。クールや冷凍など宅配便の改良と普及で、数は減ったが、現在でも重宝されている。
 最近は、この世界も国際的になって、「国際運び屋」が生まれた。スーツケースに保冷剤と高級鮮魚を詰めて、週に2、3回バンコクやシンガポールに運ぶらしい。日本人も多いし、好景気と日本食ブームが重なって、いい商売になるのだろう。
 「検疫」はどうなっているのか知らない。想像するに、申告せずに持ち込んでいるのかもしれない。また帰国する際には、何をスーツケースに入れて来るのだろう。

×月×日 毎年のことだが、今年も、コハダの「新子狂騒曲」も終わった。数年前にも、触れたことがあるが、新子の「下拵(ごしら)え」が全く分かっていない職人が多いようだ。
 先日もネット上で、「食べ歩き」界では、それと知られている人が六本木の某すし店の「新子の握り」を載せていた。ただすし飯の上に何層も重ねて乗せているだけ。軍艦巻きみたいなものだ。それで、「何枚付け」と自慢しているのだろう。
 コハダの「児童虐待」はそろそろ止めにしてもらいたいものだ。

×月×日 朝日名人会。柳亭こみち「植木のお化け」、桃月庵白酒「臆病源兵衛(おくびょうげんべい)」、入船亭扇辰「百川」、春風亭一之輔「鰻の幇間」、柳家喬太郎「牡丹燈籠―栗橋宿」。
 柳亭こみちは、初登場。柳亭燕路(えんじ)の弟子。夫は関西の漫才師、宮田昇さん。出産して高座に復帰した。歌って踊れて、古典がしっかりできる噺家を目指している。歌も声量がある。後に出た白酒が、「どうして柳亭は、みんな歌を歌いたがるのか」と一言。
 白酒の「臆病源平衛」は、あまり演じられない噺で、先代の金原亭馬生が得意とした。白酒の師匠、五街道雲助は馬生の弟子だから、その流れを汲んでいる。

×月×日 「オール讀物」8月号は、通巻1,000号記念特大号とかで、なんと762ページ。厚さを計ったら、3センチ7ミリもあった。「池波正太郎の手帖」を寄稿。同誌に「井上ひさしが考え続けた〝終戦の夏〟」を執筆している水口義朗さんから、お褒めの電話を頂戴する。

×月×日 映画「ボヴァリー夫人とパン屋」を観る。フランスの北部ノルマンディー地方で家業のパン屋を継いだマルタンは、パリで12年間出版社に勤めていた。愛読書は地元が舞台のフロベールの「ボヴァリー夫人」。
 偶然にも、向かいに引っ越してきたイギリス人の若い夫妻の名前はチャーリー・ボヴァリーとジェマ。マルタンは若妻ジェマの何気ない仕草に、「10年間眠っていた性欲」が目覚める。
 ジェマに「ボヴァリー夫人」のイメージを重ねたわけで、やることなすことすべてが気になってしょうがない。ジェマは小説のように、夫の目を盗んで美青年と情事を重ねる。そこで、マルタンは、意外な行動に出て、予想外の結末を迎えるのだが……。
 マルタンがジェマに、パン造りを教えるシーンがある。パン生地をこねるジェマの所作が実に官能的で、性欲と食欲が裏表に投影し合っている。
 
×月×日 大相撲名古屋場所は、白鵬が35回目の優勝を遂げた。確かに強い。
 しかし9日目の逸ノ城戦に見せた勝負後のアッパーの一発は何だったのか。
 表彰式の土俵下のインタビューで、NHK解説者の舞の海の名前こそ言わなかったが、「力が落ちた」発言(初日の宝富士戦)に、「寂しいことはいわず、暖かく声援して」と、注文を付けたのもいただけない。強いからこそ、批判的な意見も出るわけで、そんな声を気にしているようでは、王者の風格は備わってはこない。意外に神経質で、小心な面があるのかもしれない。(15・7・29)

◎次回更新は9月2日の予定です。
重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。