第195回 貴乃花親方と横綱白鵬の確執、昆虫の「完全変態」、淳ちゃん先生のこと(承前・その14)

 寒中お見舞い申し上げます。遅ればせながらの「初荷」です。本年もよろしくご愛読をお願いいたします。

×月×日 角界は元横綱日馬富士の暴行問題で揺れている。日本相撲協会は、新年4日に貴乃花理事解任の処分を発表した。あまり聞いたことがない「仕事始め」だ。初場所が初日を迎えたが、正直なところ、相撲に興味が薄れてしまった。初日恒例の「協会挨拶」では、今回の不祥事について一言も触れなかった。こういう姿勢が、すべてを物語っている。
 暴行騒動について多くの人がテレビなどで意見を述べているが、協会に深く関係していた元顧問のKなる人物と貴乃花の関連が闇の中だから、今ひとつ明快にならない。また貴乃花が信奉する宇治の宗教者との関係も不透明だ。貴乃花に堂々と正面から説明してもらいたいものだ。
 もう一つは、「モンゴル力士いじめ」と指摘する向きもあるが、それは違う。白鵬が横綱としての「品位」に欠けるからだ。先場所の対嘉風戦では、立ち合いの判定に不服を唱え、土俵上で礼もせずに仁王立ちした。その場で、正面審判(勝負検査役)は厳重に叱責すべきだった。さらに表彰式中に行われたNHKのインタビューで万歳を強要するなどの愚行に、師匠の宮城野親方(元竹葉山)が「良いことを言った」などと発言したが、これも即刻注意すべきだった。
 また白鵬は貴乃花の巡業部長を忌避する発言をし、それを結果的に許容したのは、協会の大きな誤りだ。昨年末に横綱審議委員会から、「立会いの張り手、かち上げは、横綱の相撲にふさわしくないし、見たくない」と注意されていたにもかかわらず、5日の「横審稽古総見」で、正代相手に張り手を見せた。だいたい稽古で「張り差し」をやることが間違っている。もう癖になっているのだ。さすがに初日こそ、張り差しを見せなかったが、はたして千秋楽まで「封印」できるかどうか。
 白鵬は双葉山が連勝記録を逸した際に言ったといわれる「我いまだ木鶏(もっけい)たりえず」などと、普通の日本人でも知らないようなことを偉そうに発言する。タニマチ筋の誰かが教えているのだろう。それでいて、自分の連勝記録を「大記録」などと言う。普通の人なら決していわない。「木鶏」といった言葉を吹き込むのなら、そういう言葉づかいもタニマチ筋には指導してもらいたい。だから、「白鵬に通訳を付けるべきだ」という意見まで出るのだ。
 張り手は規則に違反していない、と白鵬を擁護する人がいるが、横綱がやるから問題なのだ。貴乃花に対しての池坊保子評議員会議長の「礼を失した」発言もそうだが、「礼」とか「品位」といった言葉には、厳然とした基準がない。実は曖昧だからこそ、「文化」といえるのだ。司馬遼太郎も、「文化は、美しいからなんとなく残そうよ、というぼんやりした雰囲気」と言っている。

×月×日 茨城県のひたちなか市に住む友人の話だ。小学校3年生になる息子の理科の試験で、次の(A)にあてはまることばを書きなさいという問題が出た。
「モンシロチョウのように、よう虫とせい虫のあいだに、さなぎの時期がある育ち方を(A)へんたいという。」
 正解は(かんぜん=完全)だが、友人のご子息殿は、「ど」と書いた。そのセンスというか「敢闘精神」が素晴らしい。「ど真ん中」という言葉が大嫌いで、わざわざこのタイトルを「真ん真ん中」としている私でも、拍手を贈る。「ど」は関西に多い強調語だが、言葉の伝播力はすさまじいものだ。

×月×日 淳ちゃん先生のこと(第二章・その14)
「週刊朝日」に編集部の山下勝利が連載した「帰っていいのよ、今夜も」は、妻以外の恋人と男の関係を明確に示すタイトルが卓抜だ。その上、実に考え抜かれた構成になっていた。前半が小説風のドラマが展開する。長編小説と短篇小説の差違については以前に説明したが、短篇小説に不可欠の「小道具」も備わっている。小道具を通して恋人の機微や感情の起伏、愛憎の連鎖や増幅が抑制された筆致で述べられる。艶福家として知られた山下自身の実体験もあるだろうが、経験だけでは話が膨らまない。当然、フィクションもあるはずで、その巧緻な筆さばきは週刊誌記者の文章の完成形といってもいい。当時はまだワープロが普及していないが、山下の手書きの原稿は丁寧な楷書で、初めの一行から最終行まで乱れることはなかった。
