【第10回】大学の教科書 鈴木一史

放送大学叢書通信010号(2014年2月発行)より、鈴木一史先生のエッセイをご紹介します。
大学の教科書 鈴木一史

私は一九九〇年代の初めに米国の大学で計算機科学の学部生として数年間を過ごした。そして、この時期に多くの本を読むことになった。米国の大学の場合、学部授業では、教科書が非常に重要な役割をもっている。授業に合格し、良い成績を取るためには、授業で指定された教科書を読みこんで内容を理解しなくてはならない。文科系の学部であれば、一週間ぐらいで、厚い教科書を何冊も読まなくてはいけないような課題が出ることもしばしばである。一般的に米国の大学の教科書というのは、サイズが大きく重い。教科書によっては本の厚さが七センチを超えるようなものも数多くある。そして、頑丈なハードカバーと呼ばれる丈夫な製本になっており、本に使われる紙も厚手で頑丈にできている。米国の大学生がキャンパス内で、バックパック(リュックサック)のようなものを背負っている風景を映画等で見たことがある方も多いと思うが、それは、これらの大きく重い本を何冊も運ばなくてはいけないためである。

学生にとって、教科書は非常に高額なものであり教科書は特別な存在である。教科書によっても差はあるが、当時、だいたい一冊で三〇〜八〇ドルの値段であった。そして、高いものでは一〇〇ドルを超えるものもあった。一ドルでパンが三斤分ぐらい買え、大学の学生宿舎の一ヶ月の家賃が一五〇ドル程度であることを考えると、教科書が非常に高額であることがわかる(当時の為替レートは一ドル一六〇円前後)。したがって、多くの学生にとって、教科書にかかるお金というのは重要な問題であった。そのため、中古本(教科書)のビジネスは活気があった。学生同士で直接、教科書を売り買いするケースもあったし、大学の本屋にも中古の教科書が売られ繁盛していた。中古の教科書の値段は様々で、本の状態が良ければ新品に近い価格で売られ、そうでない本は非常に安い価格で売られた。中古本の中には、本の表紙がちぎれて無くなっているものや、三つぐらいにバラバラになった状態の本なども売られることもあったが、こういった状態の悪い本は、数ドル程度で売られるため、価格の安さから人気があって、店頭に本が並ぶとすぐに売り切れた。価格を考えたら教科書のコピーをすればと思えるのだが、大学では、学生がコピーした本を授業に持ち込むことを禁じており、違反した場合には、授業は不合格となるような厳しいルールがあった。米国では本のような著作物に対して強い尊敬の念があり、法律でもその権利は厳格に守られていた。

私が大学を卒業するころには、思い入れがあり中古本として売ることができなかった計算機科学の教科書”Data structures: form and function, H.F.Smith” “Compilers: Principles, Techniques, and Tools, A.V.Aho” “Introduction to Computer Graphics, J.D.Foley”などを含め、たくさんの教科書がダンボール数箱分集まった。日本へ郵送したら大変な値段になるのではと悩んだが、米国の郵便では、本には優遇措置があって中サイズ(五〇センチ四方)ぐらいのダンボール箱に本だけを詰めて米国から日本へ船便(約二ヶ月程度)で送っても五〇ドルぐらいの郵送料だった。重さは三〇〜四〇キロはあったが、破格の値段である。米国の本に対する特別な措置やルールには驚かされた。

大学を卒業してから二十年以上たった。現在では、米国の大学では電子教科書などが利用されることも多いようだが、重くて厚い教科書は今でも使われているのであろうか。学生の教科書に対する思いがどう変化しているのか、気になるところである。(放送大学准教授)