第1回 機内は星付きレストラン

 食に携わる者にとって、飛行機の機内食は苦痛以外の何ものでもない。狭いエコノミー席で隣の乗客にひじ鉄でも食らわさぬかと気を使いながら、プラスチックのフォークとナイフを駆使するのは煩わしいことこのうえなく、またそれ以前の問題として、料理の味がイケるとはお世辞にも言いがたい。客室乗務員が配膳を始めた途端、機内に漂う再加熱された料理の匂いに顔をしかめるのは、うちの奥さんばかりではないだろう。
 それでもここ数年、航空各社は収益率の高いビジネスクラスのお得意様を確保しようと、機内食の開発に有名シェフを起用したり、ワインのセレクトをソムリエやワイン専門家に任せたりと、機内サービスの質的向上に力を入れてきた。例えば日本航空(JAL)の成田ーパリ路線でビジネスクラスの機内食を担当するのは、独創的な料理で知られる山田チカラさんとパリ在住の出張料理人・狐野扶美子さん。ワイン選びは日本初のワインジャーナリスト、有坂芙美子さんだ。
 フランス出張が多い私がよく利用するのはエール・フランス(AF)だが、コードシェアの関係でJALの機材とクルーということも少なくない。今年の3月、フランスのシャンパーニュ地方とボルドー地方を立て続けに取材した際に利用したのもAFだが、成田からの往路がJALのコードシェア、帰路はパリを深夜に出るAF機だった。帰りをAFにしたのはもっぱら時間的な理由だが、じつはもうひとつ別の目論見もあったのだ。AFのビジネスクラスの機内食では、ミシュランのスターシェフが考案した料理が選べるようになっており、2月から8ヶ月間はホテル・リッツのメインダイニング「レスパドン」のミシェル・ロットという2つ星シェフ。以前には3つ星のジョエル・ロビュションが担当していた時期もあったという。
 搭載されているスターシェフの料理には限りがあり、ジェットセッターの知り合いも「食べ逃した!」とツイッターで騒いでいた。それで、機内食を取らずにさっさと寝てしまう、短期出張客の多い深夜便をわざわざ選び、さらに念には念をと客室乗務員が機内食の好みを真っ先に尋ねに来る、キャビン前方の席を確保した。ところが……。
 その日は悪天候でフライトが乱れ、昼間乗れなかった乗客がこの深夜便に振り替えられた。このような場合、エコノミークラスが満席になると、溢れた乗客がビジネスクラスに無償でアップグレードされることがある。インヴォランタリー・アップグレード、略してインボラだ。インボラは上級クラスに見合う身だしなみ人を、カウンターやゲートの職員がチェックして選んでいるとの噂を耳にしたことがあるが、実際にはチケットの予約クラスやマイレージカードのグレードをコンピュータが自動的に割り出し決めているらしい。
 搭乗が始まり、空港のゲートで搭乗券を機械に入れると、ブブッと音がして券が吐き出されてしまった。もともとビジネスクラスだったので、「まさか(ビジネスからエコノミーへの)ダウングレード?」との不安が一瞬頭をよぎったが、ゲートの職員が「フェリシタシオン(おめでとう)」と言うではないか。なんとビジネスからファーストクラスへのアップグレード。いくらインボラでも席数の少ないファーストへの昇格は珍しい。
 離陸までの待機中に振る舞われたシャンパンは、ファーストクラスにふさわしくローラン・ペリエ社の最高峰「グラン・シエークル」。料理はこれまたミシュラン2つ星「グラン・ヴェフール」のギィ・マルタン監修である。しかしながら、オードヴルのフォワグラのテリーヌはビジネスクラスでも選べるはずだし、メインの子牛のロティは料理がシンプル、かついささか火が通り過ぎていて期待外れ。ビジネスクラスのままなら、今ごろ、ミシェル・ロットのより洗練された料理が楽しめたのだろうか……と、贅沢すぎる後悔の念を抱きつつ、2005年のシャトー・スミス・オー・ラフィットという極上のボルドーで「まぁ、いいか」と気を取り直した。食後、フルフラットのシートに横たわるとそのまま深い眠りにつき、気がつけば飛行機は日本海上空。その後も渡仏の機会はあったものの、いまだミシェル・ロットの料理にありつけず仕舞いなのがなんとも口惜しい。(by柳忠之)
「グラン・シエークル」:「偉大なる世紀」という名をもつ、ローラン・ペリエ社の最高峰シャンパン。名付け親はかのド・ゴール大統領だ。
「シャトー・スミス・オー・ラフィット」:ボルドーのグラーヴ地区における格付け銘柄。シャトーはスパ付き高級ホテルを併設する。2005年は秀逸な年。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/