第9回 ワインの味と写真の味

 昨年、取材用のカメラを一新した。それまで使っていたのはオリンパスのフォーサーズ一眼レフで、レンズはおまけに付いてきた暗めのズーム。写りはそれなりだがコンパクトで軽く、海外ロケに持ち出すにはすこぶる具合がよかった。そもそも雑誌の特集ではプロのカメラマンが最新の一眼レフを携えて同行するので、こちらの撮影は記録に過ぎない。だから正直なところ、写りさえすれば文句はなかったのである。ところが……。
 帰国してから写真の整理をしてみると、その気合いのなさっぷりにはうんざりするばかり。オートフォーカスでピンボケはめったにないし、露出もカメラ任せでさほど狂わない。手ブレ補正が効くから暗い場所でも手持ちでなんとかなる。反対にシャッターさえ押せばきちんと写るので、構図も光の具合も気にせず撮った無駄なカットばかりが乱造される。結果的にマックのライブラリーに残しておこうと思える画像は、全ファイルの5分の1にも満たない有り様。きれいにそつなく造られているのに、醸造家の信念が感じられないワインと同じで、どうにも味気ないのである。
 前置きが長くなったが、新規に導入したのはライカだ。ご存知ない方のため簡単に説明すると、ライカは日本製ではなくドイツ製のカメラメーカーで、1925年に世界で最初の35mm版フィルムカメラを発売した。以来、(それこそ日本のメーカーと比べれば)ゆっくりと改良を重ね、自動露出機構を備えたM7を発表したのが2002年。デジタル版のM8が2006年。そして35mmフルサイズのセンサー(撮像素子)を搭載したM9を2009年に発売した。
 M8はM9よりもセンサーの大きさがひとまわり小さく、黒いものを撮るとマゼンタ被りを起こすという欠陥もあって興味がわかなかったが、35mmフルサイズのM9には多いに魅かれた。けれども、80万円近い価格とあっては、逆立ちしたって買えやしない。
 それが一昨年、M9からいくつかの機能を省略した廉価版のM-Eが追加されて状況が変わった。アンスラサイトと呼ばれるグレーのボディーカラーが今ひとつ自分の趣味に合わなかったが、アベノミクス以前の円高のおかげでM9よりも大幅に安い価格に私の心は揺さぶられた。それで、もうフィルムカメラを持ち出すこともなかろうと、それまで使っていたM6という自動露出機構ももたないライカを売りに出し、さらに中判カメラのハッセルブラッドも売り払ってM-Eの軍資金に充てたのだ。足りない分は分割払いにして……。こうして私の手元にライカのデジタルカメラがやってきたのである。
 ライカのMシリーズはニコンやキヤノンの一眼レフカメラとピント合わせの構造がまったく違う。オートフォーカスではなく、レンズのピントリングを指で回しながら、ファインダーに出てくるふたつの像をぴったり合わせることで合焦する。
 露出こそM7以降、絞り優先の自動になったが、その精度はニコンやキヤノンの普及機にすら及ばない。救いはフィルム時代と違ってその場で画像を確認できることで、暗かったり明る過ぎれば露出補正ダイアルを回して調整できる。それでもなおホワイトバランスの精度がいい加減なこともあって、ひとつのファイルが36メガバイトにもなるRAWで撮影し、後で調整するのがお約束となっている。
 おそらく、ワインとは無関係な話をここまで辛抱強くお読みくださった多くの人が、なんでそんな面倒くさいカメラをありがたがって使うんだと思われることだろう。M3からM5までの伝説的な機種と比べてだいぶ後退するのは確かだが、デジタル世代のモダンなライカになっても人の手により組まれて調整された、ある種の温もりが感じられることが理由のひとつ。それにピントがマニュアルで連射も利かないので、必然的にひとつのカットを撮るのに神経を集中させることになる。傑作をものにするにはまだまだ鍛練が必要だが、以前に比べると無駄なカットが大幅に減った。さらに造り手のポートレートを撮影する際、ライカを知ってる人は喜んでポーズをとってくれるし、プロ用一眼レフの威圧感がないせいか被写体の表情が穏やかになるのも、このカメラを使う大きな理由だ。
 ライカM-Eの購入を決断したわけはほかにもある。レンズ資産の活用だ。
 M-Eには古くは1930年代に遡るライカ製レンズを使うことができる。昔のレンズは今のようなコンピューターによる設計ではなく、設計者が紙と鉛筆で光線追跡をしながら計算していたから、すべての収差を補正し切れていない。それがレンズの味となって、独特の描写をもたらしてくれるのだ。
 このレンズの収差をワインに喩えるなら、そう、雑味だろう。例えばブレタノミセスと呼ばれる馬小屋のようなオフフレーバーは、衛生状態が完璧ではない醸造施設のワインにしばしば見られる雑味のひとつである。90年代半ばまでのシャトー・タルボやシャトー・グリュオ・ラローズのワインには、必ずといってよいほどこの馬小屋臭が出たものだ。この手のフレーバーは強過ぎると不快だが、ごく小量感じられる分にはワインの複雑味として好意的に受け止めることもできる。
 じつは生粋のライカコレクターである義父が希少なレンズを多数所有しているので、昨年の暮、家内が娘を連れて里帰りした際に、義父のコレクションから2本のレンズを借り出してもらった。そのうちの1本、ズミクロン35ミリは通称8枚玉と呼ばれる名玉である。
 さっそくこれを取り付け、玄関先のポインセチアの鉢植えを絞り開放で撮ってみた。ピントのあった中心部分はピシッと解像しているのに、球面収差のせいか薄いベールが全体にかかり、妖しい雰囲気を醸し出している。それは随分前に味わった、1985年のシャトー・ムートン・ロッチルドのまどろむような味わいを、私に思い起こさせたのである。(by柳忠之)
「シャトー・タルボ」「シャトー・グリュオ・ラローズ」:ともにフランスはボルドー地方、サン・ジュリアン村の格付けワイン。前者が4級、後者が2級。
「シャトー・ムートン・ロッチルド」:フランス・ボルドー地方、ポーイヤック村の格付け1級ワイン。毎年有名アーティストがラベルをデザインすることで有名。1985年はポール・デルヴォー。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/