第17回 技術の進歩と自然への回帰

 4年ぶりのチリ取材から帰る飛行機の中で、ロン・ハワード監督の「ラッシュ/プライドと友情」を見た。70年代のF1レースで互いに火花を散らしたジェームズ・ハントとニキ・ラウダの物語。当時のF1マシンには現代のようなハイテクデバイスは付かず、空力もさほどシビアではなかった。たとえマシンに性能差があっても、生身の人間が己の才能とスキルでそれを超克すべく、真っ向から勝負していたよき時代だったと思う。
 大幅にレギュレーションが変更になった今年のF1はメルセデスの独り相撲。ターボ、エネルギー回生システム、DRSとメカニズムは複雑になり、大資本のメーカー系チーム優位は明らかだ。同じチームにいるふたりのドライバーが繰り広げるバトルはそれなりに面白いが、ちょっとでも無理をすればペナルティが課せられるので、昔のレースほどのアグレッシヴさはない。
 もっとも、映画の冒頭、「毎年25人中ふたりが死ぬ」とあるように、70年代のF1はつねに死と隣り合わせ。1994年、“音速の貴公子”と呼ばれたアイルトン・セナがサンマリノGPで命を落として以来、20年間死亡事故が起きていないのは、テクノロジーの向上により安全性が飛躍的に高まったおかげでもある。
 テクノロジーの進歩はF1だけでなく、ワインの世界にも多くの恩恵をもたらしている。英国のベテラン・ワインジャーナリストであるヒュー・ジョンソンは、20世紀をして「不味いワインが駆逐された世紀」と賞賛した。ワインの発酵に酵母が関与していることをルイ・パストゥールがつきとめたのが19世紀末。それまでワイン造りは多くの偶然に頼っていたと言っても過言ではない。ひと握りのまともなワインの傍らで、どれだけ不味いワイン、あるいはお酢が造られていたことだろう。
 昨今、ワイン醸造の先進地であるボルドーを訪ねると、そのハイテクぶりには目を見張るばかりだ。外側は18世紀や19世紀の瀟洒な城館なのに、中に入ればSF映画にでも出てきそうなステンレス製の設備が鈍い光を放っている。近頃は著名建築家にデザインを依頼して、外観までモダンに設えているシャトー(ワイナリー)も珍しくはない。6年後に開催される東京オリンピックのメインスタジアムを、奇抜なデザインで知られるザハ・ハディッドに任せる案が物議を醸しているが、ザハのデザインしたシャトーがブドウ畑のど真ん中に現れるのも、もはや時間の問題といえそうだ。
 とはいえ、コンピューター制御の温度管理システムがついた発酵タンクにしても、ブドウの粒の色を瞬時に識別して未熟なブドウを取り除く選果機にしても、従来、人が行ってきた作業をより効率的に代行するだけで、ワインそのものをガラリと変えてしまうものではない。けれども、特定の香りを引き出すための酵母を使ったり、ワインにストラクチャーを与えるためタンニンパウダーを加える……という話になると、ちょっとばかり違和感を覚えるのはたしかである。
 ものごとが科学技術にばかり頼るようになると、自然への回帰を訴える勢力が台頭してくるのは世の習い。フルオートの一眼レフカメラをマニュアルのクラシックカメラに持ち替えたり、電子炊飯器ではなく土鍋でご飯を炊いてみたり。同じように、10年ほど前からワイン業界に広まった言葉が「自然派」である。
 「自然派」という言葉は耳に心地よい。「自然」とか「無添加」と聞くと、なにやら身体に良さげな印象を受ける。ゆえに、「このワインは酸化防止剤が無添加だから、いくら飲んでも二日酔いにならない」と言われれば、それは素晴らしいと膝を打ち、「このワインは二日酔いの心配なし」と雑誌のネタにしまったことも一度や二度ではない。後に酸化防止剤無添加であっても、飲み過ぎればやはり二日酔いになることを知り、例の話が単なるプラセボであることに気付くのだが……。
 それはともかく、自然派ワインには、オフフレーバーと呼ばれる、腐敗酵母臭や還元臭を伴うものがしばしば見受けられる。簡単に言うと、馬小屋やドブの匂いだ。
 先日、友人とランチをともにした時のこと。昼なのでワインはグラスで頼むことにした。リストには自然派ワインのみ。すべては勉強だからと、こちらは白、あちらは赤を頼んだところ、白は酸化気味で、赤は還元臭が強かった。ところが、ファナティックな自然派ワインのファンの多くは、こうした酸化して茶色くなった白ワインやドブのような匂いのする赤ワインが好きでたまらないらしい。
 私自身、軽い腐敗酵母臭はまだ許容範囲で、南フランスのバンドールなど、この手の匂いがしないとそれらしい気分に浸れないワインもある。しかし、過ぎ足れば及ばずがごとしで、ドブ臭のするワインはやはり苦手である。
 現代のF1同様、テクノロジーを駆使したワインからは、造り手の表情や手の温もりが伝わりにくい。だから自然派の愛好家が、個性の強い、ともすれば偏屈な造り手に肩入れするのもよくわかる。今、自然派の間で話題なのは、何千年も前から造りを変えていないジョージア(グルジア)のワインだそうだ。興味はある。しかし、なにもかも「自然に帰れ」では、洗練されたワインを造るため努力してきた先達の苦労が、すべて無駄になりはしまいか。
 まぁ、ワインは所詮、嗜好品。私が臭いと顔を顰めるワインを、美味しいと笑顔で飲む人がいても何ら不思議ではない。納豆の匂いが好きな人と、大嫌いな人がいるのと同じたぐいの話だと考えている。(by柳忠之)
「バンドール」:南仏プロヴァンス地方のワインで、赤はムールヴェードルという品種を主体に造られる。pHが高いため腐敗酵母に汚染されやすく、とくにタンピエという造り手のワインは馬小屋っぽい匂いが顕著。
「ジョージアワイン」:旧ソ連のジョージア(グルジア)は、8000年前からワインが造られていた、ワイン発祥の地と見なされている。いまだに地面に埋めた素焼きの亀壷=クヴェヴリでワインを醸造。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/