 後半は前半の登場人物の「取材メモ」風の形を取りながら、ドキュメントらしさを補完している。いずれも実名を出すわけにはいかないから、「フィクション(今風にいうならフェークか)」と読み取られる恐れがある。かといって、あくまでも小説家ではなくジャーナリストであることの矜持が伺える。
 渡辺淳一の長編小説「愛のごとく」の冒頭部分には、男が恋人の家に泊まった明け方、自分の家の方向から火事のサイレンの音が聞こえてくる情景がある。下北沢と生田だから、見えるわけはないが、男はカーテンの端をあけて空を見る。
<「あなた、心配なんでしょう」
「なにが……」
「お家(うち)のことが……、帰ってもいいわよ」>(『愛のごとく』新潮文庫)
 ただ火事の方角をみていただけだと言い逃れを計る男に、恋人は外を見ながら、家のことを考えていたのに違いない、と断定する。あなたが心配していたのは、「この部屋ではなく自分の家でしょう」と強硬に言い張る。男は何も言っていないし、邪推だと否定せざるを得ない。
<「でもわかるの、あなたのうしろ姿にでていたわ。帰りたいのなら、帰ってもいいのよ」
「帰らないといったろう」
「無理しなくてもいいわ」>(前掲書)
 こうなると、もはや理屈では収まらなくなり、熱い「喧嘩状態」となる。「親の背中を見て育つ」という言葉があるが、「帰巣本能」が背中に現れるとは知らなかった。鉄砲玉のような言葉の打ち合いは、果てしなく深い泥沼に落ち込んでいく。女性の鉄砲玉は機関銃のように飛んでくるが、男の方はせいぜいピストル程度で防戦一方になる。恋人が「帰ってもいいのよ」と言い切った瞬間は、男を征服し支配した高揚感に酔っている。
 渡辺も「週刊朝日」の山下の連載には目を通していた。自分の文学のテリトリーに近い情況が、ジャーナリズムとして取り上げられているという「社会情勢」に注目したのだろう。大衆文学は世間の動向と著しく乖離(かいり)していたのでは成り立たないからだ。
 渡辺が小説に仕立てた「愛のごとく」は、日本人男女の恋愛や結婚といった幸福を追求する家族の関係が変容していく過程を剔抉(てっけつ)している。当時の夫婦の形態と意味を問いただしている。高齢化や女性が経済力を得たことなども理由に挙げられるだろう。本来なら、ジャーナリズムが先に指摘しなければいけないのだろうが、典型的な事件が起きない限り、小説やドラマなどが先行してしまうのはやむを得ない。あまりにも早く時代を先取りしてもジャーナリズムは「商品」とはならないのだ。世の中の動きを最初に追うのがジャーナリズムだが、社会全体が流行なり風潮に流されてしまうと、作家の嗅覚や触覚のほうが逸速く獲物を見つけることが多い。
 文芸評論家の秋山駿は、「ここに登場する夫も、妻も、愛人もみな孤独である」と「愛のごとく」の解説に書いた。夫と妻と愛人の「三角関係」は、古くからある文学上(ということは「人生」の)大きなテーマであり、それは、1970年代から80年代にかけて、広く深く日常のなかに溶け込んだということなのだ。
『愛のごとく』は長篇小説だから、「小道具」が次から次へと登場する。前回紹介した短篇小説にも、当然のことだが、小道具が用意されている。それらは、「渡辺家」とは決して無縁でなく、祖母のイセと母のミドリが「純粋培養」で育て上げた「家風」と「家訓」から生まれたように思えてならないのだ。
 例えば、男が恋人のマンションから、自宅に帰る途中に、バーゲンの剃刀や歯磨きを買う情景がある。恋人にすれば、虚構の「夢空間」から現実の「実宅」に戻る姿を見せつけられるわけだから、嫌気を感じるのは無理もない。まさに見てはならないおぞましい姿だ。実際は質素な生活であっても、男と一緒にいる時だけは豪奢な気分でいたい。小さなマンションの部屋であっても、恋人がいれば、王宮に匹敵するのだ。
 高校の数学教師を父に持ち、質実な家庭に育った渡辺には、豪奢な生活とは無縁だった。母のミドリは砂川に家作もあり、人並み以上の生活水準ではあったが、放漫な暮らしが許されたわけではない。戦争直後の多くの家庭のように、父親を中心に家族全員が茶の間の一台のラジオを囲んで暮らしていた。後にテレビが普及するが、寒さが厳しい北海道ではなおさらのようにストーブを囲んで一家がまとまっていた。姉と弟がいた長男の淳一は家を継ぐ意識を自覚し、またその責任感を備えていった。ストーブの焚口(たきぐち)には母が座り、明るい縁側を背にする一等席には父が構えていた。祖母がその隣だった。子どもたちは、湯沸しから煙突を取り囲むように位置する。
