【第6回】自著を語る 熊倉功夫

放送大学叢書通信006号(2012年9月発行)より、日本文化史、茶道史がご専門の熊倉功夫先生のインタビューをご紹介します。

インタビュー 熊倉功夫先生

◉本書が広い読者に読まれている理由は、茶の湯、いけばな、料理、庭などを通して、日本文化、またその空間の起源が描かれているからではないでしょうか。
 例えば、茶の湯の「回し飲み」です。もともと日本人には一人一つの茶碗をもつ志向があるにもかかわらず、千利休は一つの茶碗を皆で回す「回し飲み」を発案しました。読むと、今に生きている生活習慣と過去の時代がぐっと遡ってつながるような、そうした感銘を受けます。
ーー茶の湯は歴史があるといっても村田珠光から数えて六〇〇年、千利休から考えれば四五〇年です。しかし、ある文化が成立したときには、それ以前から日本人が持っていた文化がその中に取り込まれているのですね。それは実に根の深いものであって、その中には、禅宗という鎌倉時代に入ってきた宗教に根を下ろしている部分もあります。
 けれども、少し考えてみると、もっと古い、奈良・平安の時代に遡るような、「唐物」と呼ばれる文化があった。さらに、もっともっと古い、縄文・弥生時代から日本人のもっていた感覚があります。キヨメ・ケガレの感覚であるとか、山の中に別世界があるという感覚、あるいは花を通じて人と神が結ばれているという感覚です。
 それら底辺にある感覚を、生活文化という回路を通じて、茶の湯は取り込んでいます。回し飲みも、唇が触れることを通してタブーを破る、タブーを超える境界線というものを、日本人はどこかにDNAのようにもっているのかもしれません。

◉熊倉先生の学問研究の歴史を教えてください。
ーー最初は単純で、中世文化、歴史の研究をやりたいという気持ちがありました。そのうちに、林屋辰三郎先生の『中世文化の基調』という本に出会いました。そこに「中世の文化は民衆の文化だ」とあり、非常に感動したのです。
 卒業論文では小堀遠州の茶の湯について、修士論文ではもう少し広く寛永文化について書きました。就職して民族学者らとおつき合いするようになり、茶の湯は古代まで遡ることができ、人類学的に、世界史的に考えなければいけないことに気づいたのです。
 研究を進めていくと、近代の茶の湯研究がされていないことがわかりました。そこでその分野の研究に取り組み、学位論文になったのが『近代茶道史の研究』です。

◉お茶やいけばなを実践することの意味や心構えについても伺えますでしょうか。
ーーお花にもお茶にも社会的使命があります。それは何かというと、日本人が現在急速に捨てつつある生活文化を、一つの構造体として保存することです。
 例えば、今やわれわれの生活のいっさいが火から切り離されることを強いられている。私はもうじき「火遊び」という言葉が死語になるのではないかと思っているほどです。それは、われわれが、火の感覚を喪失することです。伝統的な感覚として、火は清らかなものだと認識されてきました。罪業を焼き清めてしまう火の力、あるいは火祭りや灯明などに見られる火に対する信仰、火の美しさ、火を保つことの大切さなどの感覚が日常生活から失われつつあります。これらを教えるのは、今では唯一茶道の炭点前なのです。
 お茶やお花を教える方には、生活文化の伝統を担っているという自覚と、それを次世代に伝えるという使命感、これが何よりも必要だと考えています。(元放送大学客員教授・国立民族学博物館名誉教授・静岡文化芸術大学名誉教授)

熊倉功夫先生の『茶の湯といけばなの歴史 日本の生活文化』はこちらから。