第168回 「池波正太郎真田太平記館」の来館者が50万人、戸川昌子さん逝く、渡辺淳一「ひとひら忌」、キラキラネームは変なのだ

×月×日 上田市にある「池波正太郎真田太平記館」が平成10年の開館以来、50万人の来館者を迎えた。日本全国に文学館は数々あるが、ひとつの小説作品だけの文学館はここだけだ。
 NHKの大河ドラマ「真田丸」の影響もあるだろうが、喜ばしい限り。それにしても、三谷幸喜氏原作のドラマは、歴史小説や時代劇の常識には掛からない異次元の世界だ。
 若い人に受け入れられるのであれば、それもまたよしとしなければならないのか。 

×月×日 江戸川乱歩賞作家の戸川昌子(まさこ)さんが亡くなった。享年85。
 昭和30年代の初め、新宿の歌舞伎町に劇場型の演奏喫茶店「ラセーヌ」があった。後に建つコマ劇場の近くで、西武新宿線は高田馬場から新宿までの延伸工事を進めていたころだ。
 通っていた高校が高田馬場だったので、「ラセーヌ」には、しばしば通った。「原孝太郎と東京六重奏団」がほぼ毎日出演していた。タンゴの女王、藤沢嵐子が「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」と出演する時は、コーヒーの値段が高くなった記憶がある。前座は菅原洋一で、まったくの無名歌手だった。ここで歌っていた「知りたくないの」がヒットして、テレビにも出るようになった。前田武彦から「三日前のハンバーグ(みたいな顔)」と「あだ名」をつけられ、大ブレークしたが、元はクラシック畑の歌手だ。
 ほかに、有名なところでは芦野宏、小海智子。金子由香利がいたかどうか。仲代達也の弟、仲代圭吾はまだ登場していない。
 戸川昌子は同じ学区の都立高校出身で、伊藤忠商事のタイピストという経歴が、当時は珍しかった。「とがわ・しょうこ」という名前で、毎日のように「ルナ・ロッサ」などを歌っていた。
 数年後に、江戸川乱歩賞を受賞したのにはびっくりした。やがて、青山に「青い部屋」というシャンソンバーを開く。隣かあるいは同じビルだったかに金井克子、由美かおるなどがいた西野皓三バレエ団のスタジオがあった。店はポップとサイケ調が入り混じったような奇怪なインテリアで、退廃と爛熟の気分が錯綜していた。
 一度、「青い部屋」で、戸川さんと会ったことがある。確か編集長のW氏も一緒だったから、仕事がらみか、単に銀座から勢いで流れて行ったのかもしれない。
 高校時代に「ラセーヌ」であなたの歌を聴いたことがある、といったら、社交辞令ではなく大変に喜んでくれた。ちょっと意外な感じがした。もしかしたら「暗い過去」だったのではないかと、忖度(そんたく)したのである。テレビのコメンテーターとしても活躍していたから、「文化人待遇」で流行作家だった。
 戸川さんは遅筆で、講談社の食通編集者、金子益朗(故人)が原稿を待っているあいだに冷蔵庫の中の食材を使って料理し、空にしたという伝説がある。ご本人から聞いたのだから間違いはない。

×月×日 早いもので、渡辺淳一さんの三回忌だ。代表作の一つ『ひとひらの雪』に因んで、「ひとひら忌」と呼ぶ。渋谷公園通りの仕事場の隣で、なにかにつけお世話になった東武ホテルで行われた。
 渡辺さんを囲む編集者の会「ヤブの会」主催。代表世話人は元文藝春秋の鈴木琢二さんにお願いしたらしい。適任だ。しかし、編集者も齢を重ねて高齢化が甚だしい。高樹のぶ子さんのお話の後、献杯。
「私は、渡辺さんとの対談で、よく『性度』という造語を使ったのですが、渡辺さんは実に豊かな『性度』を体得した人で、まさに現代の光源氏です。数々の女性と友好関係にありながら、大きな破綻もせずに、最後は愛する家族の許で亡くなった。こんなのあり? と思いたくなる」
 とは、ご自身の離婚にも触れられた高樹さんの実感だろう。渡辺さんの遺志で、「純文学・大衆文学の枠を超えた、人間心理に深く迫る豊潤な物語性を持った小説作品」を顕彰する「渡辺淳一文学賞」が創設された。選考委員は、高樹のぶ子さんの他に浅田次郎、小池真理子、宮本輝の三氏。芥川賞系と直木賞系二人ずつというところが、渡辺賞の性格を表しているということらしい。第1回の受賞作には、川上未映子さんの『あこがれ』が受賞した。
 高樹さんは、「この賞が巨木に育っていくことを願っているが、川上さんはその第一回受賞作家として、実にふさわしい人」と付け加えた。
 集英社から「渡辺淳一恋愛小説セレクション(全9巻)」が、発売中だ。高樹さんは、第7巻『ひとひらの雪』(10月発売予定)の解説を担当するとのこと。楽しみだ。
 なお、40年以上になる渡辺淳一さんとの交友の備忘録を、これから随時気の向くままこのネッセイで書き留めていくつもりだ。

