第191回 蕎麦とワイン、柳家小三治のマクラ、早くも忘年会、清宮孝太郎と日本ハム、淳ちゃん先生のこと(承前・その10)

×月×日 新宿の蕎麦屋「大庵」でワインの会。昔から蕎麦屋の料理というと、焼海苔に板わさ、玉子焼に天ぷらといったところが定番で、いずれも蕎麦に用いる食材ばかりだ。ここ「大庵」は日本料理の料理人と蕎麦職人を備えているので、正統な日本料理を楽しむことができる。蕎麦は荻窪の名店「本むら庵」の流れを汲む。
 最近、「締めの蕎麦」を出す店が増えてきた。和食はもちろん、無国籍料理やフュージョン(融合)料理でも時たま出くわす。「締め」もいいが、「前菜」でも面白いとかねがね思っていたら、松茸と名残の鱧の土瓶に小さなせいろの蕎麦が添えられている。初っ端から強烈なジャブを繰り出してきた。
 絢爛な八寸は合鴨、秋刀魚、みずの実のお浸しなど。京鴨のコンフイ、鹿児島の桜島美湯豚(びゅうとん)のソティ、鮪と鯛のお造りには蕎麦の実のたまり漬け、冷製鮑の共和えに天ぷらなど。いずれもワインを引き立てる素晴らしい料理だった。京都「原了郭」の黒七味に加えて地元、内藤新宿の特産だった「内藤唐辛子」を用意するところに店主、安田眞一さんの粋を感じる。

    香り立つ蕎麦とワインの饗宴は友の情けで脈も落ち着く

×月×日 朝日名人会。春風亭正太郎「堪忍袋」、柳家小さん「一人酒盛」、五街道雲助「景清」、柳家小里ん「お茶汲み」、柳家小三治「馬の田楽」といった顔ぶれ。
 前々回にも記したが、八月に頸椎の手術をした小三治はすっかり元気になったようだ。頸椎の損傷にはさまざまな原因があるが、「枕」も大きく影響するとのこと。「マクラは難しいんですね」というのは、「長いマクラ」に定評のある小三治の「自虐ネタ」だ。
 多くの人が、「今日は何を喋るのか」とマクラにじっと耳を傾けているのは、いささか「異様」だ。それでも北海道の「ばんえい競馬」から、「馬の田楽」に持っていくところは流石。大した噺ではない「馬の田楽」に奥行きと幅が生まれた。小三治のマクラを集めた文庫が講談社文庫にあるが、マクラだけのCDも発売されている。

×月×日 自由が丘の中華料理の老舗「煌家(こうか)」でテニス仲間10人と忘年会。威勢よくビール10本と紹興酒のボトルを注文したら、「飲み放題ではないですよね」と確認を受けた。世間では、「飲み放題」が大流行だが、もはや全員が「飲み放題」を喜ぶ齢ではない。

    病い癒えコートに球追う有難み脈の速さを気に留めながらも

×月×日 今年のプロ野球ドラフト会議。注目の早稲田実業高校の清宮孝太郎選手は、パリーグの日本ハムが交渉権を引き当てた。ご本人は球団に対して、特に悪い印象は持っていない様子なので、すんなり決まりそうだ。それにしても、テレビの中継でアナウンサーが「入札」、「入札」と繰り返していたのには、違和感がある。単なる「交渉権」の抽選でしかないのに。

