【第19回】ライフスタイルの指南書 大久保孝治

放送大学叢書通信019号(2016年6月発行)より、大久保孝治先生のエッセイをご紹介します。

 
 池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』(平凡社)は雑誌『太陽』一九七六年新年号から七七年六月号に連載され、連載が終了した年の十二月に単行本として出版された。私が新潮文庫に入ったこの本を読んだのは、一九八二年の冬のことだった。私は本を読み終わると、それが面白い本であった場合、裏表紙の隅に小さな字でそのときの私の年齢と季節を記入しておく習慣がある。この文庫本の裏表紙には「27才 冬」と記されている。そのとき私は大学院の博士課程の二年生だった。

池波の本を読んだのはそのときが初めてだった。彼の時代小説のファンというわけではなかった私がこの本を手に取ったのは、軽妙洒脱なタイトルと著者自身が描いた表紙の絵に惹かれたためだが、実際に読み始めて、たちまちその文章に魅了された。

私は散歩が好きで、食べることも好きなので、よくこの本をポケットに入れて散歩に出た。実際に本で紹介されている店に行ってみたりもした。しかし、やがて気がついた。この本は美味しい店の紹介本のように利用すべき本ではないと。

この本に書かれているのは、いや、描かれているのは、「馴染みの店」という場所で展開される、うまい料理とそれを作る人とそれを食べる著者との交流、そしてその背景にある著者の人生の記憶なのである。『散歩のとき何か食べたくなって』はそうした空間的な広がりと時間的な厚みのある物語なのである。三十年以上も前に読んだこの本はいまでも私の座右の書である。ライフスタイルの指南書といってもよい。

池波がこの本を『太陽』に連載していた一九七〇年代後半という時代は、「第一の個人化」(イエやムラといった前近代的集団から個人が解放され、家庭や企業といった近代的集団に個人が吸収されていく過程)の波がそのピークを越え、「第二の個人化」(家庭や企業から個人が離脱していく、あるいは排除されていく過程)の波が水平線の向こうから近づきつつある時代だった。そして、いま、「第二の個人化」の波はいよいよ大きくなっている。未婚者の増加や非正規雇用者の増加のデータが示す通り、長らく個人の生活の二つの強固な足場であった家庭と職場はその強度を失いつつある。

浮遊する個人の新たな足場となるべきものはなにか。この問題を私は『日常生活の探究 ライフスタイルの社会学』(左右社、二〇一三年)の中で「空間の拡張」という概念を用いて考察した。私たちはリアル空間、電話空間、ネット空間、作品(物語)空間、空想(妄想)空間といった多様な空間の中を生きているが、ネット空間が社会生活のフロンティアであることは異論のないところで、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が有力な足場となるだろうことは間違いない。しかし、その一方でリアルな空間における新たな足場を志向することも大切で、社会学者オルデンバーグはそれを「サードプレイス」(家庭と職場以外の場所)と呼び、「カフェ」をその典型としたが、池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』は「馴染みの店」という「サードプレイス」の実践報告、一種のユートピアの物語として読むことができるだろう。 (早稲田大学教授)