第12回 マデイラへの女子二人旅

 かれこれ二十年以上も前になるけれど、初めて鳥取から東京へ出てきて住みはじめた時に一番ショックを受けたのが、目黒区のマンションの水道水だった。蛇口から出てくる水をそのまま飲むのには結構な覚悟が必要だったが、今ではそれほど気にならなくなってしまった。鳥取では水道水は何の変哲もないただと水だと思っていたが、東京の水は特徴がありすぎて真夏のプールを思い出させた。
 実家がある鳥取には、年に何度か帰る。たいてい娘と一緒なので、女子二人旅だ。日本で一番人口の少ない県というだけあり、東京から比べると本当に田舎なのだけれど、人が少ない分自然が多く、公害も少ない。水がとてもきれいなことに加えて普通に売っている食べ物が何でも美味しいのが自慢のひとつだ。倉吉市の水道水がペットボトルが売られているのを見た時には首をかしげたが、これはどうやらお蔵入りしたようだ。
 さて、東京へ戻る前のお楽しみのひとつがお土産探し。いつも、何か新しいヒット商品が出ていないものかと、ショップの陳列棚を一通り見てまわる。試食をすることもある。でも、結局手を伸ばすのは石谷精華堂の「打吹公園(うつぶき)だんご」。
 白・黒・抹茶のこしあんで包まれた餅が串に刺さっている三色団子で、賞味期限は2、3日ほどしかない。できたその日に食べるとなんとも柔らかくてほどよい甘さがたまらず、1本食べて終わることはない。思わず2本、3本と手が出てしまう。3人家族だと、10本入りの箱は2日もあれば空になる。柳さんもそうなのだが、一度お土産で持ち帰ると必ず皆が気に入ってくれる。だからいつも買うことになる。
 京都河道屋の蕎麦ぼうるだとか、伊勢の赤福だとか、地方の名物菓子は日本全国津々浦々に存在する。そして海外でも同じようなことがあることを、マデイラへの女子二人旅の時に発見した。

 初めてのポルトガル行き、しかも大西洋に浮かぶ小さなポルトガル領のマデイラ島への旅は、初対面のバーテンダー、Mさんと。彼女は東京にも住んでいたことがあるが、数年前から故郷の福岡へ戻ってバーでシェイカーをふるっている。マデイラワインとのつきあいは私より長いけれど、訪問するのはやはり今回が初めてだった。
 Mさんは福岡から羽田経由で成田まで来てから国際線なので、旅行の途中で疲れが出はしないかと少し心配していた。ところが成田で初めて対面すると、Mさんは、にこやかでハキハキとした口調のエネルギッシュな人で、一週間の旅友として肌が合いそうだとすぐにわかった。Mさんと私は、たぶんタイプが正反対で、いわゆるデコボココンビだったのだと思う。長期間一緒に過ごすには、こういう風に異なるタイプの人とのほうがお互いに補完し合ってしっくりくる時がある。汗っかきなMさんに対して冷え性の私の体質に似て、気質も温と冷という感じだから、良い具合にバランスがとれた空気ができあがるのだ。

 さて、二人で訪れたマデイラ島は酒精強化ワインの「マデイラ」を造っている、長い歴史のある島だ。フレンチの肉料理でソースとして使われることが多く、フォアグラや鴨肉などとの相性がとてもよい。ペリグーソースといわれる黒トリュフ入りの豪華なソースには、必ず用いられている。けれど、今回はソース用ではなくて、そのままワインとして飲むプレミアム・クラスのマデイラを理解するための取材旅行だ。
 地図で確認すると、この島はポルトガル本土よりアフリカ大陸に近い。「大西洋の真珠」と呼ばれるヨーロッパ屈指のリゾート地でもあり、亜熱帯気候で暑い。そして、島そのものがまるでひとつの山のように切り立っている。ほとんど平地がなく、ブドウ畑はどこも段々畑で、目もくらむような断崖絶壁もある。この島にいる間に自転車をまったく見なかったのは、ほとんど急な坂道なので、登り道はペダルを踏めず、下る時しか運転できないからだと思う。そういえば、ワイナリーを訪問する際に困ったのは、曲がりくねった道が多いので、マデイラを味見して酔っぱらうより前に車に酔ってしまいそうになることだった。
もしかしたら、このままiPhoneを落としてしまうのでは? と手を振るわせながらも断崖絶壁の上から撮った青い海。
もしかしたら、このままiPhoneを落としてしまうのでは? と手を振るわせながらも断崖絶壁の上から撮った青い海。
 ちなみに、プレムアムのマデイラは甘口のほうから「マルバジーア」「ブアル」「ヴェルデーリョ」「セルシアル」とブドウ品種が決まっている。Mさんの好みは「ブアル」、私は「セルシアル」で、温と冷の好みは甘口と辛口に分かれた。ただ、辛口といっても「セルシアル」で残糖分がスパークリングワインの半甘口タイプ「ドゥミ・セック」と同じぐらいある。甘いには甘いが、同じポルトガルの酒精強化ワインとして有名なポートと違って酸味が高いので、後味が爽やかなのがマデイラの共通した特徴でもある。
 もうひとつポートとの大きな違いは、マデイラは加熱して酸化させてしまうこと。瓶詰めされた商品は既に酸化しているので、抜栓してから半永久的に風味が変わらないという利点がある。だから、3日間のワイナリー訪問中に自分の年より古いマデイラを何度飲ませていただいたことか! もうすでに栓は空いているから、惜しげもなく両親の生まれ年とか祖母が生まれるより前だろう、という古いマデイラの味見をさせてくれた。とはいえこちらは、いいコメントをしないと…と毎回緊張したのだが。
 私たちの訪問中にちょうどブドウの収穫祭が始まって、街の目抜き通りの広い遊歩道には屋台のバーがいくつも出ていた。商店が並ぶ大通りで、遊歩道が真ん中にあり車道がその両脇を挟んでいる。立派な街路樹の木陰もあり、通る風が心地よい。たくさんの人が、飲んだり話したり散歩をしたり、ゆったりとした時間が流れていた。そこでマデイラ島のバーテンダー協会の会長さんがいるのをMさんが見つけて挨拶をすると、ノリのよい会長さんから「じゃあ、ひとつ一緒に作ってみるか?」と声がかかり、マデイラ&ジャパンのバーテンダー二人が並んでBGMに合わせるようにシェイカーを振る、という即興が披露された。近くのベンチで飲んでいる人たちからも拍手喝采で、大いに盛り上がった。

