第28回 ワイナリー犬

 私は猫が嫌いだが、猫可愛がりしたいぐらいの犬好きだ。それなのに、我が家の小さな庭は多くの野良猫がよく通り過ぎる。3、4匹いる中でも「鈴ちゃん」という名のトラ猫は、毎日のようにやってくる招かれざるお客様だ。その名の通り赤い首輪に鈴をつけているから、歩くたびに鈴が鳴り、どこにいるのかすぐにわかる。
 「ちゃん」と呼んでいるからといって、決して好きなわけではない。我が家の庭を我が物顔で使っている猫で、以前は落とし物までしていった。現場をおさえたわけではないが、頻繁に和んでいる姿を見ているからきっとそうだと思っている。
 特に固体の落とし物の場合は、鼻が曲がりそうになる。大切な商売道具のひとつでもある鼻をダメにされてはたまらないと思って、つっかけを投げつけたことがある。もちろん当てようと思ったわけではなく、威嚇のためだ。さらにそれ以来、出くわすたびに睨みつけることにした。あんたなんか嫌いよ、ここはうちの庭で、あんたのじゃないからね。というメセージを送るためだ。
 すると相手も、あの人間は味方ではない、なんか「殺気がある」、と感じたようだ。私の姿を見ると、ビクッとして一瞬固まる。数秒間、互いににらみ合いをする。そして鈴ちゃんがまっしぐらに逃げて行く。こんなことが続いている。

 しかし、犬にはなんとも寛容で、ついつい目尻が下がってしまう。だからヨーロッパに取材に行くたびに、ワイナリーでどんなワンちゃんに出会うのか結構楽しみにしている。すべてではないにしても、だいたいワイナリーには犬がいるのだ。
 そう、ワイナリーで猫と遭遇した経験は本当に少ない。イタリアで有名なブルネッロ・ディ・モンタルチーノの造り手「カセ・バッセ」を訪問した時に、でっぷりとした野良猫が数匹、テラスで優雅に日向ぼっこをしているのを見かけたぐらいだろうか。
 今年の7月にフランスのロワール取材に行った時にも、いくつもの可愛いワンコたちに会った。中でも印象的だったのが、ヴーヴレイの「ヴァンサン・カレム」の、飛ぶワンコだ。
 このワイナリーの当主ヴァンサン・カレム氏は、シュナン・ブランというブドウ品種を扱う辣腕生産者として知られる。彼は、もうひとつのシュナン・ブランの有名な生産地である南アフリカでも研鑽を積んでいる。4年間ワイン造りを経験し、故郷ロワールに戻って自分の名を冠したワイナリーを立ち上げた。代々の畑にいくらか買い足してのことだ。
 この時に、ブドウやワインの知識をだけではなく現地で出会った同業者のタニアも連れて帰ってきた。今秋から始まったNHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」の主人公のモデルである竹鶴政孝氏は、スコットランドからウイスキーの造り方だけではなく一人の女性も盗んだ男だと言われた、という。この話と少し似ている。
 ワイナリーで飼われている犬は、だいたい人なつっこい。まずはご主人様にべったりで、訪問客を醸造所や畑に案内する当主の行く先にぴったりついてくる。たまにはおよその勘が働くのだろう、先回りして待っていたりすると、やっぱり犬は賢いなあ、と贔屓目に見てしまう。
 カレムのかわいこちゃんも、どこに行くにもついてくる。ご主人様やその客人の足元をウロウロして、たまに上を見上げてご機嫌伺いしたりする仕草も愛らしい。ところが驚いたのが、ひんやりとした洞窟のようなセラーの中で試飲を始めた時だった。
 岩壁を掘り進んでつくった狭いセラーの中を行ったり来たり。じっとしていられない様子で、駆けずり回るのだ。そのうちスピードが加速して、身体が横に一直線になって飛んでいるように見える。僕はここにいるんだよぉ、誰か遊んで〜! と、主張しているのだろう。
 「ごめんなさい、まだ1歳にもなっていいから、落ち着きがなくて」というタニア夫人の弁解の言葉から推察すると、これはいつものことらしい。エネルギーがあり余っているのだと思う。
 たれ耳で茶系のスリムな身体で、首のあたりから前足まで、それから後ろ足の下半分と上の太もも部分が白い。小柄なので、ひょいと抱っこしたくなるけれど、ワインを試飲することなど考えると、万が一、自分の手が犬臭くなってしまうと後で困るので、なるべく触らないようにいつも我慢している。71_photo_ワイナリー犬
 ヴァンサンとタニアは、ほとんど2人だけで切り盛りしているから大忙しだ。実は試飲の途中までヴァンサンが説明してくれていたが、電話で畑に呼び出されたのでタニアにタッチ交代した。タニアはどの銘柄まで試飲したのかを確認するや頷いて、間髪入れず解説を続けてくれた。絶妙のコンビネーション! このように、どちらかがずっとアテンドしてくれたのだが結局2人のツーショットが撮れなかった。それぞれに撮った写真の片隅には、たれ耳ワンコが写っている。

 そういえば、うちの近所は野良猫ばかりではなかった。夕方には、WK(ワンコ)お散歩の人たちにたくさん会う。一番のお気に入りは、数軒先のAさん宅の雌で、なんと我が家の娘と同じ名前なのだ。年も娘と同じティーンエイジャーなので、あちらはもうおばあちゃん格になる。
 そのためか、飼い主さんの自転車の籠に乗っている姿を、最近はよく見かける。互いに挨拶をしてすれ違うのだが、その子がクルッと振り返って見てくれると、まるで挨拶を返してくれたようで、その日は一日気分上々。アイドルに顔を覚えてもらって喜んでいるような近所のおばさんの気分になっているのかもしれない。(by名越康子)
カセ・バッセ:中央イタリア、トスカーナ地方の銘醸赤ワインとして知られるブルネッロ・ディ・モンタルチーノの中でも、上品で生産量が少なく珍重されている造り手。頑固者としても有名だ。
ヴァンサン・カレム:フランス、ロワール地方のワイン産地の中ほど、ヴーヴレイ地区の造り手。白ブドウ品種、シュナン・ブランの大家として知られている。
〈次回第29回は11月28日に更新します〉
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/