第36回 8年目の愛車とワインの熟成

 先日、車を法定1年点検に出した。新車で購入して8年目。旧知の営業マンは案の定、昨年出たばかりの新型に買い替えを勧めてきたが、当面その気はない。手元不如意なこともあるけれど、今の車に不満はないし、家族全員、とても気に入ってる。
 愛車はBMW製の初代MINI。スーパーチャージャー(過給器)のついたクーパーSというモデルだ。じつはその前にも同じMINIに乗っていたのだが、以前のはベーシックなONEと呼ばれるモデルで、ここぞという時の加速に不満があった。それで最初の車検を機に、2段階グレードアップしてクーパーSに乗り換えた。つまりエンジンこそ違うとはいえ、同型車と10年以上も付き合っていることになる。
 工業製品の常で8年も使えばあちこちに傷みはみられるし、昨年はスーパーチャージャーの故障という、そう頻繁には起こらない大病も経験した。修理のためディーラーに持ち込むと本国にさえ部品の在庫がなく、知人の情報を頼りに町のチューニングショップで中古部品を組み付けてもらった。それでも4万キロを前にしていよいよエンジンにあたりが付いてきたらしく、高速道路でアクセルを強めに踏み込むと、スーパーチャージャー特有のミュイーンというサウンドを伴いながら、気持ちよい加速を見せてくれる。車も熟成しているのに違いない。
 熟成といえばワインである。ワインの中には瓶詰め後、長い期間寝かせることによって、香りの要素が幾重にも折り重なり、味わいもまろやかさが増し、長い余韻を楽しませてくれるものがある。
 私も家内もワインをコレクションする趣味は持ち合わせていないが、熟成による進化を楽しみに、フォルスターの家庭用セラーに寝かせているワインがある。それは娘の誕生年のシャトー・ラフィット・ロッチルドで、プリムールで購入した12本セット。プリムール買いとはいわゆる先物買いで、瓶詰め前のワインにお金を払い、現物はほぼ2年後に受け取る仕組みである。
 2000年ヴィンテージは当たり年に加えてゼロが3つ並ぶミラクルイヤー。99年と比べ価格はどんと跳ね上がったが、それでもワインを投機対象とする人たちが今ほどはおらず、十分リーズナブルな値段で買うことができた。これを3年に一度、1本づつ開け、娘の成長とともにワインの熟成を確認しようと計画したのだが、じつは3本開けたところでストップしている。
 数年前、ボルドーはポーイヤックにあるシャトー・ラフィット・ロッチルドを取材で訪ねた折、醸造責任者のシャルル・シュヴァリエさんにこの話をしたら、「3年に1本? もったいないからやめなさい」と窘められたのだ。たしかにその頃、2000年のラフィットは、プリムールで買った時の8倍くらいに値上がっていたから、そうポンポン開けるべきではない。私たちもシュヴァリエさんの言葉にしたがい、残る9本は大事にセラーにしまっておくことにした。
 一方、このような仕事をしていると、思いがけず熟成したワインのご相伴に与ることもある。先日も京都の旅館を取材した際、宿のご主人から73年のジュヴレ・シャンベルタン・ラヴォー・サン・ジャックをご馳走になった。最近は、ボルドーもブルゴーニュも若いうちから飲めるワインが増えてきたこともあり、もはや寝かす必要などなし、さっさと飲むべしとうそぶいている私だが、40年熟成したワインにはやはり若いワインでは得難いフレーバーがある。その妖艶なまでの美しさに心を揺さぶられたことを認めないわけにはいかないだろう。
 またつい最近、シャトー・フェラン・セギュールのヴァーティカルテイスティングで味わった90年ヴィンテージも素晴らしかった。90年なんて昨日のような感覚だが、すでに25年も昔なのだ。おそらく畑の状態や醸造技術は現代のほうが進んでいるから、ワインそのものの品質で評価すれば、若い2009年や2010年のほうが上かもしれない。しかし、25年という時間が紡ぎ出した緻密で複雑な風味を前にすると、ちょっとした醸造学上の欠点さえ吹き飛んでしまうのである。
 自分が味わったもっとも古いワインはいずれもシャンパーニュで、1825年のペリエ・ジュエと1840年頃のヴーヴ・クリコ。さすがに19世紀のワインとなると熟成などという単純な言葉では語り尽くせない、別の領域に入ってくる。まさに歴史そのものを口にする行為であり、神秘的な経験と言ってよい。
 とはいえ、熟成したワインこそホンモノと言うつもりなどさらさらなく、若々しさを楽しむべきワインが存在することもまた事実。ただ、たまに熟成のど真ん中を突いたワインに出くわすと、それはそれでしばし幸せな気分に浸ってしまうのである。
 ところでさきほどのラフィットだが、娘が高校に進学するのを機に、6年ぶりに1本開けようという話になっている。身長だけは伸びたがまだ幼さが気になるわが娘。ワインのほうが成長著しいか、それとも娘以上に幼いか。それを味わう私たちといえば、熟成をはるかに通り越し、近頃はあちこち老化が著しい……。(by柳忠之)
「シャトー・ラフィット・ロッチルド」:ボルドー地方はポーイヤック村の格付け1級シャトー。中国で人気が沸騰し、2000年ヴィンテージは一時期、1本20万円以上の値がついた。
「ジュヴレ・シャンベルタン・ラヴォー・サン・ジャック」:ブルゴーニュ地方ジュヴレ・シャンベルタンの1級畑もの。味わったのはルモワスネというワイン商のもので、73年は銘醸ドメーヌとして名高いアルマン・ルソーで醸造されたワインとの噂。
「シャトー・フェラン・セギュール」:ボルドー地方はサンテステフ村のシャトー。格付けには入っていないが、かなりの実力。ヴァーティカルテイスティングとは、ヴィンテージの異なる同じ銘柄のワインを複数並べて試飲すること。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/