第13回 ワイン産地で泊まるなら……。

86_photo_01 ワイン産地を巡る旅が始まり、この原稿も旅先のホテルで書いている。今年も海外出張の予定が目白押し。2009年に更新したパスポートは、すでに半分以上が入出国のスタンプで埋め尽くされてしまった。このまま同じ頻度で海外渡航を繰り返せば、有効期限を迎える前に余白がなくなることは間違いない。
 さて、1週間以上におよぶ長丁場の取材では、日本でいうところのビジネスホテルを利用することが多い。フランスなら決まってAccor系のibisやMercure。円安のこのご時世、宿泊費が比較的リーズナブルなうえ、回線が多少遅かろうとも無線LANが無料で使えるのはありがたい。隣の部屋から漏れる騒音や、お湯が切れてシャワーから水しか出ないといったトラブルも比較的少ない。今泊まっているホテルもまさに、リブルヌという町のMercureだ。
 ところが昨今、ワインをテーマに旅行を楽しむエノツーリズムが、各地で花盛り。ワインの造り手が民宿やホテルレストランを経営。ブドウ畑に囲まれた環境の中、造り手自身のワインでおもてなし。ワイン愛好家にとっては無線LANの有無よりも断然魅力的だろう。
 以前、名越さんが書いていたシャンパーニュ地方の「レ・ザヴィゼ」には、私も一泊したことがある。カリスマ的な生産者、ジャック・セロスのアンセルム・セロスが数年前にオープンしたホテル・レストラン。経営破綻したブリクーというメゾンのシャトーとセラーを買った彼は、大改修を施してこの地方でも有数の宿泊施設に仕立ててしまった。インテリアデザインはフィリップ・スタルクの右腕、ブリュノ・ボリオーネ。レストランのシェフは、ヴァランスの三つ星「ピック」の元セカンドという豪華さだ。
 とはいえ、場所はアヴィーズという片田舎。最低240ユーロの宿泊料には、当初、眉をひそめたが、一度泊まってみればその値付けが妥当であることに気付くはずだ。モダンでシックな寝室。シンプルだが上品で味わい深い料理。何よりもワインの仕込みで忙しくない限り、当主のアンセルム・セロスが顔を出して宿泊客の対応をし、隣接するセラーで試飲ツアーの案内まで請け負う。まさしくエノツーリズムの醍醐味である。86_photo_02
 ブルゴーニュ地方なら、ヴォーヌ・ロマネ村のドメーヌ・モンジャール・ミュニュレが経営する「ル・リシュブール」が一番豪華だろう。窓を開けると、そこには憧れのグラン・クリュ。しばらくレストランはクローズしていたが、2年前に新たなシェフが着任し、料理のレベルもそこそこ高い。泊まった時には気付かなかったが、実はスパまであるようなので、ワイン好きのカップルや女子同士におすすめだ。
 ブルゴーニュでもうひとつ挙げるなら、同じくヴォーヌ・ロマネ村の「ラ・コロンビエール」。女性醸造家アンヌ・グロがオープンしたB&B。厩舎を改装した建物には4つしか部屋がないし、レストランもない。ただ、1階のキッチンは自由に使えるので、マルシェで材料を買い込み、料理の腕を振るうのも楽しいだろう。小さなワインセラーにはアンヌ・グロのワインが用意されていて、ワインショップで買うよりずっとお得な値段で飲むことができる。ホームページの情報によれば、収穫期に泊まると、ブドウ摘みにも参加させてもらえるようだ。
 今取材中のボルドーは大資本の造り手が多いこともあり、エノツーリズムはとくに充実している。その先鞭をつけたのはポーイヤック村のシャトー・ランシュ・バージュだ。オーナーのジャン・ミシェル・カーズはシャトーのすぐ近くにあった17世紀の僧院を改装し、「シャトー・コルデイヤン・バージュ」という豪華ホテル・レストランに設えた。トップレベルのレストランがないと言われるボルドーで、長くミシュランの二つ星を維持している。
 ところで、ボルドーにはいまだ三つ星レストランが存在しないが、これにはまことしやかな逸話がある。ボルドーでは貴族やブルジョワジーが支配していた昔から、腕の良い料理人をシャトーがお抱えシェフとして雇ってしまうので、町場のレストランが育たないというものだ。とはいえ、シャトーがゲストをもてなす料理はほとんどケータリングという現代では少々説得力を欠くことは否めず、なぜこのワイン銘醸地に三つ星がないのかは、ワイン界の七不思議と言ってもよいだろう。
 閑話休題。
 もうひとつグラン・クリュのシャトーが経営するホテル・レストランに、「レ・スールス・ド・コーダリー」がある。ブドウの種や皮の成分を利用したヴィノテラピーがここの売り。レストランも4年前、ミシュランの星をひとつ獲得した。
 そんな五つ星の豪華ホテルでなくとも、ボルドーにはシャトー併設のB&Bが数多くある。今回、週末に一泊だけしたのがサンテミリオンのシャトー・ヴァランドロー。90年代に突如彗星のごとく登場し、一昨年、上位格付けのプルミエ・グラン・クリュ・クラッセに昇格した、元祖シンデレラワインだ。
 もともとオーナーのジャン・リュック・テュヌヴァンが取材や買い付けに訪れるVIP用として、醸造所の隣に建てた宿泊施設だが、空室の日があるのはもったいないと考えたのか、一般のツーリストにも開放。booking.comでも簡単に予約が出来るのには驚いた。
 昨年、サンテミリオンの格付けを取材中にその存在を知り、一度は泊まってみたいと思っていたので、早くも実現叶ってうれしい。リビングから外を望めば、パノラミックに広がるヴァランドローの畑(写真下)。寝室は豪華さこそないものの、それぞれルーミーで、最上階にはテラスもある。レストランがないのは不便だが、サンテミリオンの町まで車で10分。中世の面影を残す世界遺産のこの町には、気軽なビストロから高級フレンチまで、レストラン選びには事欠かない。86_photo_03_Valandereau-053
 そういえば昨年、ある女性誌の依頼でワイン産地を旅するハネムーンの記事を書いた。私がボルドー編とカリフォルニア編、家内がトスカーナ編とオーストラリア編を担当。ところが結婚して15年を迎える当人たちは、ハネムーンがお預けのままなのだ。娘が一人で留守番出来る年になったら、取材から距離を置いたエノツーリズムをふたりでしたいところだが、うかうかしてるとハネムーンどころか、フルムーンになってしまいそうなのがちょっとばかり気掛かりである。(by柳忠之)
「アンヌ・グロ」:ブルゴーニュ地方ヴォーヌ・ロマネ村の造り手で、父フランソワの後を継ぎ、女性醸造家のアンヌが繊細でエレガントなワインを造る。
「シャトー・ヴァランドロー」:ボルドー地方サンテミリオンのワイン。最初の数ヴィンテージは安価な地ワインに過ぎなかったが、90年代半ばに突如人気に火がつき、1本数万円で取り引きされる高級ワインに大変身。90年代末のワインブーム時、BRUTUS誌で「シンデレラワイン」と紹介された。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/