【第20回】アルベール・カミュ『結婚』 柏倉康夫

放送大学叢書通信020号(2016年8月発行)より、柏倉康夫先生のエッセイをご紹介します。

 
 昔から良い作品や文章を読んだとき、感動の証しに、背筋が震えることがよくある。その最初の体験が、高等学校二年のときに読んだアルベール・カミュのエッセイ集『結婚』だった。夏休み直前の古文の授業時間に、教科書に隠すようにして読んでいて、突然背中がぶるっと震えた。

読んだのは新潮社の窪田啓作訳だったが、学校からの帰り道、都電を神保町で降りて、古本屋の田村書店で原著のLes Nocesを手に入れた。六十頁ほどの薄い本には、「ティパサでの結婚」「ジェミラの風」「アルジェの夏」「砂漠」の四篇が収録されていた。

フランス語は高校一年からアテネ・フランセで習っていたので、夏休みになると、辞書を片手に夢中で読んだ。冒頭の「ティパサでの結婚」の印象がとくに鮮烈で、その感動が半世紀たっても忘れられず、最近、『結婚』全篇を翻訳して発表した。

「春、ティパサには神々が住み、神々は太陽とアプサントの香りのなかで語る。海は銀の鎧をまとい、空は真っ青で、廃墟は花でおおわれ、光は石の堆積の間で煮えたぎる。ある時刻、野原は太陽のせいで黒く見える。眼は睫毛の先でふるえる光と色彩の雫以外のものを捉えようとするが無駄だ。芳香性の植物の豊饒な香りが喉を刺し、並外れた暑さのせいで息がつまる。風景の彼方に、村を取りまく丘陵に発して、確実でしかも重々しいリズムで海中に蹲ろうとするシュヌア岬の黒い塊を、ぼくは辛うじて目にすることができる。……」

アルジェリアの太陽と空と海は、若く貧しいカミュに無限の富をあたえてくれる。謳われるのは限りない生の歓喜であり、死さえも強い光に照らされて陰鬱さを滅せられる。

「ぼくはここで、人が栄光と呼ぶものを理解する。それは際限なく愛する権利のことだ。この世にはたった一つの愛しかない。女の身体を抱きしめること。それはまた、空から海へ降ってくるこの不思議な歓びをわが身に引きとめることだ。もうすぐ、ぼくはアプサントのなかに身を投げ、その香りを身体に染み込ませると、あらゆる偏見に逆らって、一つの真実を達成したいと意識するだろう。それは太陽の真実であり、死の真実ともなるだろう。ある意味では、いまここでぼくが演じている生だ。熱せられた石の味と、海や今まさに鳴きはじめた蝉の吐息に満ちた生だ。微風はさわやかで、空は青い。ぼくは手ばなしでこの生を愛している。」

十六歳の私が、カミュが語るすべてを理解したとは思えない。ただ、人間は精神だけでなく身体でもって世界と接して、歓びを感じるべきだということは十分に感得できた。

大学へ進んだ私たちフランス語既習組は、駒場の一年のとき、パスカルの大家、前田陽一先生から講読の授業を受けたが、テクストはカミュの短篇集『追放と王国』だった。そして本郷へ行くとすぐに、前田先生の大学院での『パンセ』講義の聴講を許され、テクスト批判の大切さと方法を徹底的に教え込まれた。カミュが取り持ってくれた縁であった。 (放送大学名誉教授)