×月×日 朝日新聞に「キラキラネームは変ですか?」と題して、17歳の高校生、岩下咲來彩さんが投書していた。「咲來彩」と書いて、「さらさ」と読むそうだ。
「奇異な名前だと笑ったり、かわいそうだと同情する人がいますが、それは多様性を許容しないことの証明ではないでしょうか。テレビ番組で笑いのネタに使うのは、あまりに安易で軽率」と疑問を投げかけている。「子供自身に罪はありません。今の社会には配慮が足りないと思います」と憤っている。
 見出しの「キラキラネームは変ですか?」は、編集者サイドで付けたのだろうが、そう問われれば、「変です」と答えるほかない。
 投書者は、「多様性」と書くが、この名前は、「多様性」の埒外(らちがい)にある。範囲や枠といってもいいし、域といってもいい。名前としては「異質」であり、「不適切」、「不適正」だ。
 キラキラネームは昔にも存在した。私の高校時代の英語の教師は「磊穏(らいおん)」という名前だった。吉行淳之介の母上は「あぐり」だ。アグリカルチャーから採ったのだろう。私の同世代の知人にもう一人知っているし、「阿久里」と漢字を当てる人いる。
 写真評論家として名を成した重森弘淹(こうえん・故人)は、哲学者のヘルマン・コーエンに因んで、父親の重森三玲(みれい・庭園研究家)が付けた。兄弟に完途(かんと・カント)や貝崙(ばいろん・バイロン)、姉の由郷(ゆうご・ユウゴー)がいると聞いたことがある。
 テニスの往年の名選手、加茂公成の公成はフランスのアンリ・コシェ選手に因んでいる。
 キラキラネームは、2000年以降急激に増えたといわれるが、マンガや芸能界の影響があるように思われる。「アトム」や「巨人の星」の飛雄馬(ひゅうま)などが好例だ。芸能界では、浜木綿子(はま・ゆうこ)などだ。酒場やスナックに在る「来夢来人(ライムライト)」、「娑麗人(シャレード)」なども、同類項だ。
 投書者も言う通り、子供には何の罪もない。だからこそ、親が責任を持って名前をつけなくてはならない。「さらさ」は音感も良いし、美しい名前だ。しかし「咲來彩」を「さらさ」とは、逆立ちしても読めない。「月」を「るな」、「詩」を「らら」などと読ませるのも同じで、非常識も甚だしい。
 投書者は社会に「配慮」を求めているが、「配慮」するには、それだけ余計な手間と時間が掛かるということがわかっていない。大げさかもしれないが、エネルギーが必要だ。それだけ社会は迷惑をこうむることになる。家族の間だけで済ませているだけなら、勝手だが、大人になってからの本人の「社会性」についての思いやりが全くない。法律(戸籍法)に抵触しないから、どんな名前を付けようと勝手だ、という自己中心的思考だろう。
 茂木健一郎とかいう脳科学者が、「日本人は漢字という外国語に日本語の訓読みを当てはめてきたのだから、『月』に『るな』と振るのも、その伝統的な読み方の延長で、時代の流れとともに、やまと言葉だけでなく外来語も振るようになったのだろう」と言って、擁護している。寝ぼけたことを言ってもらっては困る。こういうのを「見当違い」というのだ。
 ここで、誤解しないでもらいたいのは、私のいう「埒」や「範囲」は、定規やコンパスで画然と定められるものではない。あくまでも漠(ばく)とした概念で、ぼんやりとした曖昧模糊(あいまいもこ)とした境界線でしかない。時代とともに移ろい揺らいでいくだろうし、何となく納得、同意する雰囲気が重要だろう。だから、「文化」として、確立、継承していくのだ。「月」と書いて「るな」と読めるまでには、何百年もかかるだろうし、消えてしまうかもしれない。
 最近の傾向として、第一原因が自分(この場合は保護者)にあるのにもかかわらず、齟齬(そご)を来たしたり、自分の思うようにならず、非難されると周囲に責任を転化し、他人を追及する例が多く見受けられる。常に自己を正当化したがるのだ。
 ネットの情報だが、さる人が鉄道の改札口でICカードのタッチがゆるかったらしく、赤ランプが点いて止められた。すると、後ろの女性が舌うちをした、と言って憤っていた。「触り方がゆるかったくらいで、舌打ちをするな」という理屈らしい。
 とはいえ、第一原因が本人にあるのは間違いない。確かにちょっと改札口が閉じたからといって、すぐにイライラする超多忙な都会人の「対人意識」は敏感すぎる。しかしきちんとタッチさえしていれば、すべてが潤滑に流れたのだ。今の若い人は、自分が怒られたり、非難されることに慣れていない、からかもしれない。

×月×日 日本橋三越本店で「和久傳のしごとと遊び」展。京都の料亭「和久傳」が本業の裏に秘めた数々の「仕事」を紹介している。茶道の「千家十職」ではないが、料亭の仕事には多くの人が携わっている。また、元々「和久傳」は宮津の古い旅館だったから、郷里の人とのつながりを大切にしてきた。
 細川護煕、護光、安野光雅、吉岡幸雄さんなどが協力している。「染司よしおか」の吉岡さんが、「日本の色」で染め上げた和紙を見ているだけでも心が洗われる。(16・5・11)


◎高樹のぶ子さんの「高」の字は、いわゆる「梯子高」だが、正確に変換されない機種もあるようなので、あえて「口高」にしてあります。
次回更新は、5月25日の予定です。
重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。