第10回 美味しいオーストラリア

 オーストラリア南東部にある、メルボルンを州都とするヴィクトリア州のワイン産地を巡る、という取材の旅へ出た。この州は南部の半島は南極に近い位置にありペンギン見学ツアーがあるくらい、比較的冷涼な気候にある。北へ向かえば標高が高くなるので、冬には雪も積もるなど、その分更に気温が下がる。だから、今世界的にも注目のエレガントで上品なスタイルのワインが生まれる産地がいくつもある。その現場へ実際に行ってみよう、というわけだ。
 とはいうものの、実際に南へ向かって飛んだのは5月半ばのこと。5+6=11なので、日本でいえば11月半ばぐらいの気候で、晩秋、もしくは初冬といったところだろうか。今の時代は便利なもので、インターネットで検索すればたとえ海外の田舎であっても、気温や天気予報がわかる。随分冷え込んでいるようだからと、ダウンコートを引っ張り出したりホッカイロを買い込んだりと、スーツケースを防寒グッズでいっぱいにして出かけた。
 ヴィクトリア州政府、オーストラリアワインのプロモーションを行っている政府の行政機関「ワインオーストラリア」の支援あっての取材だったので、それぞれから一人ずつアテンドしてくれた。州政府からはオーストラリア人女性で、彼女は相当なカメラの達人だということが後になってわかった。特に被写体が鳥や動物で美しく、動きのあるものの場合、その動きを想像させるように撮るのは至難の業なのだが、彼女はそれこそプロなみの腕前だった。柳さんといい勝負かもしれない。そして「ワインオーストラリア」からは日本人男性のTさん。とても流暢な英語を話す人で、当時は東京に住んでいたが、今ではアデレードに拠点を移し、現地の人になってしまった。
 カメラマンは日本語も話せるオーストラリア人男性。日本語が上手な理由は、結婚したお相手が日本人女性だったから。奥さんの里帰りも兼ねてか、毎年日本にも来ているようで浅草はじめ東京の観光スポットにも詳しい。もう一人参加したワインジャーナリストは、最近オーストラリアワインの輸入に力を入れ始めたという韓国からの、小柄で若い女性だった。一見おとなしそうだが、自分の意見をはっきりという気持ちのよい性格で意気投合し、もし韓国を訪れることがあれば美味しい居酒屋に連れて行ってくれると約束した。
 それに私で総勢5名。いや、忘れてはいけない。有能な現地の年配ドライバー。年の功で色々なことに結構詳しく、運転しながら街のことやユーカリのことなど解説してくれるが、お孫さんの話になると、まあ目尻が下がったままで戻らない。そう、こんなメンバー、あわせて6名の旅となった。

 ところで、皆さんはオーストラリアの食に対してどういうイメージをお持ちなのだろう? 私が最初に訪れたのは、最初に勤めた会社の社員旅行でゴールドコーストとシドニーへの旅だった。今ではちょっと考えにくいが、ちょうどバブルが完全に弾ける直前だったので、入社してすぐにそういう機会があった。とはいえ、その旅行中の食事からは、あまりいい印象を持てなかった。後で考えれば、団体旅行の食事なのでよっぽどの予算でない限り、それなりのものしか出てこないのが当然なのだ。
 もう20年以上も前の話なので、正確に何を食べたのか覚えているわけではないけれど、残念なことにその時、オーストラリアの食事は大味で繊細さには欠ける、という印象をもってしまった。でもそういえば、ワインのことは少し覚えている。当時は白ワインといえばシャルドネの時代で、しかも樽香がぷんぷんする、マッチョタイプのものが流行だった。オペラハウスの側のカフェ・バーのようなところで、数名で人数分ほど同じシャルドネを空にしたような気がする。
 ところが、二度目に訪問した10数年前にはオーストラリアワインに精通する人物と数人で行動したため、美味しいものをいただくことができた。なんと野菜がきれいで美味しかったことか! 季節はたぶん初夏だったと思う。トマト、パプリカ、ズッキーニ、何を食べても太陽の恵みをたっぷりと受け、よく熟して、香りも高く、しかも色も鮮やかなのに感激し、すっかりオーストラリア野菜のファンになってしまった。
 たとえばトマトにかぶりつく。日本のトマトは果汁がしたたり落ちるようなみずみずしさが売りのひとつで、ジューシーさは鮮度の指標にもなる。でもオーストラリアのトマトなら、ジューシーというより肉厚で果肉の味がより凝縮して別の満足感を得られるのだ。ともあれ、美味しいワインを知る人は、美味しい食も知っている、というのは万国共通のようで、今回の訪問でもまた、舌鼓を打つことができたわけだ。

