【第15回】抵抗の新聞人 鮎川潤

放送大学叢書通信015号(2015年7月発行)より、鮎川潤先生のエッセイをご紹介します。
 この時代を突き抜けたい。自分が生きている現在の社会を、先入観にとらわれることなく冷徹な目で認識したい。

今まで、本を執筆するたびにこのことを自分に言い聞かせてきた。それを問い返す際に、いつも念頭に置いてきた人がいる。戦前の新聞人、桐生悠々(本名政次)である。

どのようにして桐生悠々と出会ったのだろうか。『他山の石』かもしれない。「他山の石」という言葉の意味がわからなくて百科事典で引いたときに、桐生悠々がいくつかの新聞社で主筆の地位を追われ、最後に発行していた個人誌『他山の石』についての説明が出てきたのがきっかけだったかもしれない。

ただ、青から黄へとシリーズが変わった鮮やかな表紙の色とともに、井出孫六著『抵抗の新聞人 桐生悠々』(岩波新書、一九八〇年)がまぶたに焼きついている。

掲載されている写真がうれしかった。東京での自堕落な大学生活、愛知県の新聞での行き過ぎではないかと考えられる政敵批判など、桐生悠々を理想化しないで書かれているのもすがすがしかった。

桐生悠々に問題言論人のレッテルを貼られることが決定的となったのは、『信濃毎日』に執筆した社説「関東防空大演習をふ」(一九三三(昭和八)年)であった。

大々的に宣伝されて行われた防空演習に対して、敵機を関東や首都の上空に迎え撃つなどということは、もうすでに敗北を意味しているのである、灯火管制などしても赤外線で識別されるので無意味であるなどと指摘し、軍の逆鱗に触れた。

明治天皇に殉じた乃木希典将軍に対する賛美一色となってきたマスメディアの状況をよしとせず、「」と喝破して批判を浴びたりもした。

実は、私は「解説」や「解釈」は不要で、原典を自分の目で確かめて考えたいと思うほうだ。そのような人には、桐生悠々の文章を集めた『畜生道の地球』(中公文庫、一九八九年)がいいかもしれない。ドキッとするタイトルだが、題名に用いられた桐生悠々の元々の文章では——今も女子高生の間で使われているのかどうかはわからないが——「チョー」が付き、「超畜生道」となっている。

桐生悠々は社会主義に対しては批判的で、自称するように「貴族的民主主義者」に過ぎない。戦前の日本はそうした立場の人の言論までも封殺していった。ただ、私が指摘したいのは、戦前には言論の自由が奪われていたということではなく、そうした言論の自由を抑圧することについて、誤った主張や発言を除去するのは当然だと一般の人々も考えており、そのもとで言論弾圧が行われていったということだ。

桐生悠々は、彼が反対していたアメリカ合衆国との戦争が始まる数ヶ月前に病死した。一九四一(昭和十六)年の終刊となる『他山の石』の原稿は、自分が「超畜生道に陥った地球の表面から消えうせることは歓迎」だが、「自分が理想とした戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることはいかにも残念」であると書いた。最終号も発禁処分とされ、この文章を人々が目にすることはなかった。

私たちが正しいこととして受け入れていることのうち、何がほんとうに正しいのだろうか。(関西学院大学教授)