第18回 甘い誘惑

「二度も痛い目に合っているのに、まだ懲りないの?」
 そう、好きだからしょうがないのだ。
 一度目は、25年ほど前のこと。海外旅行の出発前日。友人と、下北沢の居酒屋で、牡蛎(カキ)を、レモンと大根おろしで食べた記憶がある。翌日から海外だからと、わざわざ和食をと誘ってくれたのだ。ところが現地に到着して部屋に入ったきり、出かけられなくなってしまった。東京の友人に国際電話してみると、やっぱり……。丸一日、しょんぼりとしてベッドと洗面所を往復した。
 二度目はそれから5年ぐらいたっていただろうか。よく行くレストランのシェフがわざわざ取り寄せてくれるから、皆でワインを持ち寄ってパーティーをしよう、という企画にのったとき。恵比寿にあったカウンターとテラス席のみという小さなフランス料理店に、ワインの輸入元仲間が15人ほど集まった。むいては食べ、むいては食べ、いくつ食べたのか覚えていない。ともかく皆でたらふく食べて飲んだ。やっぱりその影響は、当日ではなく翌日に出るようだ。同じくパーティーに参加した先輩と、営業で有楽町に行った。そこで二人とも、百貨店の化粧室に駆け込んだ。
 二度もそんな経験をしたら、普通は生牡蛎に手を出さなくなるのだそうだ。でも、そうはいかない。魅力的なのだから。
 どうも鮮度よりも、個人の体質に備わった「抗体」の影響らしい。
 牡蛎は、産地によって味がずいぶん違うとわかってからは、更に食べる楽しみが加わってしまった。日本国内でも、兵庫産と北海道産では、味の体系が異なる。兵庫産がまったり系とすれば、北海道はタイトだ。北海道内でも、厚岸と釧路の昆布森で異なる。厚岸のほうが上品で、昆布森のほうが凝縮している。シャルドネから造られる白ワインに喩(たと)えるなら、兵庫=ムルソー、厚岸=上品で透明感があるシャブリ、昆布森=ミネラルがぎっしり詰まったシャンパーニュのブラン・ド・ブラン。
 こういう違いを堪能するには、生で食べるのが一番だと思う。

 春先に南フランスのラングドック地方の試飲会に参加した。ちょうどプロヴァンス地方とピレネー山脈の間にあたる、広大なワイン産地だ。各国から総勢70名ほどのジャーナリストが集合して、午前中はひたすら試飲。毎日違う銘柄のワインが、産地別に100から200銘柄も出てくるから閉口した。午後は試飲の他に、産地訪問するピクニックが用意されていた。義務ではないが、その土地の気候風土や歴史を理解するのによいアイデアだ。中でも、ラ・クラープ、という地中海沿岸の産地ツアーが目を惹いた。
 ラ・クラープは、ラングドック地方の中央南部に位置にする。600年以上前は地中海に切り立つ小さな島だったが、河川が運ぶピレネー山脈からの堆積物が海岸と島の間を埋めつくして、地続きになった。だから、「石の堆積」を意味する現地のオック語「ラ・クラープ」が地名となったようだ。かつて孤立していたため、独特の植生が残っているというので、国定公園に指定されている。
 この豊かな自然のただ中にある「ラ・クラープで、白ワインと牡蛎を楽しむ」と書いてある。行くしかない!

 30名ほど乗れるマイクロバスで、1時間以上の道のり。だんだん松林が見え始めると、そろそろ海が近いとわかる。
 代表のワイナリーに、6社の白ワインが持ち込まれていた。2階へ上がると、ベランダからは地中海が見える。空の青と海の青、どちらも眩しく煌めいている。春先とはいえ日差しは強く、帽子やサングラスがあればよかった、と思うほど。それでも、海からそよ風が吹いてくるので、空気がとても心地よく感じられた。
 「覚えているかな? ラ・クラープは年間で300日以上も日照がある。これがポイントのひとつ」と、低い声が後ろから聞こえた。振り返ると、ちょうど1週間前に東京で会ったラ・クラープの造り手「シャトー・ダングレス」のエリック・ファーブルさん。背が高く、体格もよく、声がとても大きい、堂々とした人だ。二人で思わず、両手で握手した。
 ちょうど東京でのシャトー・ダングレスの試飲会に参加した時、質問した。「来週、ラングドックに行くんだけれど。あの試飲会に参加しますか?」。すると「サンプルを提供する予定にはしているけれどね」と、あまり積極的にイベントに参加する様子はなく、まさか会えるとは思っていなかったのだ。この1週間で気が変わってくれたのだろうと嬉しくなった。
 そういえば、晴天の日が多いという話は聞いたような気がする。「風も結構吹きますね」、と繋ぐと、「そう、山からの風だけではなくて、海からも吹いて来る。これが重要なんだよ!」と、力が入る。実際に燦々(さんさん)と照る太陽のもとで風の流れを感じると、確実に印象に残る。

81_photo_01 部屋の真ん中には大きなテーブル。そこへ、大皿に盛られた生牡蠣が運ばれてきた。小ぶりで、立体的な形状の牡蛎。すると、まるで砂糖菓子に群がる蟻のように、皆一斉に集まり、次から次へと殻の山。一瞬のうちに第一の皿は空っぽになってしまった。私など、ただの一つも食べていないのに。やはり欧州では控えめは美徳ではなくて、負けなのだろう。
 遠慮していては食べ損ねると気がつき、二皿目でとりあえずひとつ。レモンをギュッと絞って口に運ぶ。汗がにじみ出てきそうな身体に、冷えたツルンとした小さな塊。そして爽やかでキリッとした白ワイン。海の側で造っているから、というわけではないが、どこか塩っぽさがあって、とりわけ相性がよい。これはひとつでは終われない、と、もうひとつ。二皿目も終了したが、三皿目もやってきた。まだ残っているから、もうひとつ。

 たくさんの生牡蛎を、大勢でワインと共に囲んだのはとても久しぶりだった。あの二度目の時は、本当にいくつの牡蛎を食べただろうか? 日本の牡蛎はフランスのものより大きさもある。若さもあって、お腹が冷えきるまで食べたのだろう。また、当時の仲間の誰かが牡蛎パーティーを企画してくれないものだろうか? 実現したら、体調を万全にして臨むのだけれど。
 そう、皆で食べれば怖くないのだと思う。幸いにも、二度とも腹痛の友が近くに居たから。(by名越康子)
「ラ・クラープ」:南フランス、ラングドック地方の中でも地中海沿岸にあるワイン産地。赤を主体に、ロゼ、白も造り、赤は凝縮した力強いタイプで、白はキリッとしたまさに魚介類ととても相性が良いワイン。
「シャトー・ダングレス」:オーナーのエリック・ファーブルさんは、ボルドーの1級シャトー・ラフィット・ロートシルトで長年テクニカル・ディレクターを務めた後、惚れ込んだラ・クラープに家族で移り住み、2001年からここでワイン造りをしている。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/