第159回 ペルーの料理人、池波正太郎の鍋料理、「フルーティー」なる流行語、映画「FOUJITA―フジタ」、菊池寛賞

×月×日 映画「料理人 ガストン・アクリオ」を渋谷のシアター・イメージ・フォーラムで。ペルーを代表する料理人、ガストン・アクリオは有名な政治家の息子だったが、フランスで料理を学び、ペルーでレストランを開業する。店は繁盛するが、ペルーの地でフランス料理を作ることに疑念を持つ。やがて、料理学校を創設し、料理を通して、世界にペルーの文化を発信するまでになった。
 世界のいたるところに素晴らしい料理人はいるが、国民的ヒーローになったのは、ガストンただ一人といわれている。彼の独白だが、休日に近くのスーパーマーケットへ買い物に行ったら、女性から話しかけられた。その時の態度を冷たく感じた女性は、外で泣いていた。彼は、「僕だって、パジャマでスーパーへ行くこともある」と言いつつも、ヒーローとしての立場を反省する。ペルーでのメディアの状況(今の言葉でいうとリテラシー)が、純朴なのだろうが、良い話だ。
 惹句(じゃっく)にある、「料理は、星の数より笑顔の数だ」という意味がよく理解できる。多くの「食に携わる人たち」に観てもらいたい。

×月×日 月刊雑誌「東京人」から、2月号の特集「鍋でほっこり」の「池波正太郎で読む男鍋の流儀」なる原稿を頼まれる。もちろん締め切りまでに脱稿したが、書くスピードが目に見えて遅くなったことに愕然とする。
 池波正太郎の鍋と言えば、『鬼平犯科帳』に出てくる「五鉄」の軍鶏鍋と、ごく少ない食材で作る「小鍋立(こなべだて)」だ。
 原稿を書くために、織田作之助の名作『夫婦善哉』の映画を観に行く。主演は森繁久弥と淡島千景、監督は豊田四郎。原作は長編小説のように思われがちだが、文庫本でわずか54ページの短篇だ。昨今の小説は、一般的に長すぎる。心象風景を書きこむためとか、理屈はいろいろとあるが、逆に言えば、話のテンポが遅く冗長でもあるのだ。

×月×日 朝日新聞夕刊の「梅干をたどって」という連載記事を読んでいたら、こんな表現が目についた。
「アンズだと知って食べるからか、軽くフルーティーな香りを感じる」
 アンズを梅のように漬ける青森の特産品の製造現場を訪ねたルポだ。果物を食べて、「フルーティーな香り」はないだろう。「この果物には果実味がある」と書いているようなものだ。
 筆者は女性で、「食」の専門編集委員らしいが、この人が書く文章からは、食べる喜びが伝わってこない。文章の技術のせいなのか、食べ物への感性のせいなのか。おそらく両方なのだろう。
 その昔、「ホワイトハウスのてっぺんに星条旗がはたはたとはためいていた」、と書いてきた同じ朝日新聞の女性特派員がいた。別に女性記者だけに恨みがあるわけではないけれども。
 ただ、「自分の文章の拙さ」に気が付いていないまま、「自分は文章がうまい」と思い込んでしまうタイプは、女性の方に多い気がする。文章の上達には、「自分の文章はうまい」と思い込むナルシシズムも必要ではある。しかし、「拙さに」気が付かないままに、「うまい」と思い込んでしまうのは、最悪だ。
 的確に文章を指導できる上司がいない上に、指摘すると、やれ「パワハラ」だとか「セクハラ」だとか言われるらしい。変な世の中になったものだ。

×月×日 映画「FOUJITA―フジタ」を有楽町の角川シネマで観る。監督・脚本は小栗康平、主演はオダギリジョー、中谷美紀。
 日本とフランスを故郷とする藤田嗣治は、戦争絵画に協力したと、敗戦後に糾弾され石もて追われるようにフランスへ渡り、二度と日本の地を踏まなかった。そのあたりの藤田の内面の苦悩についてはまったく触れられていない。

×月×日 菊池寛賞の受賞式。例年なら、ホテル・オークラだが、改築のためホテル・ニューオータニで。受賞者は半藤一利さん、吉永小百合さん、車いすテニスの国枝慎吾選手など。
 式の後は懇親パーティーを兼ねた文藝春秋の忘年会。文芸評論家の温水ゆかりさん、パリから一時帰国した食ジャーナリストの相原由美子さんと邂逅。パリのテロ騒ぎで、彼の国の観光客は激減し、東京行の飛行機の乗客は50人ほどだったという。(2015・12・9)

次回の更新は、12月22日の予定です。
重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。