【第9回】自分史からの探求 山田知子

放送大学叢書通信009号(2013年12月発行)より、山田知子先生のエッセイをご紹介します。
自分史からの探求 山田知子

幼い頃からピアノを習っていた。漫然と練習しながら、将来はピアノか声楽か、いや、男勝りの私は、指揮者がいちばんあっているなあ、とどちらにしてもクラシックの道に進むとぼんやり考えていた。しかし、小学校高学年になるに従って私は音楽よりもっと違う世界、私を突き動かす別の大きな世界があるように思いはじめた。子ども心に自立した女性の人生選択とはなにか、考えていた。

そのころ、クリスマスプレゼントとして母から贈られた『樋口一葉』(持丸良雄著)の伝記を何度何度も繰り返し読んでいた。嗜みとしての文学ではなく、職業人としてはじめて小説家となった女性、一葉。恋に破れ、貧しくとも自らの才能を信じ、あふれるように書き続ける鬼気迫る最期の奇跡の一四ヶ月、その短い一生にはげしく共感し、傾倒したことを思い出す。土蔵にこもって草双紙を読みふけって針仕事などに興味を示さない娘夏子(一葉)に小言をいう母親タキ……。今でもその冒頭部分を挿絵とともに思い出す。女性であることから出発し、家父長制の壁に突き当たり、傷つきながらも、逃げることなく社会の矛盾を突き、素手で立ち向かっていく強靭な意志力。それは、反面教師としての私の母の姿に重なるものだった。日々、旧弊的な家父長制の権化のような父と闘いながらも結局、討ち死にしている母、高学歴で確かに能力もあるにもかかわらず、社会制度の不備もあり、よき妻として子どもの教育に専念する道を歩んだ母の姿。それに反駁する娘としてのいらだちが底にあったと今になって思う。それは結婚、子育て、それだけじゃない女性の生き方を探さなければならないという衝動にも似た感情ではなかったか。女性も世界を見、ソーシャルに生きることが必要なのだ、と新たな世界に歩みだす生き方を模索していた。

そんな時、一番ヶ瀬康子先生の「スウェーデンの女性たち」という新聞記事(朝日新聞)を読んだ。社会福祉学者が、障がい者や子どもや高齢者の福祉ではなく、先進的なスウェーデンの生き生きとした女性の働く姿を紹介しながら、女性の人権や自立、社会進出について語っていた。女性の人権をまもることから社会福祉を考える、それは、理論研究や社会現象の分析のみに終始するようにみえる男性学者を中心とした既存の学問より魅力的に思えた。生活現実から立ち上げ、いま困難にある人々の生活問題を解決する、という実践科学としての社会福祉学に大いに興味をもった。

以来、女性の人権を核にして社会福祉学とは何か、を考え続けてきたように思う。恩師の一冊をあげるとすれば、『女性解放の構図と展開−自分史からの探求』である。今は男性を含め男女共同参画、多様な接近が図られているテーマである。しかし、この本はまさに昭和二年生まれの先生の自分史から出発している。同じ年の母の人生とも重なる。男性社会の中で抑圧され、もがき、また、戦争で傷ついた世代の女性としての怨念のような問題意識から生活問題に斬り込もうとしている。リアルで赤裸々な自分史から出発すること、それこそが社会福祉学という学問の基点なのだと教えてくれる。

先生は長い療養生活の末、昨夏、他界してしまった。こんなことを書いている私をどこかで「相変わらず甘いね」と叱りながら、それでも微笑んで見守ってくれているように思う。苦い青春の日々、下積みのわが院生時代と重ね、今となってはこれもまた懐かしい一冊である。(追記:忍従の人生から解放されるように母もまた今夏逝った。女性が社会の中心になって活躍する日が来ることを待ち望んだこの世代の思いを受け止め、微力ながら、次に繋げたいと思う今日この頃である。)(放送大学教授)