【第24回】長編小説に魅せられて 木村龍治

放送大学叢書通信024号(2017年7月発行)より、木村龍治先生のエッセイをご紹介します。
 高校二年の頃、長編小説の面白さを知った。最初に読んだ長編小説は『チボー家の人々』(ロジェ・マルタン・デュ・ガール)である。高校の廊下の窓枠に本を置いて、立って読んでいたところ、教師が通り過ぎた。その教師は、私がいつも小説を読んでいることを知っていたのか、「小説ばかり読んでいないで、受験勉強をしろ」といわれた記憶がある。その予想は当たり、一浪することになった。

しかし、当時の自分には、長編小説が必要であった。受験の現実から、別世界に逃げ出したかったからだと思う。長編小説は、読書に没頭すると、別の現実世界に入り込んだような錯覚を与える。

『チボー家の人々』をきっかけにして、『ジャン・クリストフ』(ロマン・ロラン)、『戦争と平和』(トルストイ)、『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)、『ガラス玉演戯』(ヘルマン・ヘッセ)、『「絶対」の探求』(バルザック)、『ヨゼフとその兄弟たち』(トーマス・マン)などを読んだ。そこで感じたのは、日本の小説家は、あまり長編小説を書かないということである。源氏物語は例外として、現代の作家の作品は、西洋の小説ほどスケールが大きくない。島崎藤村や高橋和巳の小説も読んだが、私の読書遍歴は、もっぱら、外国の著作に偏ってしまった。もし、日本で、翻訳が行われていなければ、私は別の人間になっていただろう。

多くの本は、青春時代の通過儀礼として内容を忘れてしまったが、印象に残る本といえば、メレジュコフスキーの『神々の復活』である。レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯を十五〜十六世紀のルネサンス期のヨーロッパ社会を背景に描いた長編小説である。この本で「探求者」としてのレオナルド・ダ・ヴィンチを知り、その後、レオナルドに関心をもつようになった。

その後の人生にもっとも影響を与えたのは、トーマス・マンの『魔の山』である。筑摩書房版世界文学大系の三段組の本は今でも手元にある。この本は、その後、五回繰り返して読んだので、『魔の山』の小説世界は、かなり私の頭に入っている。スイスのダボスには行ったことはないが、何か、故郷のように身近に感じられる場所なのである。

当時、私は理系への進学をめざしていたが、『魔の山』の主人公は、若い工学者で、やや立場が似ており、感情移入がしやすかったのであろう。彼は、いとこを見舞いにダボスのサナトリウムに出かけるのだが、自分も結核にかかっていることが発覚して、図らずも、長期間、サナトリウムに滞在することになる。その経験を通じて、主人公が成長していく話である。

高校時代の読書体験が、現在(七十六歳)、長編小説を読む楽しみに繋がった。最近、読んだのは、ロバート・ゴダードの最新作「一九一九年三部作」である。文庫本六冊の大作である。考えてみると、『チボー家の人々』も『魔の山』も、第一次大戦前後の時代設定である。ヨーロッパ社会が大きく転換する時代であった。「一九一九年三部作」は、タイトルが示すように第一次世界大戦直後のヨーロッパ(+日本)が舞台である。主人公は、終戦によって職を失った若いイギリス陸軍航空隊のパイロットで、相棒である戦闘機の整備士の助けを借りて、大活躍する。おそらく、ゴダードも、若い頃に『チボー家の人々』や『魔の山』を読んだに違いない。その読書体験がこの長編小説を書かせる原動力になっているのではないだろうか。(東京大学名誉教授)