【第21回】内田伸子『ごっこからファンタジーへ』 秋田喜代美

放送大学叢書通信021号(2016年9月発行)より、 秋田喜代美先生のエッセイをご紹介します。
 私は大学で家族社会学を学び、銀行員として働いた後、家庭で専業主婦をしばらくしていた。しかしそんな生活に飽き足らず、子どもを出産したことを機に子どもの事を学びたくなった。そこで学士入学をして、再度大学の三年生に入りなおし、子どもの発達心理学や教育心理学を学び始めた。

もともとの興味関心が、自らの子育てから始まっているので、さまざまな心理学の研究がある中でも、特に乳幼児期の研究に関心が向いた。そして、その当時の新たな研究に自然に目が向いていった。その時に出会ったのが、お茶の水女子大学教授であった内田伸子先生の研究だった。子どもたちに物語の始まりを聞かせてその続きを語ってもらったり、そのお話の記憶を調べるという一連の研究を記した学会誌掲載論文だ。

ちょうど心理学の中でも認知心理学という学問分野が台頭していた。文章を理解する認知過程についての研究は一九七〇年、八〇年代には大人を対象にして始まり、その知見を幼児期の文章の理解や算出の発達研究に応用することを、内田先生をはじめ国内外の人が手掛け始めた時期であった。

学会誌論文として興味深く読んでいたこの研究がもとになった本が刊行されると知ったのは、「これから出る本」という情報誌だった。そのときから、その内田先生の『ごっこからファンタジーへ』(新曜社、一九八六年刊)の刊行を心待ちに日々を過ごした。

メモをしておいた発売日に、私は大学生協書籍部に向かった。まだネットで本を注文するなどなかった頃である。書棚に並んでいた新刊を手にとり、その日誰よりも早くその本を自分が手にしたうれしさに、そのま新しい本を買うとさっそく一気に読み終えたのを覚えている。

その本に紹介されている、先生の研究の一つ一つはすでに学会誌などで読んで知っている。それでも一般むけにわかりやすく説明され、しかも子どもたちの語るお話の実際の語りの内容が記されている文章をワクワクしながら読んだ。論文と本は違うのだと感じ、いつか自分も子どもたちのことを研究して、論文だけではなくこんな本を書けるようになってみたいなあと思いながら繰り返し読んだ。出版される日に書店まで走っていって購入した本は、私の人生の中では、おそらくこの本しかない。

本を読み終えた後も、その本を他の人よりも先に読んだことがうれしくて、指導教員だった大村彰道先生に「内田先生の本が出たのをご存じですか?」と、研究室まで本をもって話にいったことを覚えている。

このようにインパクトをもった本は、表紙や挿絵から、使われていた紙の質や厚さ、手にした時の感覚まで今も覚えているから不思議なものだ。実はその当時、私はまだ内田先生に直接会ったことはなかった。その後先生の授業を受けたり、研究会にも足を運ぶようになるのだけれど。一冊の本の魅力が、私もこんな分野の研究をしてみたいという心の灯となった。

子どものころからさまざまな本と出会い読書を楽しんできた。しかし自分の人生の中でやりたいことのイメージを、こんなにも鮮烈に与えてくれた本は、この一冊の本だけである。本が人に与えるインパクトを、私は自分のこの経験から学んだように思う。 (東京大学大学院教授)