第25回 日本にもワイン法?

 世の中のトレンドは自然派ワインと日本ワイン。いまだブルゴーニュやボルドーのファインワインを追いかけ(させられ)ている私は、いささか時代から取り残された感あり。そんな私に国内ワイナリー取材のお声がかかった。ほぼ2週間かけて山梨、長野、山形のワイン産地を巡る旅。毎晩のように宿泊先を変える大キャラバンだが、豪華な料理に一部とはいえ温泉付き。国内旅行が出来て、お勉強になり、ギャラも入る。申し訳ないくらい美味しいお仕事である。
 数年前まで3年間、国産ワインコンクールの審査員を務めさせていただいたおかげで、日本のワインが年を追うごとに品質を上げているのは身をもって感じていた。今回の取材も発見が大きく、山形のピュアなシャルドネに感動を覚え、山梨のひと皮剥けた甲州やマスカット・ベーリーAに安心感を抱き、長野のメルロの底力に圧倒された。海外の同レベルのワインと比べれば、割高感が残るものがいまだ少なくないものの、お値打ちと太鼓判を押せるワインに出会えたことは大きな収穫だった。
「へぇ、こんなワイナリーがあったのか……」と驚かされたのは、山形県の赤湯にある酒井ワイナリー。パッと見は温泉街に佇む土産物店以外の何ものでもない。じつは1892年創業の老舗も老舗で、100年を優に越える歴史をもつ。いやはや自分の不明を恥じ入るばかり。
 醸造所の中を案内されると、お母さんがせっせと一升瓶に蓋をしている最中だった。ここではワインの清澄を一升瓶で行う。今ならろ過器を使えば澄んだワインにするのは容易だけど、酒井ワイナリーは無ろ過がモットー。それで一升瓶の中にワインを詰め、澱が瓶底に溜まるのを待ち、上澄みだけを普通の瓶に移し替える。手作業の長閑な情景がそこにあった。
 ルバイヤート・ワインこと、勝沼の丸藤葡萄酒を訪ねたのは何年ぶりのことだろう。久しぶりにこのワイナリーご自慢のプティ・ヴェルドを味わうことが出来た。ファーストヴィンテージの96年はわずか300本程度ながら、驚きの出来映え。現社長の大村春夫さんが、嬉々とした表情で試飲させてくれたのを覚えている。
 その後試飲したヴィンテージは99年と記憶しているが、96年ほどの感動は得られず、大村さん自身、あの初ヴィンテージはゆめまぼろしかと悩んでおられた。ところが今回2011年を試飲して、はるか昔の記憶が蘇った。ボディの厚みといい、品種特有のスパイシーさといい、上質感に溢れているではないか。ドキッとするような美少女に出会ったが、数年後に再会したらぐれて眉毛を剃っており、さらにしばらくして道端ですれ違うと、改心して美しい女性に戻っていた。そんな感じである。

 取材から戻れば、新聞(といってもウェブ版だが)にワインの文字が踊っていた。なになにと読み始めると、自民党の有志が来年の通常国会に、「ワイン法案」を提出する予定だという。日本ワインの品質向上が話題の昨今、わが国でもワイン法を整備すればブランド力が向上し、ワインの輸出も盛んになるだろう……というのが、法案提出の動機らしい。
 具体的な内容は、今後、関係者の話を聞きながら……とのことだが、ところでワイン法とはいったいなんぞや? 現代のワイン法としてもっとも歴史が古く、またもっとも厳格に整備されているのは、フランスのAOC(原産地呼称管理制度)。1935年にINAO(フランス国立原産地呼称管理機関)が創設され、ワインの原産地が定められた。しかし、これは単に名乗ることの出来る原産地の範囲を定めただけではない。使用可能なブドウ品種やヘクタールあたりの最大収穫量、最低アルコール度数など、栽培、醸造に関する規則を事細かく定めることによって、原産地ごとにワインのティピシテ(典型性)を守っている。
 そもそもフランスでAOCが成立したのは、不正や産地偽装に対応するため。ある産地のワインが有名になれば、その恩恵にあやかろうと、まったく別の産地にもかかわらず著名産地の名を騙ったワインが横行する。またそれとは反対に、産地の知名度が高いのをいいことに、品質をないがしろにして水増しなどの不正を働く造り手だって現れる。どちらも名声を築いた真面目な造り手の努力を踏みにじる行為だから、これを取り締まる必要が生じたのだ。

 だから、日本のワインに箔を付けて輸出を奨励しようという、今回の法案にはいささか違和感を覚えずにはいられない。しかも日本のワインはいまだ発展途上。どの産地にどのような品種が最適かさえわかっていないのだ。
 もし四半世紀前にAOCのようなワイン法が日本にあったらと想像して欲しい。おそらく山梨なり、勝沼を名乗れる品種にプティ・ヴェルドの選択肢はなく、ルバイヤートのプティ・ヴェルドがこの世に生まれていた可能性はきわめて低かっただろう(もちろん、フランスの自然派のようにAOCに縛られることをよしとせず、自分がこれだと思う品種を植えることは自由だが……)。フランスは長いワイン造りの歴史の末に、その土地にぴったりの品種を見つけたから、法律で規定することが出来たのだ。
 したがって、日本のワイン法を定めるにしても、アメリカのAVA(アメリカ・ブドウ栽培エリア)のように原産地の範囲を定めるだけで今は十分。むしろその前に、純粋な日本ワインと海外原料から造られた国産ワインとの線引きを明確にすることが先決だ。国産とあれば安心し、日本で栽培されたブドウから造られたワインと思い込んでいる消費者は少なくないのだから。(by柳忠之)
「マスカット・ベーリーA」:越後高田の川上善兵衛が、日本でも育てやすいワイン醸造用の品種として開発した交雑種。イチゴキャンディのようなアロマが特徴。
「プティ・ヴェルド」:フランスのボルドー地方原産のブドウ品種。晩熟でやや粗野な性格をもち、本家ボルドーではワインのスパイス的に少量だけ使われる。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/