第164回 薬効の計測、「悩ましい」の用法、柳家三三に芸術選奨新人賞、嵐山光三郎著『漂流怪人・きだみのる』

×月×日 持病の「不整脈」の治療(警戒)に用いていた薬が効きすぎていたらしく、「心拍数」が異常に低くなり(30~40)、ダウン。頭へ酸素が行かなかったようだ。
 なんと30年近く飲み続けていた薬を中止したところ好転し、ようやく平常に復した。もちろん、血液検査などでチェックはしているのだが、投薬はどうしても「従前通り」になってしまいがちだ。その間に人間の身体は年をとっていく。薬の効能が薄れる場合もあるだろうが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、効き過ぎて逆効果になることもある。
 医者から「加齢」といわれると、なんの反論もできないのが、癪のタネだ。「それを言っちゃあ、おしまいよ」なのだが、現実は現実だ。

×月×日 てな事情で、一回お休みしてまったが、前回の「使いたくない言葉」の続きを。
 「立ち位置」。おそらく芝居の世界からの用語だろうが、どうもしっくりこないので、使う気が起こらない。物事を明確に規定していくのが、言葉の役割だと思うが、かえって曖昧になるような言葉がもてはやされるようだ。古くは「目線(めせん)」なども、芝居から流行りだした。
「なにげに」。普通は、「なにげなく」と用いるが、一種の「簡略化」で、「なく」を「に」してしまった。元は「なにげない」という形容詞だ。使用され始めたのは1980年代だろう。井上ひさしさんから、「芝居関係者は、かなり以前から使っていますよ」と聞いたのが、80年代の末だったような記憶がある。今では「思いのほか」の意味で使われている。
 一度、私よりちょっと若い友人との会話で、あえて使ってみたことがある。「重金さんも、そんな言い方をするんですか」とすぐに反応したから、老人が使うと馴染まないし、違和感を与えるようだ。それほど言葉に敏感な人ではなかったが、使い慣れていない言葉は、使わない方がいい。きっとぎこちなかったのだろう。
 「悩ましい」。本来は、「性的な刺激を感覚に受けて、心が落ち着かない」様子をいう。「悩ましい香水の香り」などと使う。しかし、最近は「A案とB案のどちらを採るか、悩ましい選択だ」などと使う。
 しかし、この用例は、『源氏物語』にもあり、記載されている辞書もあるから、一概に「誤用」とは言い切れない。
 悩ましいと聞けば、石坂洋二郎の小説『青い山脈』を思い起こす人は、もうかなりの年配に限られるか。原節子が主演した映画で知っている人がいるかもしれない。
 戦後間もなくの地方の私立女子高校で、贋ラブレター事件が起こる。書いた女学生は、国語の成績が良くないらしく、「恋しい恋しい私の恋人」の「恋」を「変」と書き間違えて、「ヘンしいヘンしい私のヘン人」になっていた。さらに「悩」を「脳」と間違えたから、「ぼくの胸は貴女を想うノウましさでいっぱいです。ぼくはノウんでノウんで、ノウみ死ぬのではないかと……」と学校の理事会で国語の先生が読み上げる。
 ほかにも、気になる言葉には、「スイッチが入る」「粛々と」「さらなる高みにのぼる」「半端ない」など数多くあるが、また機会を改めたい。

×月×日 横浜にぎわい座で毎月恒例の柳家三三独演会「三三づくし」。
 昨年の12月は、「廿四孝」「花見小僧」「ハワイの雪」だった。3月は、「お血脈」「小政の生い立ち」「花見の仇討」。ネタおろしが必ず入る。勉強熱心だから、将来性が楽しみだ。
 と思っていたら、芸術選奨の文部科学大臣新人賞を貰うことになった。

