【第1回】ケネス・クラークと加藤周一 青山昌文

放送大学叢書通信001号(2011年夏発行)より、美学・芸術学者の青山昌文先生のエッセイをご紹介します。
 1971年、私は、青森県立弘前高校を卒業して、いわゆる自宅浪人をしていました。予備校に通わず、自宅で一人で受験勉強をしていたわけですが、その時、NHKが翻訳して放送したのが、BBC制作の番組CIVILIZATION(日本語版題名「芸術と文明」)でした。これは当時の高名な美術史家であったケネス・クラークが、45分番組全13回のシナリオからナレーションまでを全て一人で担当し、ヨーロッパとアメリカの117カ所にロケをして、芸術作品のそばに実際に立って現地で芸術について語った連続番組です。
私は、次から次へと繰り広げられてゆく、ヨーロッパ美術の珠玉の作品たちに、このような世界があるのか、という新鮮で深い感動を覚えました。私が美学・芸術論を専門とするようになったのは、まさにこの、一人の学者が全責任をもって講義する、単なる紹介を超えた、明確な学問的立場に基づく長大な美術番組を見たからです。
現在ならば、インターネットで直ちに書籍版のCIVILIZATIONを、日本あるいはイギリスから取り寄せるわけですが、当時はインターネットもなく、また大きな洋書専門店も弘前にはありませんでした。私が書籍版のCIVILIZATIONを手に入れるのは、1972年に東大に入学して、神田の洋書専門店に足繁く通い始めた時です。(尚、家庭用映像再生機器が発売されるのは、1975年以降であり、1971年当時は、テレビで放映された映像を、自宅で好きな時に見る、などということは考えること自体あり得なかった時代でした。)
話を、自宅浪人時代に戻します。私は、世界史や物理の受験勉強に倦むと、自宅から歩いて行ける弘前公園によく散歩に行き、その帰りに公園の反対側にある二階建ての大きな書店に寄っていました。医学書をはじめとする専門書がずらりと並ぶその書店の二階で、ヨーロッパ美術に開眼しかけていた私の目に飛び込んできたのが、『芸術論集』というタイトルの書物です。著者は加藤周一で、いかにも岩波書店らしいアカデミックな装丁の書物でした。「現代の芸術的創造」に始まり、「回教建築の空間」に終わるこの書物こそ、高校卒業と大学入学の狭間の時期の私を決定づけ、その後も長い間、芸術について考える際の一つの道しるべとなった書物です。
1972年に東京に居を移した直後から、私は、『芸術論集』で論じられていたルオーやビュッフェの作品等を見るために出光美術館や西洋美術館等に通い詰め、六世野村万蔵の狂言を見るために水道橋能楽堂に通い詰め、また夏には京都に赴いて、竜安寺をはじめとする京都の庭のほとんど全てを見て回りました。もちろん、京都にはそれ以前にも行っていたのですが、加藤周一の論説を踏まえた上で、思索しながら諸々の庭を系統的・網羅的に見たあの夏の日々は、実に懐かしい思い出です。
西洋美術館やブリヂストン美術館等に通い詰め、どの部屋のどの壁に誰の何の作品があるかを格別意識しなくても全て自在に思い出せるほどになった後、私は、ヨーロッパに出かけていって、ケネス・クラークが語っていた芸術作品を直に見て回りました。それは、東京での、それなりに感動的であった西洋美術経験を遙かに超える、圧倒的な美の奔流でした。
NHK放送のBBCの美術番組を契機として始まり、その結果出会った加藤周一の『芸術論集』に導かれた、私の美の経験は、こうしてクライマックスに向かっていったのです。
(放送大学教授)

(*横書きに改めた際に、漢数字表記の一部をアラビア数字に変更しています)