第34回 マグロの中落ちとナイアガラ

 昨年の暮れも恒例の市場通いをした。……といっても買い出しではなく仕事である。
 親戚が横浜と川崎の卸売り市場で鮮魚の仲卸を営み、父は長年にわたってマグロを扱っていた。実家のあたりは商家の倅が多く住んでいたから、小学生の頃は誰も彼もそろばん塾に通い、かくいう自分も小学6年で3級を取得。夏休みに市場へ遊びに行くたび、伝票計算を手伝わされたものだ。
 市場がもっとも忙しいのは暮れである。中学生の頃から小遣い稼ぎに手伝うようになり、フランスに逃亡していた91年を除いて毎年、止め市までの3日間は市場で過ごしてきた。
 おもな仕事は素人客の相手。素人客とは一般の客を指す。「ちょっとお兄さん、このサザエ2つちょうだい」と言うおばちゃんがいれば、蝋袋にサザエを入れ、目方を量り、伝票を書いたら「はい、1340円ねぇ〜」と言ってお金を受け取り、釣り銭を渡す。そろばんは電卓にとって代わったものの、昨年から消費税が8パーセントになって煩わしいったらありゃしない。
 そんな生活を送ってきたので、子供の頃から新鮮で美味しい魚をたくさん食べてきたと思われがちだが、じつは正反対。子供の頃は魚が嫌いでたまらず、とりわけ生魚にはいっさい手を付けなかった。
 寿司屋に連れて行かれても、選ぶのはイクラ、数の子などの魚卵か、茹でたエビやタコ。巻物といえばかんぴょう一本やり。タイやヒラメなどの白身にも手を付けず、イワシやアジといった光り物などもってのほか。ウニもあのグロテスクな形状ゆえに食わず嫌い。もっとも身近にあったマグロもまったくダメだった。
 父は晩酌のつまみにマグロの中落ちを家に持ち帰って来たが、一顧だにしない息子に向かって、「おまえ大人になったら後悔するぞ」とよく言っていたものだ。
 父の予言(?)は的中し、20歳を過ぎたあたりから嗜好が大きく変化した。なにかの拍子で口にしたウニは、なんでこんな旨いものを今まで知らずにいたのかと、心底後悔した。誤って崩してしまい、売り物にならなくなったウニを持って来てくれることもあったのに……。
 今では昆布じめしたヒラメは大好物だし、アジやイワシも鮮度さえ抜群なら口にする。マグロはとくに赤身が好みである。
 ワインに関して好き嫌いは原則的にない。世の中には酸化防止剤を使っているワインは受け付けないとか、反対に自然派ワインは馬小屋臭がするからまったくダメという人もいるけれど、よほど酷い造りだったり、保管状態による欠陥のないかぎりどんなワインも飲める。
 しかし、苦手なワインもないことはない。それがナイアガラやコンコードなど、北米原産のブドウ品種から造られた日本のワインである。北米原産のブドウから造られたワインは、一般にフォクシー・フレーバーと呼ばれる独特の香りをもっている。英語のフォックス(キツネ)に由来し、日本語では狐臭と記すこともある。
 狐臭とはまた妙ちくりんだが、狐の匂いに似ているからという説や狐が好む匂いだからという説。この香りを指摘したのがフォックスさんだったという説もある。アントラニル酸メチルという香気成分がその正体で、どんな香りかというと、ファンタグレープを思い出してもらえばわかりやすい。思い出してみると、私はファンタグレープも好きではなく、ファンタといえば決まってオレンジ派だった。
 北米原産のナイアガラやコンコードは病気に強く、耐寒性があるため、長野県の塩尻市を中心に甘味ワインの醸造用として利用された歴史をもつ。甘味ワインの需要が少なくなった今日では、辛口や、やや甘口のテーブルワインに仕上げられたものをよく見かける。
 数年前、国産ワインコンクールの審査に携わった折、2年続けて北米品種を試飲するグループに配属されたのには正直なところまいった。当然、フォクシーフレーバーが苦手な私は、この手の香りの少ないワインに高い得点をつけるのだが、ナイアガラやコンコードからワインを造っている醸造家の方や地元でワインを売っている酒販店の方はフォクシーフレーバーの強いワインを好む。
「柳さん、こういうワインほどお客さんのウケはいいんです」と言われてしまえば、こちらも言い返すべき言葉が見つからない。
 ところが……。
 昨年、長野や山形のワイナリーでナイアガラのワインを試飲する機会が幾度もあり、いざ、すすめられるがままに口にしてみると、以前ほどの嫌悪感を催さなくなっていた。とくに山形・高畠ワイナリーの「氷菓のひとしずく」は、甘味と酸味のバランスがとれ、デザート気分で味わうと、あの独特のフレーバーまで心地よく感じられるではないか。
 かつて苦手だった生魚と同じく、もしかしたらワインについても嗜好の変化が起きているのかもしれない。(by柳忠之)
「氷菓のひとしずく」:山形の高畠ワイナリーが果汁氷結させたナイアガラから造る甘口ワイン。アルコール度数も9パーセントと低く、メロンやマスカットなど、フレッシュな果物と一緒に楽しむのもよし。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/