第11回 走るワインジャーナリスト

 年が明けて1月や2月は生産者の来日がめっぽう多い。前年の仕込みも終わって、ワインは樽の中でひと休み。生産者にとってはもっともプロモーション活動のしやすい時期となる。
 来日した生産者は、酒販店や料飲店向けに試飲セミナーを開き、プレスのインタビューに応え、ファンを交えてのランチにディナーと滞在中は息をつく暇もない。そうしたプログラムの一貫で、われわれジャーナリストにもランチやディナーのお声がかかる。しかもありがたいことに多くはミシュランの星付きレストラン。こう書くと、本心からか、はたまた皮肉交じりか「いつも美味しいものが食べられて、貴重なワインが飲めて羨ましい限りですね」と、回りからよく言われる。もちろん、これから発売のワインをいち早く試せたり、場合によってはお金を積んでもなかなか飲めないワインを口にできるのは、ジャーナリスト冥利に尽きるというもの。だが……。

 昼夜立て続けで会食がある日や、フレンチのディナーが2晩続きだと、体力的に辛い年齢になってきた。なにしろ40を過ぎてからというもの、基礎代謝が大幅に低下し、ちょっと間食をしただけでも体重が増える。生来の喰いしん坊で、目の前に出された料理はすべてたいらげないと気がすまないからなおさら具合が悪い。
 久しぶりに袖を通したタキシードのパンツがきつきつで、これはまずいぞと走り始めたのが2005年の夏。すると、コニャックの取材をご一緒して以来、仲良しのレストラン・ジャーナリスト、犬養裕美子さんから山中湖ハーフマラソンに出ないかと誘われた。それを機に年に一度、軽井沢20キロや焼津ハーフなどのレースに参加するようになったのだ。
 思い出しても辛かったのが焼津ハーフ。制限時間130分だからいつもの練習ペースとなるキロあたり6分ではギリギリ間に合わない。それで少しペースアップをしたのがよくなかった。15キロを過ぎたあたりで膝に来て、20キロ手前でとうとう脚がつった。最後は情けないことに、制限時間に間に合わなかったランナーを収容するバスに乗せられ、ゴール地点まで送られたのだ。うつむき加減でバスに乗り込むと、一緒のチームで走っていたレストラン・フーの松本浩之シェフが先に乗車。お互い顔を見合わせるなり、ガクッとうなだれたことを思い出す。
 ランを始めたのと同時に夕食時のご飯は一膳と決め、レストランでもパンには手を付けないように心がけたところ、どうにか大台を切るまで体重を落とすことに成功。おかげでヨーロッパブランドのスーツでも44が着れるまでになった。それまで着ていた46は、胸囲と胴回りはぴったりでも着丈が長過ぎてバランスが悪かったのだ。
 おっと、焼津のレースより何倍も辛かったイベントを思い出した。今から5年前に走った、生涯初にして、今のところ唯一のフルマラソン、メドック・マラソンである。
 フランスのボルドー地方でも、カベルネ・ソーヴィニョンから極上のワインを産するメドック地区。そのメドックのシャトーを巡り、ワインを試飲しながら42.195キロを走り切る、とてつもないレースがメドック・マラソンだ。しかも参加者は仮装が原則で、毎年テーマが決まっている。私が参加した年のテーマは動物だったが、記事が掲載される媒体の都合で仮装はせずに済み、上から下まで大会スポンサーのひとつ、アシックスから支給されたウエアを着てコースに出た。
 いやはやハーフとフルでは大違い。10キロ過ぎあたりのシャトー・ラグランジュまでは余裕綽々。ここは日本のサントリーが83年に取得したシャトーで、シャトー在中の椎名敬一さんはじめ、日本から見えていたサントリーの皆さんが声援を送ってくださった。さらに中間地点のシャトー・ランシュ・バージュには比較的スムーズにたどり着けたものの、その先からが地獄。コース上唯一の格付け1級シャトーであるラフィット・ロッチルドまでは、多くのランナーが地を這ってでもたどり着こうと粘るが、その直後、コス・デゥトゥルネルへと向かう急な上り坂が待ちかまえている。私の体力もこの辺りが限界。あとは足を引き吊りながらコースをたどり、6時間半という制限時間いっぱいの6時間28分でゴールした。

 それ以降、レースには出ていないが、体型維持のため少なくとも週に1回は多摩川の土手沿いを5キロほどジョギングするようにしている。海外出張の際にも、スーツケースにはトレーニングウエアとスニーカーを忘れず詰め込む。取材前の早朝、ボーヌ旧市街の外周路を周回したり、ボルドーのガロンヌ川河岸に沿って走るのは、とても気持ちがよい。
 テレビをつければちょうど日曜に行われた東京マラソンの話題。来日中の造り手、バンジャマン・ルルーもエントリーを試みたが、残念なことにクジで外れてしまったという。彼は真面目なアスリートで、私のように邪にダイエット目的でないのが立派だ。
 来日した造り手との会食もたいせつな仕事のひとつ。一昨日は昼が中国料理、夜がフレンチ。昨日はひと息ついて、今晩はイタリアン。ウエスト30インチのジーンズはまだ大丈夫だが、せっかく着れるようになった44のスーツは、早くも上着のボタンを締めるのが辛くなってきた。この原稿を書き終えたらトレーニングウエアに着替え、多摩川の土手へと向かうことにしよう。(by柳忠之)
「シャトー・ラグランジュ」:83年にサントリーが取得した、サン・ジュリアン村の格付け3級シャトー。取得当時は荒れ放題で、格付けに満たない品質だったが、サントリーが見事に立て直した。
「バンジャマン・ルルー」:人気急騰のブルゴーニュ地方の造り手。ポマールの名門、ドメーヌ・コント・アルマンの支配人をしながら、自分自身のワインも手がける。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/