第8回 シャンパーニュ気質:その2

 シャンパーニュは、いつ飲んでも美味しくて幸せな気分にしてくれる飲み物だ。ただ、それほど安価ではないのでいつでも飲めるとは限らない。それでも年末年始はちょっといいボトルを開ける理由がつけられる格好の時季なので、facebookなど見ていても華やかなラベルをいくつも眺められて楽しい。
 先だってシャンパーニュ地方へ行った折に、最後に訪問した造り手も、何か特別な理由をみつけなければ飲めないかもしれない、という部類に入る。誌面などで「カリスマ的」という形容詞がつけられるアンセルム・セロスが当主の「ジャック・セロス」。もちろん彼の造るシャンパーニュにも興味があってのことながら、奥方のプロデュースだと聞くホテル&レストランに一度泊まってみたいという欲望も今回の訪問を後押しした。柳さんの知人でセロスと親しいというフランス在住の人物を介してアポイントを入れようとしていたのだが、宿泊客は、当主のアンセルム・セロスが不在でさえなければ、直接話を聞くこともできるし、試飲もできるという特典つき。予約は必要だが特に取材でなくともアポイントがとれるのは、セロスのファンにとってはとてもいいシステムだ。
 ただ、困ったことに「セロスはフランス語しか話さない」というのだ。ワインの専門用語ならまだしも、どうやって乗り切ろうかと考えあぐねた末、出発前にiPhoneのアプリで日仏辞典を購入するという、ひそやかな装備だけはすることにした。

 さあ、実際に会ってみると確かにフランス語しか話さない。だから、予め言っておいた。「申し訳ないけれど、フランス語は苦手なんです」と。すると、一瞬怪訝そうな表情を見せたような気もするが、親切なことに、ひとつの事柄の説明に対して例を複数挙げてくれるのだ。例えば熟成の話。「パルミジャーノは、1年熟成ではたいして美味しくないだろう? 2年や3年熟成のほうが美味しいにきまっている。生ハムだって・・・」。ある一定期間以上の熟成により、素材となるものの個性がより明確に引き出される、というのが彼の信念のひとつなのだ。
 ともあれ、耳と頭を必死で使う半ば修業のような時間ではありながら、アンセルムのポリシーや造らんとしているワインの姿(彼の作品はシャンパーニュというよりワインと言ったほうがよいように思う)を把握。その後ホテル内のレストランへ向かったのだが、何とそこにもセロスのワインの個性をまさに体感する手立てのひとつがあると気がついた。
 夕食のメニューはコース料理のみなのだが、前菜、魚、肉、と食べるごとに、ここの料理を食べるならセロスのワインを飲んで! というメッセージが含まれているように感じる。例えば魚。タラのようなプリッとした触感の白身魚のポワレが、白ネギ、カブ、それにオレンジが添えられた、オレンジ風味のコンソメスープに浮かび、ローストしたアーモンドスライスのトッピング。弾力のある触感、オレンジの香り、旨み、トースティーな香り、どれもセロスのワインに感じられる要素ばかり。ちなみに肉は、ソフトながら食感のある鶏肉で、アボカドやジャガイモが添えられ、レモン風味のソースとドライトマトのペーストのトッピング。お一人様の夕食ではありながら、なかなか満足感の高い時間を過ごすことができました!

 さて、翌朝は一路日本へ。シャルル・ドゴール空港までの乗り合いタクシーを頼んでいたので、朝食をすませると荷物をまとめて早めにロビーで待機。フロントといっても小さなホテルなので狭いカウンターがある程度なのだが、アンセルムがそこで黙々と事務仕事をしていた。
 確か約束の時間の10分前ぐらいから待っていたと思う。でも、タクシーはなかなか到着しない。何度か時計を確認していると、アンセルムが「何時に約束したんだ?」と聞いてきた。もう約束の時間になっていると話すと、タクシー会社の電話番号を聞いて、フロントのスタッフに電話をかけさせた。どうやら、ドライバーはもう出発しているので、間もなく到着するだろう、という返事。ところが、それから5分経っても10分経っても来ない。次に、「飛行機は何時に出発なんだ?」と聞いてきた。しかも、英語で!?「少しは話せるんだよ」とニヤリとしながら。そして今度は自分でタクシー会社に電話して、詰問。それから更に10分ほど経過してからだろうか。中年の女性があたふたとロビーに入ってきた。約束から遅れること約30分。アンセルムはドライバーに向かって「もし飛行機に乗り遅れたらどうするんだ!」と怒鳴るように言うので、彼女はまるでご主人様に怒られた犬のようにしょげ返ってしまった。
 だから、車のスピードが相当速かったのは言うまでもないが、運転中もずっと申し訳なさそうな雰囲気が漂っていた。私は、じっと我慢してCDGの道路標識が見えるのを待つことにした。こういう時には成り行きに任せるしかないのだ、という諦観がいつからか身に付いてしまったのかもしれない。後ろの席でジタバタしても仕様がないのだ。ところが、ようやく空港に到着して目的のターミナルに着こうとしたのに、なぜかそこを通り過ぎてしまった。91_第8回_写真_JSホテル「アヴィゼ」ロビー_sそれにはちょっと驚いて「えっ!? ここでしょ?」と叫んでしまったのだが、彼女はまだむっつりとして表情で運転し続けて地下へ降りた。駐車場に車を止めたのだ。そしてトランクから荷物を出すと自分でそれを引きながらズンズンと進んで行く。チェックイン・カウンターまで先導して、まだチェックインが可能なことを確認すると、荷物を渡して、ようやく頬をゆるませた、といっても苦笑いのように見えたけれど。細かいところはわからなかったが、アンセルムは相当きつい言い方をしたんだ、、、と、その時ようやくわかった。
 無名の小さな生産者からカリスマ的な存在へと上り詰めた人だから、30分もの遅れなど許しがたい行為だったにちがいない。もし仮に私が飛行機に乗り遅れていたら、ドライバーは一体どうしてくれたのだろうか?(by名越康子)
「ジャック・セロス」:「その1」で紹介した「ピエール・ペテルス」同様にシャンパーニュ地方のコート・デ・ブラン地区にある小規模な生産者。造り方も独特で生産量も少なく、日本でもたいへん人気が高いので入手困難。(参考記事:WinePressJapanより「アヴィーズ村のカリスマで奇才、アンセルム・セロス
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/