第26回 おしゃべり

 何度か一緒にワインの試飲をした人が、「名越さんは、テイスティングの最中は話さない人だから」と呟いた。誰か別の人が、テイスティング中の私に何か話しかけようとしたからではないかと思う。確かにそうなのだ。ワインAとワインBの試飲の間、というのなら話もできるけれど、ワインに面と向かっている時には人とおしゃべりをするのは苦手だ。
 つまり、不器用なのだ。だって、香りや味わいといった情報から、そのワインが一体どういうタイプのどういうクラスのもので、今どういう状態にあるのかを理解しようとしている作業だから、神経を鼻と舌に集中する。だから耳から情報が入ろうとすると、集中力が切れてしまう。でも、なかにはずっと話をしながらテイスティングをできる聖徳太子のような人もいて、とっても器用だなあ、と感心する。

73_photo 春先にラングドックの試飲会のために、歴史ある城塞都市、カルカッソンヌへ滞在していた時のことだった。フランスで2番目に人気がある世界遺産だ。5日間、毎日午前中はホテルの離れの建物が試飲会場に仕立て上げられて、分厚いワインリストを渡されてラングドックの地域別に味をみていくことになった。
 どの日も銘柄が変化するし、200アイテム以上のボトルが開けられて、黒い靴下でラベルを隠していくつもの長テーブルに並べられていた。それをスタンディングで試飲していく。本当に困った。午後には別の予定が入れられているし、どう頑張っても、半日では終えられない量なのだ。
 一口に「ラングドック」といっても範囲がとても広く、その中にいくつもの生産地域がある。その違いがあるや否や、といったあたりを確認したかったので、なるべくたくさん試飲したかった。参加者の半数ぐらいは、私と同じように淡々とテーブルに並べられたボトルを端から順に試飲していた。ほとんどは無口で、特別に素晴らしいワインがあった時やその逆の場合に、ボソッと歓喜か落胆の声を発する。こういう環境には慣れている。だいたいこんなものだ。と、思っていた。
 ところが、どこの国の人だっただろうか。ヨーロッパには間違いない。ずっとボソボソと隣の人に話しかけている人がいたのだ。黒いカーリーヘアで髪質がしっかりしている。肌は少し浅黒い色合いで、太い黒縁の眼鏡をかけていた。いわゆるおじさんで、お世辞にも洋服のセンスがよいという印象はない。赤系のチェックの長袖のシャツに、どぶネズミ色のスラックス。毎日こんな格好だ。隣に居合わせた人は、まあ気の毒なこと、と最初は人ごとだと考えていた。
 でも3日目に、来た! 隣に来てしまったのだ。ただし、まだ1メートルは離れている。私と同じ方向に進んでいるから、追いつかれて会話圏内に入ってこないようにと、若干スピードアップして試飲をするように頑張った。私は試飲しながらメモをとっていくのだが、彼はどうやら何も書いていないらしく、だんだん距離が縮まってくる。ちょっと迷ったが、じゃあしょうがない、メモも取れないようでは後で困るので、いっそ追い抜いてもらってから集中して試飲しよう、と覚悟を決めた。追いつかれた時には、おしゃべりにちょっとおつき合いすればそれで済むのだから。
 案の定、距離が狭まると話しかけてきた。「君はどこの国から?」「日本! そうか、じゃあ彼女たちと同じだね」。ちょうど日本人女性が3名参加していた。他の2人とは、すでにおしゃべりを楽しんだということだ。
「毎日、全部テイスティングしてるの?」「そうだよね、全部は無理だよね……」
「君は、真面目にテイスティングするんだね〜。すごいね……」
 私が彼の話にあまり乗り気でないことを察知して、ちょっと寂しげにしながらも、やっと追い越してくれた。
 せめて話の内容が「あの番号のワイン、味見した? すごくいいできだから、まだだったら絶対試飲して」とか、「このワインのこと、どう思う?」とか、「このヴィンテージは……」とか、目の前にあるせっかくのワインのことならわかる。意見交換しようよ、というスタンスなら試飲会場でのおしゃべりも楽しい。けれど、そういう気配がまったくないので、話がはずむはずもなかった。
 翌日、フランス語の通訳として参加していた、南仏在住の女性に聞いた話がある。彼女はとてもチャーミングで、言葉はもちろん達者だし、とても社交的な人だった。私たちが個々に試飲している最中は時間があったのだろう。例のどぶネズミおじさんから話しかけられて、おしゃべりに付き合っていたらしい。すると、今夜、一緒に食事に行かないか? とか、素敵だね! とか、そういうモードに変わっていったのだというのだ。ありゃりゃ。もちろん彼女は、それを私たちに愚痴ったぐらいなので、蹴飛ばすぐらいの勢いで断ったら、随分しょげ返ってしまったそうだ。残念でしたね。
 おしゃべりだけならまだよいが、それが口説きのプレリュードだとしたら、どうだろう。ちょっと理解するのが難しいなぁ。

 かつて、イタリアのモンタルチーノの試飲会に、判で押したようなブロンドの髪と白い肌のセクシーな美人が、着席形式の試飲会に途中で入ってきた。しかも、私ここに居るのよ! といわんばかりの香水をつけて。隣のテーブルにお座りになったので、あまりに強烈な香りに耐えきれず、私は遠いテーブルに引っ越しをした。あの時と、なんだか同じような後味だった。
 ただ面白いことに、香水に反応を示したのは日本勢と中国勢で、欧米系のジャーナリストは気にする様子がまったくなく、黙々と試飲を続けていた。日常生活での慣れの問題なのだろうか。とすれば、普段から口説かれ慣れていたならば、あのおじさんのおしゃべりにも、もう少し付き合ってあげられていたのかもしれない。そうすると「名越さんは、おしゃべりしながらテイスティングできる、万能な人だから」と言われるようになるだろうか。(by名越康子)
ラングドック:ブドウ栽培の歴史がフランスで最も古い、南フランスの広いワイン産地で、ブドウ栽培面積はフランス最大を誇っている。コルビエール、ミネルヴォワ、フィトゥーなど多数の地域を内包し、赤ワインを主体に生産している。フルーティーな赤、濃厚な赤だけでなく、上品さを備えた赤もある。
モンタルチーノ:イタリア中部のトスカーナ地方、シエナ近郊にあるワイン産地で、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノで知られている。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/