 ある日の夜、「カスターニャ」というワイナリーの当主のお宅に招かれた。そして、ここで腕を振るったのは当主ご本人だった。キッチン横の木製の長いテーブルには、すでにお皿が準備されていた。造り手の名前「カスターニャ」はイタリア語で「栗」という意味なので、最初のアミューズ代わりに、ショットグラスのような小さなカップに温かい栗のスープが入っていた。洒落ているし美味しくて、心が躍るとともに身体の中から元気が湧いてきた。もちろん食欲もだ。韓国の彼女も気がついて「なるほど〜」と、嬉しそうに目を輝かせた。
 スープを飲み終えてワインが注がれる頃、リゾット作りと塊の牛肉を焼くのに奮闘しているご当主の大きな背中がすぐそこに見えるので、キッチンサイドにちょっとお邪魔した。リゾットはずっと側についていてかき混ぜ続けなければならないと、某イタリアンシェフM氏から聞いたことがあるので、リゾットを混ぜさせてもらった。たいしたことはしていないのに、ちょっと参戦した気分になれるから、こういう手伝いは楽しい。
 たまに自宅に友人や知人を招いての食事会をする時には、当然ながら主となって作る人を担当する。だいたい準備やサービスに忙しくて、後で気がつくとどの料理もほんの一口食べたか食べなかったか、ということが多い。それでも作り終えた満足感と疲労感でお腹はいっぱいになっているから不思議なものだ。ともあれ、まるでイタリアのビステッカ・アッラ・フィオレンティーナのように厚さが7センチもあるのではないかという、赤身牛肉の塊をひっくり返し焼く姿を見て、これは確かに一家の主が担当という理由がわかったような気がした。やはり焼きは男性に任せたい。この塊肉がテーブルへ移され、切り分けられ始めると、それまで日本と韓国のワイン事情について語っていたTさんはじめ、男性陣から歓声があがった。「カスターニャ」の赤ワインの美味しさも手伝って、彼らがおかわりをしたのは言うまでもない。

89_第10回_photo モーニントンペニンシュラ、メルボルン南方の半島にある「ポート・フィリップ・エステイト」を訪問した時は、ワイナリーに併設されているレストランでランチをご馳走になった。まるでモダンアートの美術館なのではないかと思わせるようなスタイリッシュな建物で、ロビー風の空間やダイニング・ルームは天井まで続く壁一杯のガラスから、外の美しい緑のパノラマが楽しめるだけでなく、遠くにはわずかに青い海も臨めるという地にあった。
 建物をこういうしつらえをするオーナーなのであれば、きっと用意される料理も洗練されているにちがいないと、期待は高まった。「ここのシェフは結構有名なのよ」という、州政府の彼女からの一言でなおのことメニューを開くのが楽しみになった。
 ランチなので皆、一皿ずつオーダーすることにして、私は秋らしいキノコのリゾットを(あら、またリゾットですね)。すると、日本ではあまり見かけない数種類のキノコに加えて栗の小粒も入っていて、ハードチーズのスライスがトッピングされている。ちょうど隣に座っていて、鶉肉を注文したカメラマンさんが「うん。それも美味しそうだね」と、ちょっと羨ましそうだが、彼の鶉も負けていない。さて、一口、二口と食べ進み、あっという間にたいらげた。もちろんお米はアルデンテの仕上げで、なんとも上品な味わいだった。

 他のレストランでも感じたのは、ワインだけではなくて、食事も繊細で上品な方向に進んでいるのだなあ、ということ。もちろん、今回の取材記事を書くのが二人ともアジアの女性だったので、それに合わせてガッツリ系ではないレストランを選んでくれたのかもしれないが、ひとつずつのポーションがこぶりで嬉しいことが多かった。
 それに、色とりどりの野菜を飾りのようにして使ってあるので見た目が美しく、スパイスや調味料の使い方にメリハリがあることも面白かった。胡椒、丁字、シナモンといったスパイスだけでなく、カルダモンなどのエスニック系で香りを華やかにしたり、蜂蜜やバルサミコ酢を使っての甘味をプラス、ナッツやフライドオニオンでカリッとした食感を演出、ヴィネガーやピクルスで酸味をアクセントにしたり。これは欧州やアジアからと様々な国からの移住が多い多国籍の国ならではだろう。ただ、総じて軽快感がありエレガントな傾向にあると感じた。
 一時期、オーストラリアのワインも濃くて凝縮感があるものが評価され、軒並み力強さへ走ったが、その反動で今では冷涼な産地の上品でアルコール度数もそれほど高くないワインへ注目度が上がっている。食が先か、ワインが先かはわからないが、どちらも素材がもつ本来の個性を生かした調理法、醸造法をするのがよいという、自然な考え方が定着してきたからなのだろう。ともあれ、三度目のオーストラリアが一番美味しかった!(by名越康子)
「カスターニャ」ヴィクトリア州の北東部、ビーチワースの造り手。元・映画やテレビのディレクターが、夫妻でワイン造りを開始。オーストラリアでも数少ないバイオダイナミックという自然なブドウ栽培をするワイナリー。
「ポート・フィリップ・エステイト」州の南部、モーニントンペニンシュラで、ワイナリー、ホテル、レストランを経営。「ポート・フィリップ・エステイト」の他に希少な銘柄としても知られる「クーヨン」も造っている。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/