【第27回】思い出すことなど 坂井素思

放送大学叢書通信027号(2018年3月発行)より、坂井素思先生による西部邁先生への追悼文をご紹介します。
 左右社の放送大学叢書『西部邁の経済思想入門』をお書きになった西部邁先生が逝去された。先生はかつて人生の十五年周期説を唱えていた。十五年ぴったりというわけではないのだが、一九三九年に生まれ多感に過ごした北海道時代の「幼少年期」、六〇年代安保の学生運動時代とそれ以後の「青年期」、横浜国大・東大などでの大学教師時代の「壮年期」、多作な評論家時代の「熟年期」、そして「老年期」とそれ以後とに分けられるだろう。その伝えでいうならば、わたしは先生の第三期目壮年期に公私ともにお世話になった。

この第三期の大学教師時代に、西部先生は何を教え、わたしたち学生は何を学んだのだろう、と正面切って問われると何とも不確かなのだが、わたしが横浜国大での講義を受けたときには驚きから始まったことはたしかだ。ちょっと板書はするのだが、何も見ずにストレートに九〇分語り尽くす独特の講義スタイルが一年間続いたのだ。なぜ何も見ずに講義するのかと尋ねたことはないのだが、学生運動時代に吃音を直すために札幌の豊平川でビスマルクの演説集を読み上げた話は聞いたし、六〇年代安保での車上からの演説は、「泣きの西部」と称されていたことも友人から教えてもらった。近代経済学批判という新しい海に乗り出すには、それなりのスタイルが必要だったのだろう。

学ぶ方からすれば、この講義スタイルには、講義以上の何か鬼気迫るものを感じていた。わたしたちは自らの未熟さを忘れて、夜を徹して没頭したのだった。このスタイルについて行くには、自分で問いを発し、反芻して考えるという構えが必要だったのだ。たぶんわたしが「スタイルを学んだ」などといえば、直ちに「スタイルだけを抜き出して学ぶことなどできない」という紙つぶてが飛んでくることは間違いないのだが、あえていうのであるが、講義の底に最後に残基されるのは内容ではなく、結局はスタイルだと思う。講義を超えゼミを通じて、生き方にまで影響を与えたスタイルがあった。先生もよく引用していた文芸批評家のチェスタトンの言葉「絵の本質は額縁にあり」に通ずるものがあるのだ。

もうほとんどの方は知らないのだが、放送大学内にも西部先生の伝説が存在する。当時東大駒場から赴任された嘉治元郎先生が副学長だったので、西部先生が客員として授業科目『近代経済思想』を担当することになった。現在でも、ときどきこのストレートトーク・スタイルのアーカイブ放送をみることができる。冒頭に掲げた放送大学叢書の一冊はこのテキストをベースにして、左右社の小柳学氏が編集した書物だ。この授業科目は、四単位三十コマの長時間テレビ科目だった。ふつうは、この半分の十五コマのテレビ授業なので、一日に二コマを二週間おきくらいで収録する。テレビ科目では、シナリオ作成などもろもろの準備がかなりたいへんなのだ。ところが、西部先生は一週間でテキストを書き上げ、一日三コマ制作でほぼ十日間連続でテレビ収録を行ってしまったのである。十五コマの授業であっても、八日間かかってしまうのがふつうなのであり、また連続で作ってしまった方がいるとも聞いたことがないから、おそらく三十コマ十日間連続で制作という最短記録は未だ破られていないと思われる。収録の帰りには、近くに住んでいた作家の後藤明生氏宅へ立ち寄る余裕もあったのだ。

またあるとき、西部先生がわたしの妻の勤め先に現れたので、わたしが論文をなかなか書けないと伝えたことがあったらしいのだ。それに対して、先生はいつもの笑顔で「サカイ君には考えていてもらうだけでいいと伝えてください。書くことは僕に任せて」とおっしゃったそうだ。著作スタイルだけはずっと残るだろうが、このような真面目と戯れの交じった生の声はもう発せられることはないのだ。 (放送大学教授)