【第13回】大昔、そこにあった本 小城勝相

放送大学叢書通信013号(2014年12月発行)より、小城勝相先生のエッセイをご紹介します。
 団塊世代の子ども時代、五〇円から買えた岩波・角川・新潮文庫を読むのが主な楽しみだった。当時も感じていたが、子どもの人生経験など無に等しく、意味がわからないまま多くの本を読んでいた。科学者をめざしたのは、手塚治虫の漫画の影響かもしれない。

学生時代、主に欧米文学を読んだが、人類が何を問題にし、どのように考えてきたのかを知りたかったからである。日本文学は古文を読めないので現代小説になるが、当時は生意気にも日本の小説の多くは些末な私小説風の作文で、人生の重大事とは無縁だと思っていた。また、西田哲学など日本の哲学はさっぱりわからなかった。

他方、欧米文学は重大事を扱っていても屢々違和感を感じた。その理由の一つは背景にキリスト教があるためである。極端な例だが、デカルト、スピノザ、パスカル等が神の存在を理論的に証明する無茶な論理にはあきれた。彼らは最初から神の存在を前提にしているのである。神の存在も非存在も理論的には証明できない。それが可能ならとっくの昔に宗教の形が変わっているはずである。

信仰心のみが神を支えているので異教徒の私には理解できず、欧米文学も正当に理解できないのだろう。聖書にある通り、「御子(イエス)を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている」のだ。量子力学に関するアインシュタインの「神はサイコロを振らない」という言葉が有名だが、宗教が自然観・研究観に深く影響するらしい。私には理解し難いことだが、後に研究生活でそれを経験することになった。

私の主な研究テーマは、生命維持に必須であるが、同時に体内で活性酸素になって我々の死を準備する皮肉な分子「酸素」で、酸素の毒性が亢進した「酸化ストレス」の評価法である。酸化ストレスが老化、癌、動脈硬化、アルツハイマー病、糖尿病合併症などの原因とされている。論文を欧米の学術雑誌に投稿すると審査員から、「この論文はdescriptiveである」という理由で何度か掲載を却下された。descriptiveとは、単に新しい現象を発見して記述しただけという悪い意味の言葉である。

私は俳句のような自然現象の「写生」を目指していた。例えば、ヒトの体内で酸化ストレスにより増加し動脈硬化の原因となる分子を発見し、その量の変化を追うような研究である。しかし欧米人はその分子を減少させるような「操作」を加えることに意味を感じるらしい。キリスト教徒が主流の自然科学では、自然を操作して人の役に立てるという考えが強く、私とは価値観が違うので論文の評価が違うのも当然である。

一方、宗教と無縁な『資本論』で、マルクスは資本主義社会の分析において「商品」をキーと見抜き緻密な分析を始めた。学生時代に読んで殆ど忘れていたこの本に影響されたのかどうかは不明だが、前記の研究では酸化ストレスを正確に反映するキーとなる分子を探索する方法を採った。六〇兆個の細胞からなるヒトと七〇億人超が関わる世界経済、どちらも超複雑系だが似た方法論で分析できるのかもしれない。

科学の本では、高校時代にファラデーの『ロウソクの科学』に感心し、科学の世界に三〇年いたら若者向けにあのような本を書こうと決めた。大卒後三十二年目に講談社ブルーバックス『生命にとって酸素とは何か』を出版した(昨年絶版)。ずっと酸化反応の研究を続けてきたためファラデー同様、酸素が主人公になった。

このように思い返してみると、大昔の読書が色々な意味をもっていたようである。(放送大学教授)