【第7回】新書で考える「権利意識」 道幸哲也

放送大学叢書通信007号(2012年10月発行)より、道幸哲也先生のエッセイをご紹介します。
 北海道労働委員会の委員になってから三十年近くになる。労働委員会は、不当労働行為の救済と組合がからんだ集団的労使紛争の調整を目的とする。それ以外に、個々の労働者と会社との間の個別的労使紛争の解決をも目指している。残業代の未払い、退職の強要、パワハラ・セクハラ等多くの問題が持ち込まれる。

その一環として労働相談を受けることも多い。これらの労働相談を受けて強く思うことは、相談はするが具体的なアクションを起こす人が極端に少ないことだ。匿名であり、会社名を告げずに相談するのが一般的である。また、具体的な解決を求めるケースも案外少ない。さらに、自分のリスクではなく、労働委員会が自分に代わって解決してほしいという虫のいい要請もある。不満はあるが会社と対峙するまでの気合いはないわけである。

法律の世界では、権利とともに自分の権利を具体的に守る「権利意識」が重要である。権利意識の土壌の上に権利が構築される。ところが、労働法の領域では、この権利意識がどうしても弱い。若い労働者ほど会社に従順で権利主張をしない傾向さえある。

なぜ、わが国においてこの権利意識がこれほど弱いのか。多くの文献が示唆的な議論を展開しているのでそれをみてみよう。

もっともベーシックなものは川島武宜『日本人の法意識』(岩波新書・一九六七年)である。前近代的な日本人の法意識を所有権や契約と関連づけて論じたこの本は古典といえる。しかし、それから半世紀を過ぎてもそれほど変化がみられない現状をどう考えたらいいのだろうか。

より日本人のメンタリィティーからの検討としては、大平健『やさしさの精神病理』(岩波新書・一九九五年)が示唆的であった。対立構造を回避するとい形で発揮される「やさしさ」を症例をふまえ多様な観点から論じている。「人々は、お互いの気持ちに立ち入らぬよう細心の注意を払いながら、空疎なコトバを交わす一方で、コトバのいらぬウオームな関係を大切にする」(一七五頁)。なるほど、相手にもやさしさを要求するので、厳しい指導がパワハラにみえるのあろう。ここで自己宣伝をすれば、パワハラの法理については、道幸哲也『パワハラにならない叱り方』(旬報社・二〇一〇年)を参照にしてほしい。

その他に社会的排除やいじめをめぐる論議も興味をもてた。目立たないことは自分を守るための基本的な戦略である。

では、どうすればいいのか。ブラック企業に対しては当然として、会社のソフトな抑圧や違法行為にたいしてどう声をあげればいいのか。

互恵的協同社会の実現を提唱する門脇厚司『社会力を育てる』(岩波新書・二〇一〇年)は、日本の現状からすればいまいち緊張感に欠けた議論という感じがする。他方、辛淑玉『怒りの方法』(岩波新書・二〇〇四年)は、バトルの仕方としては秀逸だが、権利主張には使いにくい。

最近、若者雇用との関連では、コミュニケーション能力の涵養が重視されている。しかし、あくまで相互理解、よりはっきりいえば上司の気持ちの理解が中心である。相手の気持ちを忖度する形のコミュニケーションが望まれているわけだ。これでは権利主張の難しい。どうすべきかは、やっぱりよくわからない。

(放送大学教授)