 子どもの頃は、早く父が座っている一等席に座りたいと思っていたものだが、祖母が亡くなり父もいなくなって、いざその席に座ってみると、「家で最良の席に坐れたという喜びより、ついにこの席に坐るようになってしまったという淋しさのほうが強かった」(「ストーブのある家―私の生まれた家」)と述懐している。
 安い歯ブラシを買うのは、吝嗇(りんしょく)とはまったく違う。無駄な金を使わないということであって、金銭を放縦、無法図に乱費することではない。別荘にテレビを置くことになったとき、「安いのでいいよ、映ればいいんだから。3千円か4千円であるんじゃないの」と周囲に言ったという。その程度のテレビがあることを、どこかで知ったのだろう。
 ユニクロが創業する直前の話だ。自宅から渋谷の仕事場へ車で「出勤」する途中の目黒通りにある碑文谷のダイエー(現イオンスタイル碑文谷)によって、シャツやセーターを良く買い求めていた。「このシャツが2千円しないんだよ。たいしたもんだね」と感心していた。
「渡辺さんみたいな高額所得者がもっと、お金を使ってくれないと、経済はなかなか回復しませんよ」と冗談をいった。特にブランドものの高価な衣服を身に付けるといった「成金趣味」は持ち合わせていない。限りなく上流に近い中流の上の家庭では、贅沢ではなく、質実に暮らすのが生活の「常識」だった。
 その分、女性に使っていたではないか、といわれると答えに窮する。小説の題材にする「取材」だから、「必要経費」になるはずだ、といっても、そう簡単には認められない。
 銀座のクラブの飲食代を「必要経費」として認めるべきだ、という渡辺の主張に、税務署の担当者は、「先生のような『軟文学』の場合でも、ある程度までで全額は認められません」と慇懃にくぎを刺されたという。渡辺は、「『軟文学』だって。初めて聞いたよ」と、自嘲的な笑いを浮かべていた。
 小説中にも出て来るが、銀座の小さなバーのオーナーになる話がある。開店の資金を融通することもあったし、その出資金を回収するために共同経営者となったケースも考えられる。そのためか、銀座のクラブの開店経費や店の賃貸料、坪単価の売り上げ、人件費などの数字は詳しく把握していた。「化粧」では祇園で育った三姉妹の姉、頼子が銀座でクラブを開いている。7丁目のビルの4階にある「アジュール」は15坪程度で、カウンターとテーブルにピアノがある。椅子の数や従業員の数など、実に具体的に述べられている。銀座の酒場やそこに働く女性たちを描いた小説は数多くある。川口松太郎、井上友一郎、大岡昇平、松本清張など枚挙にいとまがないが、渡辺ほど金をつぎ込んで経営面の実態を経験した作家はいなかった。
 渡辺が直木賞受賞前に、単身で上京しアルバイトの医師をしていたことはすでに記した。追いかけるように付いてきた西川純子と一緒に棲んではみたが、西川は引っ越していった。追いかけて男が部屋にいるのを見つけて逆上し、警察沙汰になった。「遅ればせの会」の後、銀座にある西川がママの「アカシア」で二次会があったことも述べた。
 銀座のクラブでは、現金払いの客は少ない。社用族が多いこともあるが、サラリーマンが自費で飲む場合でも夏、冬のボーナス時期に払う店が多かった。アカシアが指定した銀行の受取口座は、渡辺と西川が共同で管理していた。ある時から、入金が極端に少なくなっていることに渡辺が気付いた。不審に思った渡辺が店を訪ねると鍵がかかったままになっている。店舗の賃借契約の保証人になっている渡辺は、多くの銀座のクラブを手掛けているH不動産の社員と一緒に合鍵で開けて店内に入ってみると、ウイスキーやブランディーなどの酒類からグラス、椅子やテーブルなどの家具や什器類がすっかり消えていた。
 西川は渡辺に内緒で、自分専用の新しい口座を開設し、客の代金を振り込ませていたようだ。西川は6丁目に引っ越して、同じようなバーをちゃっかり開業していた。渡辺は草野眞男と一緒に新しい店を訪ねたらしいが、私は行ってはいない。そこから先どうなったかも聞いてはいない。自分の許から去っていく女を執念深く追いかける話は、いろいろな小説にある。しかし、年齢を重ねるにしたがって、その熱意とエネルギーは薄れていったのかもしれない。
