【第23回】厚い本 大森聡一

放送大学叢書通信023号(2017年2月発行)より、先生のエッセイをご紹介します。
 電車での通学が始まってから、最近になって、なぜか近くのものが見えにくくなって車内で本を読むのが辛くなるまで、通学や通勤中に文庫本を読み続けてきました。乱読雑読、という感じでしたけれど、記憶に残る本は沢山ありました。でも、その本をいつ頃読んだとか、その時の自分や友達や、季節とか、そういうことは文庫本の記憶とは繋がっていないのです。

文庫本とは別に、どうにも厚い本が気になる、という時がありました。たぶん、その本が厚い、ということに意味があって、雰囲気にあこがれたのかもしれません。そんな厚い本の何冊かには、確かにその時の思い出があります。そんな本のことをお話ししたいと思います。

大学に入学した年は、まさに、私の「厚い本」ブームの時期でした。で、その当時話題になっていた『ゲーデル,エッシャー,バッハ』に手を出しました。けっこう高い本だったので、図書館で借りて、何度か借りて読んだのですが、なんだか、ちっともわかりませンでした。そもそも基礎知識が無かったのですが、抽象的なものや芸術に興味があったけれど、私の頭はそっち方面には向いていないのか、とがっかりしましたね。でも、この本のテーマだと思われる再帰性や、挿絵のエッシャーのだまし絵は、後になって、研究と意外な関係がでて来たのですが、それはまだ先の話です。

この年には、もう一冊印象に残る「厚い本」がありました。それは、『良い戦争』という、厚さも文字の量も圧倒的な本です。第二次世界大戦について、人々が、今、私がお話ししているようなこんな感じで語ったインタビュー集で、主観的な体験談が集められています。百人以上ですね。そこで語られている内容からは、感じ方、生活の環境、立場、価値観、そのようなものの多様性が、実にリアルに迫ってきました。その頃、まだ海外に行ったことも無かった私は、この本には、圧倒されるものを感じました、世界っていうのは本当に大変だ、と。

『情報の歴史』は、博士課程に進学した年に買った「厚い本」です。たしか、夏、プールの帰りに。霊長類が出てきた七千万年前から本の出版直前までの人類の歴史を、地域やテーマごとに平行に編集した、四百ページくらい、ほぼ年表だけの年表集です。この本の網羅性というか俯瞰性は、私のツボにはまりました。そして、既存の知識を集めて編集することで新しい発見が生まれるということも知りました。その頃、私は、やっと院生室に自分の机をもらって、夜遅くに『情報の歴史』をパラパラとめくって、しばらく飽きなかったですね。科学、技術や、芸術の出来事の順番はなんとなく知っていても、それと世界史、日本史の流れがリンクしてなかったので、その発見がとても面白かったのです。

ところで、私の専門は岩石学で、これは地質学の一分野です。地質学というのは狭い意味では地球の歴史を扱う学問で、そこに山があるから調べる、という研究の段階から始まって、『情報の歴史』が出版された頃には、世界の地質の研究が蓄積されて、地域や時代ごとの地質と地球内部や宇宙の現象を総合的に関連づけて、「なぜ」地球はこういう惑星になったのか、ということを解明しよう、という研究がたち上がってきました。そのためには、やはり包括的な年表の作成が必要で、いずれその様な研究の一端に加われるだろうか、と思いつつ、一方で,これまでの膨大な研究の蓄積がだんだん見えてきて、畏れ、みたいなものを感じていました。本当に知らないことばかりだ、ということが、身に染みてきたのです。そんな頃でした。

当時の自分のことを話そうと思っても、なんだか、その頃の自分なのか、今の私が解釈し直した自分なのか、よくわからなくなりますね。当時を思い出すために「厚い本」を久しぶりにちょっとだけ読み直してみたのですが、やはり厚いのは良い、と思う、それは今でも同じです。 (放送大学准教授)