【第25回】思い出の一冊「近代歌謡集」 竹内道敬

放送大学叢書通信025号(2017年10月発行)より、竹内道敬先生のエッセイをご紹介します。
 大学ではほとんど勉強らしい勉強をした覚えはない。芝居の演出家か、映画監督になりたいと思って、映画はずいぶんたくさん見た。海外作品ではフランス映画が中心で、日本で紹介された作品はほとんどすべてを見たと威張っていたほどである。昭和三十年までの四年間に、洋画、邦画あわせて一千本は見ている。そのほかではいわゆる新劇も見ていたから、大学の成績は最低で、就職などは論外だった。

それが一転して大学院に進学したのだから、何から手を付けたらいいのか。大学院には当時歌舞伎研究の第一人者である河竹繁俊先生がいらっしゃったので、歌舞伎研究からスタートしようとしたが、歯が立つはずがない。二、三の入門書を探して読みはじめたが、さっぱりわからない。それなら歌舞伎の誕生から読みなおすしかないと気を取り直して読むことにしたが、はっきり言うと誰もわからないということであった。要するに歌舞伎はかぶき踊りから始まっているのである。そのかぶき踊りの唄は、文句だけが残っていて、リズムもメロディもわからないのである。それならどなたもわからない点は同じだと気がついて、その文句を調べることからスタートした。

そこで古本屋をさがしているうちに、すごく大きな本に出合った。「日本文学類従」というシリーズのうちの『近代歌謡集』である。昭和四年博文館発行の、藤田徳太郎の編輯で革表紙風の厚い本。本文七三四ページ。タテ二七センチ、ヨコ一五センチ、厚さ四・五センチ。目次を見ると「近代歌謡史略」があり、「女歌舞妓踊歌」があった。たびたび「近代」とあるが、いまでいう「近世」である。そして今まで見たこともない江戸時代の歌謡書が、いくつか紹介されていた。『松の葉』『落葉集』『吟曲古今大全』『麓廼塵』など。さらに『小唄吾聞久為志』の後には、「踊音頭集」として江戸時代に流行した「ゑびや節」や「鉄仙流踊口説」まで入っている。それらについて簡略な説明と語注までが記されている。さらにうれしいことに巻末には詳しい索引まである。

この本にはどのくらい世話になっただろう。表紙が取れてしまい、ガムテープで補修したが、悲惨な状態になってしまった。その後には前に記したような歌謡書は原本の複製が出たし、研究も進んだので、次第に書斎の隅でほこりに被ったままになっているが、こういう本は捨てるに捨てられない。私はその後に日本音楽の研究に進んだが、その時々に参考にさせていただいた『声曲類纂』(岩波文庫)も、同じく藤田徳太郎の校訂で、三味線音楽研究には欠かせない名著である。そのほかにも近世歌謡に関する著作が多数ある。昭和二十年下関で戦災死したというが、この人になら師事したかったと切に思う。 (放送大学客員教授)