第14回 「トスカーナ詣で」で気がついた!

 かれこれ10数年、毎年2月半ばになるとイタリアのトスカーナ地方を訪れる。だいたいバレンタインデーがその日程にかかることが多いので、チョコレートのない人生は考えられない柳さんへのプレゼントは早めに準備することにしている。最近は娘経由で渡してもらうことにしているので、なおさらご機嫌なのではないかと勝手に想像している。
 この会は「アンテプリマ(レヴュー)」とか「ベンヴェヌート(ウエルカム)」と呼ばれていて、その年にリリースされるヴィンテージのワインを、各国のワインジャーナリストにいち早く試飲させてくれる。ワインのカテゴリーは、「キアンティ・クラッシコ」、「ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノ」、「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」といずれも赤ワインで若いタンニンたっぷりなので、毎日夕方には歯も舌も真っ黒になる。試飲会場では皆同じ穴の狢(むじな)だから気にならないが、ホテルに戻って鏡を見ると毎回落ち込んでしまう。これが一度の歯磨きでは落ちてはくれず、歯ブラシ、歯間ブラシ、デンタルフロスなどの合わせ技でようやく普通に戻るのだから、手間のかかることこの上ない。
 私の他にも毎年数人の日本人と一緒になる。ここ数年は大先輩にあたるBさんと試飲やワイナリー訪問などの行動を共にさせてもらうことが多い。ワインについての関心と興味の方向性が似ているのと、ちょうど一回りほど年齢差があるので馬が合うのかもしれない。
 4、5日の間はスケジュールが同じなので、いろいろと情報を交換する。もちろんワインの話もするのだが、食事の時などは家族の話題も出る。Bさん宅の朝ご飯は和食と洋食と両方準備されるという。Bさんご本人は洋食で、他の方々が和食だったと記憶する。ともあれ、奥様はさぞや早起きされるにちがいないと、少々気の毒になった。それに、奥様の旧姓は「名越さん」というから奇遇だ。

 モンタルチーノ3つの試飲会はそれぞれ場所を移動して行い、フィレンツェからモンテプルチアーノへ、そして3番目の「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」は、モンタルチーノの街中の一角で行われる。古都シエナに近い小高い丘の頂にあるとても小さな街で、石畳は、車一台がやっと通れるぐらいの幅しかない。毎朝、窓から霧煙るブドウ畑のパノラマを眺めながらの朝食の後、ホテルから試飲会場の美術館ホールへ向かう。石畳を登って、左へ進んで、また登って、左へ進んでと3、4回繰り返す。ちょうど最後の坂道で息が切れるのがお決まりで、朝のほど良い散歩代わりになる。80を過ぎているかと思われる多くのお年寄りともすれ違うけれど、皆さん健脚だ。
 決して大きくはないが、メインストリートともいえる商店街には、文房具店、肉屋、お菓子屋、薬屋、レストラン、八百屋、ワイン・ショップ、バー、と小さな店が並んでいる。魚屋はない。ないというよりもいつもは閉まっていて、毎週水曜日だけ営業するのだと以前「サルヴィオーニ」の当主から聞いたことがある。知らないとただの壁だとしか思えない場所に、言われて見ると確かに金属製の扉がはめ込まれていて魚マークが描かれている。モンタルチーノが内陸部で、今でも肉王国なのだとわかる。それにこの街にはスーパーマーケットは、たぶん「コープ(生協)」が1軒あるだけの、実に素朴で小さな街だ。
 モンタルチーノを訪れたからには、必ず食べなければ気がすまないものがある。「ピンチ」という手打ちパスタで、モンテプルチアーノでは「ピーチ」と呼んでいる。これ、日本人ならきっと「讃岐うどん?」と思うぐらいの太麺でこしがあって、一度食べると病みつきになる。味は3種類のソースから選ぶ。赤ワインを飲みながらなら、濃厚でしっかり味の猪肉のミートソース。ランチでワインなしならば、トマトソース。満腹感を得たい時には、元祖ピンチの具だというパン粉とパセリとオリーブオイルのソース。
 Bさんもこれを気に入って、「うどん食いに行こうぜ!」と、嬉しそうに誘ってくださっていたのだが、昨年は「うどん食えなくなちゃったんだよね」と、しょんぼり。どうやらドクターストップで、穀物はやめなさいという診断が出た模様。どちらかといえばやせ形で、暴飲暴食という印象もないし、サッカー好きと体形から「元サッカー少年ですか?」と尋ねると、大当たり。
 まあ反対に「君は少年体形だからなあ」と、ズバリと言われたことがある。確かに高校生の頃にショートカットで私服はズボンばかり身につけていたから、後ろ姿で何度男子に間違われたことか。そういえば、いざ大学へ進学するという時になって母が真っ先に買ってくれた洋服は、赤いチェックのスカートだったのを思い出す。

 それはさておき、人は年齢や体調によって食事制限が必要になったり、味覚も変わったりするのだと、最近になってわかってきた。加えて、環境によっても変わる。自宅での朝ご飯は、カフェオレ、フルーツ、ヨーグルト、パンといった極普通の洋食で、たまにパンがシリアルに変わる程度だが、トスカーナの1週間はホテルでの朝食だ。場所によって微妙に内容は異なるが、共通項はカプチーノが注文できること。カプチーノの、ふわふわのミルクの泡がまず口に入って、その次に濃いエスプレッソが続く、というコンビネーションが好きなので、まずは一杯。そして食べ進めつつ、途中で2杯目を注文する。毎朝9時半頃から大量の試飲が始まるから、朝食はしっかりと食べておきたい。グッと食欲旺盛になる。
 ところが、今年は何故だか2杯目の注文をしよう、という気持ちになれなかった。特に体調が悪いわけでもないのに、不思議な変化だった。
 トスカーナから帰宅して、いつものように朝ご飯。でもその時、いつからかカフェオレを半分残していることに、ふと気がついた。あ〜、これはコーヒーが駄目になったのだとわかった。じゃあ仕方がない。朝は紅茶にしよう、と決めた。先だって来日していたイギリス人のジャスパー・モリスMW(マスター・オブ・ワイン)が、試飲ランチの最後にコーヒーを薦められて、必要ないと断っていたので、それに習ったことにしておけばよい。ただ、自分で準備しなくては……。
 実は我が家の朝ご飯は、いつからか覚えていないが、普段は柳さんが準備だけはしてくれるようになった。ありがたいことです。ただ、今までは大人がカフェオレで娘はココアだったので、これで私が紅茶となれば、Bさん宅とは別だとはいえ、すべてお願いするのはちょっと気が引ける。もし頼んだとして、バレンタインのチョコレートのグレードアップが必要になるのも困るので、飲み物はセルフサービスを実践しているところです。(by名越康子)
「サルヴィオーニ」:モンタルチーノの中でも最もエレガントなワインの造り手のひとつ。まるでブルゴーニュのように上品な魅力があり、かつて試飲会場のブースを訪ねてワイナリー訪問を直談判した経験がある。2度目の訪問は、きちんとアポを入れました。
「ジャスパー・モリスMW」:イギリスの老舗ワイン・ショップ「BBR(ベリー・ブラザーズ&ラッド)」のブルゴーニュ・ワインのバイヤーで、ブルゴーニュ在住。MW(マスター・オブ・ワイン)は、世界で300名ほどしか有資格者がいないワイン業界の権威的称号。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/