第179回 『オライオン飛行』(高樹のぶ子)、フランス料理「ラブレー」、『文明開化がやって来たーチョビ助とめぐる明治新聞挿絵』(林丈二)、『ごはんの時間―井上ひさしがいた風景』(井上都)

×月×日 高樹のぶ子さんの新刊『オライオン飛行』(講談社)を読む。
 1936年にフランスからアンドレ・ジャピーという飛行家が単独日本を目指して、飛んできた。大空への夢を抱いたサン・テグジュペリやリンドバーグと並ぶ、当時の大冒険飛行家だ。香港を発ち、羽田まであと一飛びというところで、佐賀県の背振(せぶり)山に墜落した。かろうじて一命を取りとめ、パリのパッシー墓地に眠る。これは、史実だ。
 1936年といえば、2・26事件が起こった年で、第二次世界大戦の黒い雲が漂い始めていた。アンドレが治療を受けた九州帝国大学医学部病院の看護婦久美子との熱愛を著者は創り上げた。ここからが物語の序章だ。80年が経過し、久美子の血を引く26歳のあやめが、アンドレと久美子の愛の真実を求めて、パリへ飛ぶミステリーロマンだ。
 著者もパリに飛び、アンドレの墓地にも参った。ドキュメンタリータッチで、体言どめを多用した文体は、虚実の膜を取り払う効果を上げている。帯の惹句にもあるが、「高樹のぶ子の新たな代表作」であるのは、間違いない。

×月×日 二十数年ぶりに恵比寿のフランス料理「ラブレー」へ。オーナーの山田恵さんも還暦を過ぎた。創業30年だという。フレンチレストランで、30年の歴史があるのは、稀有の存在だ。
 「昔は、恵比寿にはあまり店が無かったのに」という山田さんの言葉には、一種の達成感と誇りがあった。まさに同感。最近の恵比寿周辺の様変わりには呆然とする。
 ウエディングも好調で、売り物の庭の花もきれいに手入れされていた。ランチは、女性客でほぼ満席。名物のデザート群も創業時と変わらず、手の込んだケーキが10品。モンサンミッシェル産のチーズを使ったチーズケーキが、最近のヒット作とのこと。山田さんの軽妙なトークも健在だった。秋の花に囲まれたテーブル前の小庭も変わることはなかった。

×月×日 旧知の編集者、山田智子さんから林丈二さんの新刊『文明開化がやって来たーチョビ助とめぐる明治新聞挿絵』(柏書房)が送られて来た。ページを開けたら、これが面白い。著者は路上観察家として知られるが、本書では明治時代の新聞の紙面を観察している。
 「チョビ助」とは、「知ったかぶりをする者をあざけっていう語」と辞書にある。おそらく「ちびすけ」から来ているのだろう。謙遜の意が込められていること、いうまでもない。
 新聞は平面だが、そこから生まれる立体的な人間の行動、風俗、流行、生活習慣を摘出した。さらに時は移り、現代人の社会的行動規範や行動様式まで考えさせる。歴史的透視眼を備えているところが素晴らしい。
 例えば「マフラーとハンケチ」を見てみる。「ハンケチを首に巻く」絵がある。男女を問わない。防寒対策でもあるし、格好を付けている風でもある。「気障だ」という記事もあれば、「西洋人は笑っていた」ともある。
 昨今は、バンダナという渡来の物もあるし、野球場では、横に細長いタオルが流行で、チャンスに振り回し、首に巻くのがファッションになってしまった。タオルや手ぬぐいを首に巻くのは、肉体労働者の必要から生まれた「作業上の工夫」だった。一般の人は、決してしないスタイルだった。今ではスポーツ選手なんかが当たり前に巻いているが、私は気にくわない。
 和服の襟にハンカチや日本手ぬぐいを当てる格好は、長谷川町子の「いじわるばあさん」に見ることができる。明治の風俗が昭和の中期まで残っていたことがわかる。平成の時代には、もう消えてしまった。
 私のようなへそ曲がりにとっては、そんなどうでもいいことを考えさせてくれるのが楽しい。ページをめくるたびにトリビアルな発見がある。

×月×日 亡くなった井上ひさしさんの長女で、長いあいだ劇団「こまつ座」を率いてきた井上都(みやこ)さんが、新潮社から『ごはんの時間―井上ひさしがいた風景』を刊行した。
 その中の「茄子の味噌炒め」の一節。二人の妹が生まれる前の食卓の光景だ。
<幼い私は、背の高い子供用の椅子に座らせられ、お匙を握りおじやを食べていた。テーブルの上には茄子の炒め物。父が急に立ち上がり怒り始めた。食べかけのナスを箸に挟んだまま母の口の中に押し込める。抵抗する母の口からナスが飛び出す。父はさらに次のナスを手でつかみ母の口にねじ込める。父はランニングとパンツ姿だ。「こんなもの食えるか」そこで、私が泣く。>
 この文章に出合っただけでも、大きな収穫だ。井上さんのDV(家庭内暴力)はつとに知られているが、こんな若い時期の「証言」は珍しい。私は無名時代のかなり以前から井上さんを知っているが、当時は思いもよらなかった。だいたい、井上さんが、食事をしている情景が浮かんでこない。何回も一緒に食卓を囲んだことがあり、旅行もしたが「食べている井上さん」の記憶がない。好子さんが作った「茄子の味噌炒め」に激怒したとは、衝撃の事実だった。
 都さんの両親は離婚し、それぞれ再婚した。都さんと二人の妹にはいずれも子供がいる。この5人の家族を都さんは「旧井上家」と呼ぶ。母方の祖父は柳橋で、「かもじ」を商っていた。会ったこともあるが、絵に描いたような下町の職人気質の人だった。孫の都さんから見たこの祖父の話が面白い。「旧井上家」というより、祖父母を加えた「内山家の人びと」という小説を誰か書かないものか。言うまでもなく、「旧井上家」時代のひさしさんの本姓は「内山」で、「ひさし」はペンネーム。戸籍上は「厦」と、難しい漢字だ。(16・10・19)


次回更新は11月2日の予定です。
「淳ちゃん先生のこと」第二章は、11月30日から開始します。
重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。