×月×日 淳ちゃん先生のこと(第二章・その10)
 連載小説として「週刊朝日」では第2作目になる「桜の樹の下で」は1987年の5月から始まった。渡辺淳一は連載が始まる前の週の「社告」に、「作者のことば」を寄せている。
<このところ、各地の桜を見続けてきた。とくに四月の半ばには、京都に行って、枝垂れ桜ばかりを追ってきた。昼間見た紅枝垂れは血の滝のようだったし、公園の明かりに映し出された枝垂れは、夜火事のようであった。
 無数の桜を見るうちに、桜がどこか淫らで虚無的な花であることに気がついた。咲きほこる桜は生きていく喜びよりも、死や頽廃を思いおこさせる。
 古人は、桜の樹の下には女の死体がうずまっているといったが、桜の花のなかにはひそかな淫蕩が潜んでいる。とくに紅く尾を引く枝垂れには、なまなましい女の情欲が揺れ動いているようである。
 花を追い求めた最後の夜、風が出て桜が一斉に散ったが、瞬間、わたしは髪振り乱してのたうつ狂女を見たような気がした。
 今度の小説では、そんな女の妖しさと怖さを書いてみたいと思う。>
 さしえは「化粧」と同じ、小松久子で、平安神宮の枝垂れ桜をバックにした二人の写真が添えられている。題字は社員ではないが編集部に長く勤めていた松井春子(芝翠)が書いた。松井芝翠はその後、日経新聞に連載した「失楽園」の題字も書いた。
 連載が始まる頃、短篇「春の怨み」を「小説新潮」に発表している。京都の料亭の女将千加は親密な関係にある東京の客、生駒が娘の美穂に着物を贈ろうとしているのを知り、嫉妬の炎(ほむら)が燃えてきたのに狼狽する。45歳の母親と大学を出たばかりの娘のあいだにたゆたう意識と感情の縺(もつ)れを題材にした。京都の四季を背景に母親の愛人へ抱く娘の思慕とそれに気づいた母性愛の揺らぎを描き切り、雅味に富んだ短篇だ。
 この「春の怨み」の着想がベースとなり、大きく羽ばたいた作品が、「桜の樹の下で」といえる。京都の料亭「たつむら」の女将辰村菊乃は、神田にある出版社の社長遊佐恭平が京都に来るたびにホテルで逢瀬を楽しんでいる。近く東京に分店を構える計画があるので、遊佐を頼りにしなくてはならない。遊佐は、大学を出たばかりの娘の涼子に魅かれていく。短篇「春の怨み」から、さらに一歩踏み込んで、母娘ともに関係が生じる。
 「桜の樹の下で」は、1年間連載し、1988年に完結した。「化粧」と同じように桜の季節で始まり、桜で終わっている。
 「化粧」では、「ほんまに、なんで桜はこんな一生懸命咲くのやろか」という科白から始まる。京都の料亭「蔦乃家」の一家が法要の後に、金閣寺近くの原谷の桜を見に行ったのだ。
 「桜の樹の下で」の冒頭は、社長の遊佐恭平が「たつむら」の女将の娘、辰村涼子と平安神宮の神苑で枝垂れ桜を見ている。「花疲れ」という言葉を思い起こした遊佐は、涼子に「桜がこんなにきれいなのは、桜の樹の下には屍体が埋められているからだ」という。23歳の涼子が「ほんまに……」といって、桜の根元を真剣に見つめるので、「狂ったように咲くのは、人間の狂気がのり移ったのかもしれない。伝説だろうけれども」と遊佐は言い直した。
 この話は、梶井基次郎が昭和3年に発表した短篇「桜の樹の下には」(『檸檬』新潮文庫所収)の冒頭にある「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」の文章に想を得たものだ。
 渡辺淳一は遊佐に、「屍体が埋まっているのは、枝垂れ桜ではないような気がする」と語らせている。空に向かって、枝一杯に溢れるように乱れ咲く染井吉野のほうが桜の狂気を秘めているように思えるというのである。
<「染井吉野は妖しくて、哀しい感じがするでしょう。咲くときも散るときも、一生懸命すぎて切ない」
「はい」
 教師にでも答えるように涼子は堅い返事をした。
「それに較べると、枝垂れは……」
 そこまでいいかけて、遊佐が黙ると、「なんでしょう?」というように、涼子が細い首を傾けた。
「少し、淫らだ」
「みだら?」
「なにか淫蕩な感じがしないかな」>(朝日新聞社)
 桜の樹から生まれ変わったような母娘が泳ぎまわる血の海に遊佐は敢然と飛び込み、惑溺していく情景を予兆させる見事な導入部といえる。
 編集の実務は編集部の古田清二が担当した。古田は原稿を入手すると、まだ当時はそんなに普及していなかったワープロで打ちなおして、渡辺に届けた。渡辺はそれに直しを入れると、古田がデータを修正し、印刷局に送信した。ページごとに組み上がったゲラを再度渡辺の許に送り、確認してもらう。
 渡辺と大学時代の同級生だった千葉豊明は、「桜の樹の下で」の連載中から、「こんなインモラルな関係は許されるわけがない」と激怒した。「淳の作品はすべて読んでいるけど、この作品は最低だ」という。
 そこで私が、「インモラルだからこそ、小説になるんじゃないですか」と反論しても、納得するわけがない。まじめ一筋の神経外科医は頑として持説を曲げない。渡辺に「千葉さんは、不道徳すぎるといって、怒っていますよ」といっても、「そうかい、いかにも千葉らしいな」といって、にやりとするだけだった。
 文学と桜の関係について詳しく、「桜の日本文学史」を著した国文学者の小川和佑は、この作品を次のように高く評価している。
<満開のソメイヨシノの巨木には艶麗(えんれい)を超えて妖しい美しさがある。王朝説話の『今昔物語集』以来、桜の樹の下には霊鬼が棲(す)む――桜鬼(はなおに)の言い伝えがある。遊佐が溺(おぼ)れた菊乃、涼子の母と子は美しい桜鬼といっていいだろう。
 遊佐はその桜の精のあやかしに魅入られて夢幻界を彷徨(ほうこう)する。この長篇の、菊乃、涼子という母と娘を同時に愛する遊佐を、背徳の愛として倫理的に指弾してはなるまい。彼女たちは同じ桜の精であるとともに、この国の文化を確立した王朝においては、美こそ倫理であり、その美の極みは咲き満ちる桜なのであった。
 医事小説において人間の生死を凝視した作家は、五十歳の知命の齢(とし)を過ぎて、日本の文学の基層に眠っていた美の極みとしての桜美に到達した。>(カッコ内はルビ=新潮文庫『桜の樹の下で』解説)

