第160回 池波正太郎没後25年、映画『青べか物語』、野坂昭如さんの死、新国立競技場

×月×日 池波正太郎さんの著作権などを管理している「オフィス池波」主催で、「没後25年の偲ぶ会」を兼ねた忘年会。早いものだ。私が初めて会ったのが、東京オリンピックの年だから、半世紀も前のことになる。まさに往時茫茫。
 安藤満さん(文藝春秋)と川野黎子さん(新潮社)の姿が見えなかったのは、寂しかったが、大村彦次郎さん(講談社)、鈴木琢二さん(文藝春秋)が長老格。漫画家のさいとうたかおさん、写真家の熊切圭介、但馬一憲(講談社)、田村邦男(新潮社)さんなど80人近い人が、故人を偲んで集まった。台東区の「池波記念文庫」などの関係者や上田市の「池波正太郎真田太平記館」からも懐かしい人たちが集まった。
 2016年のNHKの大河ドラマ「真田丸」の主人公が真田幸村になったこともあり、各社は意気込んでいる。新潮文庫では、『真田太平記読本』が刊行され、「池波さんとの二十五年」というタイトルで、私が30ページに及ぶロングインタビューを受けた。
 私が担当した『真田太平記』が、朝日新聞出版から、マンガになるとのこと。『鬼平犯科帳』などのテレビドラマ化は、大方底をついた感があり、アニメ化も企画されている。
 文庫本も、『鬼平犯科帳』を筆頭に売れ行きは好調で、これからも「池波人気」は続いていくことだろう。

×月×日 神田の「神保町シアター」で、映画「青べか物語」。もちろん、原作は山本周五郎の同名小説。脚本が新藤兼人で監督は川島雄三。原作者が、浦安(原作では「浦粕」)に住んでいたのは大正末から昭和4年までの20代の頃だ。制作は1962年だから、まだ当時の面影が残っている。
 1965(昭和40)年6月に江戸川を挟む浦安の対岸、東京の江東区南砂町一帯に「夢の島」と呼ばれるゴミ捨て場から大量のハエが発生したことがある。民家にまで大量のハエが入り込み、大騒動になった。東京オリンピックが終わり、「列島改造」時代が始まり、残土や家庭の生活ごみで、東京湾が見る間に埋め立てられていった。取材を命じられて、夢の島に「上陸」すると大都会の恥部が荒涼と続いていた。
 当時はまだ、可燃ごみと不燃ごみの分別も定かではなかった。ビニールの袋が破れ、地上を舞う姿は、地獄の鬼火を連想させた。 現在はゴルフ場となり、当時の埋め立て地のはるか沖に、鉄道が開通した。千葉県側の浦安の沖にも巨大なディズニーランドやディズニーシーが誕生し、周辺の光景は激変した。
 60年代の浦安の風景を観るだけでも価値がある。主演は、森繁久弥、東野栄治郎、加藤武、左幸子、乙羽信子、フランキー堺、池内淳子など。

×月×日 有楽町のマリオン朝日ホールで、朝日名人会。林家たけ平「金色夜叉」、柳亭市馬「高砂や」、柳家三三「魚屋本多」、柳家小せん「弥次郎」、五街道雲助「掛取萬歳」という演目。 林家たけ平は、28年3月、真打に昇進する。
 三三が、「魚屋が天秤にはんだい(飯台)を担ぎ……」と話していたが、ここは、やはり「ばんだい(盤台)」と言ってもらいたかった。

×月×日 野坂昭如さんが亡くなった。元講談社の大村彦次郎さんが、読売新聞(12月12日夕刊)に寄せた追悼文がいい。
「その頃の私はこの作家の天分に、編集者としての自分を賭けるつもりでいたから、いまから思えば、周囲への配慮も無視するようにして、一直線に走った。」
 星新一さんから、酒場で、「君は、野坂君を構いすぎる」と絡まれたこともあったという。編集者にとって、作家とは何か。
「話をしているうちに、なんとなく原稿を書かせたい気分になる相手、いや黙っていても原稿を注文したくなるような相手、それが作家の愛嬌であり、魅力である。」
 これほど、作家と編集者の関係を明快、的確に論究した言葉はない。大村さんも幸せなら、野坂さんも幸せだったに違いない。しかし、野坂さんが歌手活動や政治活動に興ずるにつれ、二人の間には「まともな話」が消えたという。
 私は、直木賞受賞(昭和42年下期)前だったと思うが、日本ダービーの観戦記を依頼したことがある。野坂さんの初めての小説『エロ事師たち』(三島由紀夫が激賞した)に因んで、「カケ事師たち」という見出しを使いたかったからだ。当時の「週刊朝日」は月曜日が締め切りで、火曜の午後には駅の売店に並んでいた。
 日曜日のダービーを府中の東京競馬場で一緒に観戦し、翌日の朝、400字7枚の原稿を練馬の自宅に取りに行く約束だった。ところが着いたら出かけた後。さあ、困った。当時は携帯電話なんてものは無かったから、四方八方伝手を頼りに探しまくって、ようやく受け取ったのは夜になってからだった。
 作家の村松友視さんが、中央公論の編集者時代に、高井戸の自宅へ原稿を取りに行ったら、門に取り付けられているインターホンの器具が取り外され、電線が2本むき出しになっていた、と書いている。
 原稿が遅い性癖は、なかなか治らない。井上ひさしさんのように、自ら「遅筆堂」と名乗る人もいるが、野坂さんも、決してひけを取らなかった。ご両所とも、締め切りのない世界で、何に興じているのだろう。

×月×日 新国立競技場の整備計画(A、B)の二案が発表され、A案に決まった。当初の報道では建築会社と設計者の名前が公表されていなかったからだろうが、新聞記事を読む限り、何とも曖昧な表現が目についた。すでにテレビやインターネットでは、実名が報道されていたのに。なぜ、2社しか提出されなかったのか、多くの人がいだく疑問にも答えていない。
 それにしても、森喜朗(五輪組織委員会会長)という人は、どうしてこんなにお粗末なのか。自分の立場が全く分かっていない。それぞれ「好み」があるのは分かっている。その「好み」をしかるべき立場の人が、公言すると、「権威」になって、影響力を発揮することが分かっていない。
 馳浩文科相が「そんなことを本当に言ったのか……」と驚いた反応は正しい。見直し以前のザハ・ハディド案を「生ガキみたいにどろっとして、嫌いだった」とか、今回のA案についても「モロッコかASEANのどこかの国の墓みたい」などと、好き勝手なことを言っている。
 何度も同じことを言うが、「民主主義」は、「分配」には偉大な効果を発揮するが、物を「創造」するためには、あまり機能しない。
 談論風発、百家争鳴、大いに結構だが、「言いっぱなし」では、まとまるものもまとまらなくなる可能性がある。「独裁」がいいといっているわけではないが、しかるべき「組織」に任せたら、それに従うしかないのだ。その「組織」が信用できるのが大前提ではあるのだけれども。
 流行の「諮問機関」なり「第三者委員会」が、「責任逃れ」のための「傀儡(かいらい)」か「飾り物」に成り下がっているケースが多すぎる。(2015・12・22)

◇今年も、ご愛読をいただき、厚くお礼を申し上げます。どうぞ、良いお年をお迎えください。
(次回更新は2016年1月20日の予定です)
重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。