×月×日 嵐山光三郎さんの『漂流怪人・きだみのる』(小学館)を面白く読んだ。きだみのるの本名は、山田吉彦。『ファーブル昆虫記』(岩波文庫)の共訳者として知られる。『気違い部落周游記』は、映画にもなった。
 著者は、晩年のきだみのると共に各地を取材して、『ニッポン気違い列島』を雑誌「太陽」に連載し、平凡社から刊行した。ミミちゃんという小さな女の子と一緒だった。
 50年以上も前の新入社員時代に、この二人が朝日新聞の出版局に現れたのを記憶している。まだ有楽町に社屋があったころだが、自由奔放に動き回るミミちゃんは、職場の雰囲気に似合わなかった。
 いぶかる私の表情をみて、先輩が「あの人は、『ファーブル昆虫記』のきだみのるさん。少女は親戚の子ということになっているけれども、自分の娘らしい」と教えてくれた。小学校にも通わせず、一人で育てているという話だった。
 それから十数年経って、ミミちゃんの消息が意外なところからもたらされた。三好京三の『子育てごっこ』が直木賞を受賞し、そのモデルがきだみのるとミミちゃんだった。
 嵐山さんは、「放浪作家の虚像をはいだ形で、老残の身をさらす流れ者が、無頼派を自称する教員作家によってさらし者にされたのは無念の思いに堪えない」と文芸雑誌に寄稿し、きだみのるを擁護した。
 やがて、ミミちゃんの「復讐」によって、三好京三の評価は地に落ち、直木賞作家の「最大のスキャンダル」とまでいわれた。
 編集者の性癖として、寄稿家に対しては原稿を第一に考え、嫌な面はあえて見ないところがあるにしても、著者の筆によるきだみのるは、扱いにくい人柄だが、魅力的な一面がある。数多くの取材旅行や各地での「同志」や「理解者」などとの「会食」を通して、きだみのるの人間性を的確に描出している。
 ミミちゃんは、英国で結婚し、元気に暮らしているという。

×月×日 巨人軍の高木京介投手が野球賭博に関わった4人目、ということで、プロ野球コミッショナーに告発された。驚いたのは、記者会見での、「奥さんと両親に相談して、自ら申し出た」との発言だ。26歳にもなって、「奥さん」はないだろう。
 どうして、「妻(つま)」という言葉が出てこないのか。テレビドラマのコロンボ警部のように「うちのカミさんが……」と「カミさん」を連発するのは、まだ許せるとしても、「奥さん」では、野球選手以前の教育としつけがなっていない、というべきだろう。
 たしか五木寛之さんは、一時期「同居人」を愛用していたと思う。他にも「配偶者」「ワイフ」「家内」「嫁さん」「嫁はん」「連れ合い」(古い)「山の神」(これも古い)などいろいろある。
 落語の八さん、熊さんなら、「かかあ」で、歌舞伎なら「御新造(ごしんぞう)」だ。新しいところでは、「パートナー」も流行だが、これは「籍を入れていない」というニュアンスがある。記者会見で、通用するかどうかは、別の問題ではあるけれども。
 ほとんど同じ時期に、美人テニスプレーヤーとして日本人になじみ深いマリア・シャラポワ選手(ロシア)も、記者会見を開き、自らの「ドーピング」について明らかにした。負の重荷を背負った点で二人は共通するが、言葉による表現力を比べると、役者が違い過ぎた。

×月×日 保育園問題で、ブログに記された「保育園落ちた 日本死ね!!!」の「死ね」の用法に、違和感を持つ人がいる。これは、「ITスラング」で、若者特有の言葉と見るべきだ。
 公式の場や新聞や雑誌などに出てくる言葉ではない。だからといって、すべて否定するのではなく、若者たちの「本音」を理解しようとする姿勢が無くては、政治家とは言えない。今後、このような今までの本道を外れた理解不能にして、美的センスが異なる言葉やその用法がますます増えていく。
 しかし、そこには心の底から生まれた「真実の声」が多く存在することもあるのだ。(16・3・16)

次回は3月30日更新予定
重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。