 渡辺は、「桜の樹の下で」の連載が終ると、短篇の「泪壺」を、1988年の「オール讀物」6月号に発表した。
 癌のために36歳で夭逝した妻の愁子は亡くなる一か月前に自分の骨で壺を作って欲しいと夫の新津雄介に言い遺していた。
「私の骨で作った壺をあなたのそばに置いておいて欲しい。死んでもあなたのそばに居たいのです」
 イギリスの磁器ボーンチャイナは牛の骨が入った土で焼成される。遺言通り、クリーム色の白磁の壺が出来上がった。一筋の淡い朱色が肩口からくびれていくなだらかな面に着いている。「これは失敗作です」と陶工は詫びた。雄介は「これは、涙の痕かもしれません。死にたくない、と言っていましたから」と壺を大事に持ちかえった。丁寧に部屋の目のつくところに飾り、寝る時はベッドサイドのテーブルに置き、時には抱きしめることもあった。
 一周忌を過ぎて、雄介の許には二人の女性が現れるが、彼女たちはいずれも壺には先妻の霊が残っていると言って、嫌悪の念をあからさまにした。一人は去り、一人は交通事故で命を失くす。二人は壺に妖気を感じ取ったのだ。女性の執念が色鮮やかに描かれ、渡辺の「短篇男女小説」を代表する逸品といえる。
 私は旅先で出会ったある年配の女性から、「これは、夫の骨で作ったのよ」と鈍い灰色の球体をビーズで繋ぎ合わせたブレスレットを見せられたことがある。息子はネクタイ止め、娘はペンダントを持っているという。愛する人の一部を常に身に付けていたいのだろう。遺骨をアクセサリーに加工する商売があるということだ。しかし赤の他人から見れば、焼成された灰色の球体は色も美しいわけではなく、ただ妙に生々しいだけだった。
 この壺を作るディテールについては、津村節子に教示を受けている。津村は全国の焼き物に精通して著作も多い。まだ携帯電話が今のように普及する前のことで、ようやく自動車電話が出はじめたころだ。確か取材で向かうときだったか、自動車から津村に電話して、実は人骨を焼物に使いたいのだが、と相談していた。人骨を使う可能性や各地の窯元などの情報を得たのだろう。
 言うまでもなく津村節子の夫は吉村昭だ。吉村と渡辺は札幌医大の心臓移植を巡り朝日新聞紙上で「論争」した因縁がある。いつまでも怨みを根に持っていたわけではないだろうが、やはりどこか「しこり」が残っているらしく、二人の関係はしっくりとはしなかった。しかし、津村節子とは友好な関係にあった。「女流作家のなかでは、すばらしい女性的な人だよ」と、渡辺の津村への評価は高かった。
 津村が「週刊朝日」に連載した「冬銀河」を担当したし、佐渡島にも取材で同行した。佐渡は津村の代表作「海鳴」の舞台だからこちらが案内されたようなものだった。自宅へ電話すると、津村が出て、「はい。吉村です」と答えるのには、同じ作家として何かしらの屈託があったはずである。そんなきめ細やかで控えめな気配りが、渡辺の気に入った点かも知れない。
 
 渡辺淳一は短篇小説と長編小説の違いについて、次の言葉を残している。
<一本の大根を、長篇小説では縦に、芯のところを真っ二つに割っていくのに対して、短篇小説は一点だけ輪切りにして、その水々しさを示すような手法である。>(講談社文庫『泪壺』あとがき) 
 渡辺は「理でないリアリティ」という言葉をよく用いる。小説は論理や理屈では説明できない、人間だけが持つ妖しくも不思議な感性や感覚の世界を描くものだという。長編は正面から真っ向にぶつかっていくが、短篇は静かに一点から覗き見るようなものというのだ。一点を「小道具」と置き換えてみるといい。今回取り上げた「春の怨み」では「着物」であり、「泪壺」の場合はもちろん、涙の痕がある「壺」だ。
 では、「桜の樹の下で」の桜は何かというと「大道具」で、しかも「狂言回し」の役割も兼ね備え、長篇小説の全編を流れる主題にさえなっている。渡辺が考えている長編と短篇の違いが、おわかりいただけたであろうか。(敬称略・この項続く)
(17・11・1)次回の更新は11月15日を予定しております