【第12回】そこにあった本は、今もここに 島内裕子

放送大学叢書通信012号(2014年8月発行)より、島内裕子先生のインタビューをご紹介します。
ある一冊の本との出会い。それが出会いと感じられるほどに、忘れがたく心に印象づけられたならば、その本は、ふとした折に心が帰ってゆく、なつかしい故郷。ときどき書架から取り出せば、胸がときめいて、どきどきする初夏の窓辺……。

けれども、わたしの場合、十代の半ば頃、国語の授業で出会った『徒然草』は、まるで青葉風に吹かれてふわりと着地したかのように、教室からわたしの机の上にやってきて、そのままいつも、ここにある本なのである。

『徒然草』は、心の奥に小さなきれいな文学の泉をひっそりと湧き出させてくれる本で、なにげない文章や、ほんのひとふしの言葉のつらなりが、まるで自分の言葉のように、息づく。

今、この文章を綴っているのは、三方を窓に囲まれた二階の書斎で、今日は部屋中に爽やかな五月の風が吹き渡っている。「きららかならねど、木立もの古りて」(第十段)、ささやかな庭もこの季節は「よろづの花紅葉にも勝りて」(第百三十九段)とある通り、樹々が清涼感をたたえている。

そう言えば、「五月の風をゼリーにして……」と書いたのは詩人・建築家の立原道造だった。彼はとても新しい感覚を持っていたが、「方法論」という論文では、建築は「すべての果敢なさ、虚無性」を持つ、などと書いている。こんなことを書いたら、ずいぶんと逆説的で、建築家の根幹にかかわるのではないかと、驚かされたが、『徒然草』第二十五段にも、まさにそのようなことが書かれている。そういった、その人の人生の根幹にかかわるような言葉が、『徒然草』にはちりばめられている。

先年、ドイツ文学者で評論家の中野孝次著『すらすら読める徒然草』(講談社文庫)の解説を書く機会に恵まれた時、中野孝次が『徒然草』と深く向き合い、自分の人生に吸収し切って生きたことに、胸を打たれた。中野孝次の、自己を律する生き方の根源を垣間見たからだ。『徒然草』との対話が、そのまま人生となる生き方を貫いた先達として、はっきりと中野孝次の姿を刻印できたのは、うれしかった。

うれしいと言えば、全貌を実見するのはとても無理だろうと、なかば諦めていた美術品にも、ついに巡り会えた。これまで展覧会にもほとんど出品されてこなかった、海北友雪筆『徒然草絵巻』全二十巻が、近年サントリー美術館に収蔵され、一般公開の運びとなったのである。一段だけ絵が欠落しているが、それ以外すべての段を描いたこの絵巻が、今後多くの人々に共有され、『徒然草』の魅力も共感され続けるだろう。それが何より、うれしい。

ある一筋につながる生き方、そしてそこからもたらされる幸せを、『徒然草』では、藤原定家の日記からの引用で、「道の冥加」と書いている。その言葉の深い含蓄に頷きつつも、実はちょっと気にかかる言葉が一つある。『徒然草』には、生涯一筋の生き方を、「一生このことにて暮れにけり、と拙く見ゆ」とも書いているからである。

透徹した『徒然草』ならではのこの言葉を、常に心に留めつつ、それでもなお、やはり『徒然草』は、そこにあった本であり、そして今も、これからも、ここにある本である。(放送大学教授)