 西川純子とは別人だが、一千万円を出して自分の彼女が銀座のバーのママになるのに満足している男を書いた短篇が「秋冷え」だ。
 カウンターだけのバーで、厨房を入れて5坪で、椅子は8つしかない。補助椅子を入れて10人で満席になる。
<もっともここの客はよく躾けられていて、満席のときに新しい客が入ってくると、先に飲んでいた客が自発的に立上がってくれる。
「けっこうですから」と引きさがっても、「そろそろ出ようとおもっていたところですから」と気持がいい。
「みんな、わたしのことを思ってくれるのよ」
 桜子と、自分の源氏名を店の名にした小柄なママは、少し甲高い声で自慢そうにいう>(『風の噂』新潮文庫所収)
 小説では、資金の半分の一千万円を出したことになっている。自分の彼女が銀座のバーのママになったことを誇らしく思っている。
<いろいろな客がママを求めて通ってくるのを、カウンターの端で眺めているのもわるくはない。>
 とあるが、これはもう「作家の眼」そのものである。一千万円をどう捻出して、どう処理したかは知らない。桜子は銀座の有名文壇バーの出身だし、文壇関係者は渡辺と桜子のつながりは承知していた。朝日新聞社がまだ有楽町にあった時代で、私も「ゲラ待ち」の時間などによく行った。もちろん個人払いの「学割」で、領収書も要らなかったから表には出していない「裏の口座」だったのかもしれない。
 渡辺と一緒に顔を出したことがあった。そこに偶然、松本清張と講談社の先々代社長の野間惟道、文芸担当取締役、大村彦次郎の3人が入ってきた。松本清張はまったく酒を飲まなかったが、バーの雰囲気は嫌いではなかった。「渡辺君が目を掛けている店はどこかね?」と偵察に来たのかもしれなかった。目があまり良くないので、薄暗いバーの隣り合わせに座った私になかなか気づかなかった。渡辺は居心地が悪くなったらしく、私に目配せをして、そそくさと一緒に席を立った。
 数日後に桜子へ行くと、ママは、「淳は恥ずかしがり屋だから、知っている人が来るとすぐに帰るのよ」と、残念そうなそぶりを見せながら、いかにもうれしそうに話しかけてきた。一瞬でも「妻」の気分を感じたのかもしれない。松本清張は、渡辺が「光と影」で直木賞を受賞したときの選考委員だったから、確かに居心地は良くなかったろう。
 桜子から聞いた話だ。ある純文学系の大物作家が、大出版社の幹部編集者と一緒に店に入ってきた。あろうことか、渡辺と桜子の関係を知ったうえで、渡辺の悪口を言い始めた。もちろん聞こえよがしに、である。編集者に案内させたのかもしれない。桜子にしてみれば、自分の「旦那様」の悪口を言われたわけだから、面白くないわけがない。早速、「大変、大変!」とご注進に及び、「二人とも、『お出入り禁止』にしたわ」と息巻いていた。
 しかし、どういう「手打ち」があったかは知らないが、当の編集者とは何事も無かったかのように落着し、ゴルフのコンペにも参加を呼び掛けた。やはり渡辺には飄々とした「大人(たいじん)」の風格があるのだ。バーのスポンサーになれば、これくらいの「嫌味」を言われるのは、当然のことと受け止めたのだろう。あるいは、この種のトラブルを面白がっていたのかもしれない。作家の習性や編集者の弁解、ママの対応など、鋭く観察していたのだろうか。
 一度桜子と渡辺と一緒に銀座から車で帰ったことがあった。山手線内のマンションで桜子を降ろし、渡辺の自宅に向かった。車中で桜子は、「あなたもっと仕事をしなさいよ。私のところまで、編集者が頼みに来るんだから」と、マネージャー然としていつしか「命令口調」になった。
「そんなに仕事してもしょうがないよ。人生は遊ぶためにあるんだから、遊ぶ時間まで潰して仕事する気はないな」
 渡辺は、「また始まったか」という顔をして、のらりくらりと逃げ回っている。こういう時、明確な否定や反論をしないのが、渡辺流といえる。
「だから、あなたは駄目なのよ。どうして仕事が嫌いなんだろう」
 桜子は狭いタクシーの中の舞台で、束の間の「女房役」を演じていたのかもしれない。いくら「恋人」がやきもきしても、原稿を書くのは渡辺本人なのだから、話がかみ合うわけがなかった。(敬称略・この項続く)
(18・1・17)次回の更新は1月31日を予定しています。