 帰路はリスボンで4時間ほど待ち時間があったので、少し観光でもしよう、ということになった。ジェロニモス修道院やベレンの塔も見たいという欲望はあるのだが、やはり女子は花より団子で二人は食欲にまかせてある目的地へと足を急がせた。リスボン名物のお菓子を食べたかったのだ。
 Mさんの情報では、ジェロニモス修道院近くの繁盛店でポートを飲みながらそのお菓子を食べるのが、リスボン訪問の王道だという。それに、ちょうど前日アテンドしてくれたマデイラワイン関係者が「パスティス・デ・ナタ」は必食のお菓子だと絶賛していた。ふたつともゲットできるとは限らないが、とりあえず修道院方面へ向かうことにした。
 ある曲がり角まで来ると、正面にジェロニモス修道院が、右手には鮮やかなブルーのテントを張り出したお店が1軒あり、店の前には人だかり。Mさんは、店の入り口のショーケースに群がる人たちの間をすり抜けて、脇目もふらず中へ進んで行く。私はひたすらMさんの後を着いて行く。ポルトガル特有の青い色をしたタイルが壁中にはめ込まれて、椅子やテーブルは簡易な、カフェの雰囲気。カップルや女子同士、親子、それに日本のおばさまグループまで見つけてしまった。皆おしゃべりに夢中で、店内にはザワザワと人の声が波打ち、店の人気ぶりを誇らしげに示す効果音のようでもあった。
 面白いことにこのお店は、まっすぐではないのだ。右へ行って、左に曲がってと、まるで迷路を歩いている気分だ。それでも、どのテーブルも埋まっている。最後に広間のような部屋へ行き着くと、やっと空きテーブルがチラホラ見られた。元は小さな店舗だったのが、繁盛に繁盛を重ねて隣の家、そのまた隣の家と、拡大、進出していったのだろう。
 席に座ってメニューを眺め、ここで二人ははたと顔を見合わせた。Mさんの知人が薦める店の看板商品と、現地スタッフお薦めのお菓子は、なんと同じものだったのだ。「パスティス・デ・ナタ」がリスボン名物のエッグタルトの現地名称で、特定の店の商品名ではないということ、そしてこの「カサ・パスティス・デ・ベレン」は、そのエッグタルトの老舗だったのだ。
 パリパリッとしたパイ生地に、クリーミーな卵黄たっぷりのカスタードが詰められて、こんがりと焼かれている。この温かいエッグタルトは、懐かしいような味がしてクリームの柔らかさとパイの固さという食感のコントラストがあるのがいい。今回の旅のコンビでいえば、Mさんがクリームで私がパイといったところだろうか。甘さが控えめだったで、ふたつめはテーブルに置かれている粉砂糖とシナモンをふりかけて食べた。
 メニューには他にも色々なケーキやサンドイッチのような軽食まで載ってはいたが、ほとんどのテーブルで「パスティス・デ・ナタ」をほおばっていた。やはり、ここでしか味わえない特別な味なのだ。実は、ベテランのウエイトレスさんは、注文を受けるとすぐに「テイクアウトは?」とお土産の購入を促してきたので、ついつい6個入り一箱をお願いしてしまった。賞味期限が2日あるというから、大丈夫かな、と一瞬頭の中をよぎったが、どうしても日本で待つ家族に食べさせたかった。この名物菓子もまた、鳥取の「打吹公園団子」のように、リスボン帰りには欠かせないお土産となるのだろう。今度またいつ行けるともわからないけれど。(by名越康子)
「マデイラワイン」
マデイラの特徴は、酒精強化した後に熱処理によって酸化熟成させることにあり、その方法は大きく分けてふたつある。人為的な加熱処理をエストゥファジェン、自然に任せる方法をカンテイロと呼び、後者のほうがゆっくり長期間にわたり、より上級品に施される方法。辛口のほうから「セルシアル」「ヴェルデーリョ」「ブアル」「マルバジーア」とブドウ品種がラベルに表示されるタイプは、いずれも上級品。
「セルシアル」の10年ものを冷蔵庫に1本常備しておく、というのが個人的なお薦めです。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/