第41回 ビジネスラウンジのドラマ

 最近、出張で海外へ出かけることが多くなってきた。長い飛行機の旅は大変なことも多いけれど、いくつか良いこともある。そのひとつは、マイレージが貯まることだ。
 ご存知のように、同じ航空会社や同じグループ会社の飛行機にひんぱんに乗ると、マイレージが加算されて、手持ちのカードのクラスが上がる。私の場合、エールフランスで会員登録をしている。はじめは並のアイボリーだったのが、中級のシルバーに変わり、今ではもう少し上級のゴールドを持っている。ちなみに柳さんは最も格の高いプラチナ保持者だ。
 ゴールドになって一番嬉しかったのは、搭乗前にビジネスラウンジを使えることだった。それまではプラチナを持っている人の「お連れ様」として、おまけで入らせてもらうばかりだった。だから自分の権利として利用できるのは、何だか一人前に扱ってもらえるようになって喜ぶ子供のような気分だった。
 先だってシャンパーニュ取材を終えて、パリのシャルル・ドゴール空港のラウンジに行った。早めに到着したので、たっぷり時間がある。広いラウンジの壁際にあるコーナーのソファー席には、誰も座っていなかったから、一人でつかの間のんびり過ごせる……。
 飛行機が出るのは23時半の予定だから、まずはここで夕飯をすませてしまおう。残りの時間は、帰国したら、すぐに送らなくてはならない原稿の下書きにあてることにする。

 ノートパソコンを取り出して、原稿にとりかかった。しばらくすると、ずっと空いていた私のふたつ隣の席に、日本人のカップルが腰をおろした。あ〜、この人たちはビジネスクラスのお客さんだ。ジロジロ見たわけではないけれど、持ち物や衣装でだいたい想像がつく。
 白髪混じりの男性は、ごく薄いベージュ色のカジュアルなスーツに身を包んでいた。カジュアルといっても、生地は柔らかくて上等に見える。斜め後ろからの姿をうす目で見たぐらいだけれど、雰囲気としては「みのもんた」を少し細めにしたような背格好の人だった。
 女性は、上は白っぽいシャツにふんわりとした丈の短いおしゃれなジャケットをはおっていた。スカートは、今流行のボリュームのあるタイプだ。黒く透けた感じのあるオーガンジーの生地に、大きな模様が織り込まれていた。カッチリとした真っ黒のショートカットが印象的だ。ぼんやりと見ただけなのだが、小柄な体格とショートカットから若かりし日の浅丘ルリ子を思い起こした。
 まあ、きっとパリかどこかのリゾート地で優雅な時間を過ごした帰りなのだろうなあ〜。いいなあ〜、と思っていた矢先に、男性が抑えながらも声をあらげ始めた。聞くつもりなど毛頭ない。でも、2メートルも離れていない場所でのいさかいだから、自然と耳に入ってきた。
「一緒に旅をしているのに、どうして君は協力しよう、という気持ちがまったくないんだ。もう少し、考えてみたらどうなんだっ!」
 しばらく黙っていた女性は、頭にカチンときたのだろう、強い口調で答えた。
「言い方が悪かったですね。はい!」
と、こちらも反省の様子はない。
 その反応が気に入らなかったのか、男性は続けざまに非難の言葉を言い放った。すると女性は「もういいです!」と声を震わせて、荷物を持ってどこかへ行ってしまった。
「おい、逃げるのか!?」
 その後は、会話のない空間が残っただけだった。
 やっと静かになったので、原稿に集中することができた。でも、あの2人は夫婦なのだろうか、それともいわゆるカップルなのだろうか、という疑問が残った。それに、何があったのだろう? あの男性はどうしてラウンジで怒りをぶつけたのだろうか?と、実は気になってしょうがなかった。
 トラブルの原因となった場面が、多くの人前だったので、とりあえず半プライベートな空間に持ち込んだのかもしれない。飛行機に乗ってしまえば、きっと2人の席は隣合わせにちがいない。ビジネスクラスといえども限られた広さだし、それこそ逃げ場は用意されていない。そんな場所でおいおいと声をあげて泣かれても困る、とでも思ったのだろうか。
 ただ、残念ながら彼の目算ははずれてしまった。泣きながら謝るどころか、席を立ってしまった。私の横目には、男性は、一人でうなだれているように映った。お互いに、もう少し優しい言い方さえしていれば、こんなことにはならなかったんじゃないの?とは、外野だから言えることだ。

 搭乗時刻が近くなり、ちょうど原稿の下書きもだいたい出来上がったので、化粧室に行っておくことにした。取り残された男性のすぐ脇に、半透明のガラスのつい立てがある。そこが化粧室への通路だ。どんな顔つきの人なのか、興味はあったのだが、はしたないので目を向けるのはやめておいた。
 通路は、二枚のつい立てで仕切られている。男性の側ではないガラスの向こう側にも、いくつかソファー席がある。驚いたことに、席を立っていったくだんの女性は、二枚目のガラスの先に座っていた。てっきり、はるか遠くの席に移ったのだろうと思い込んでいたのだが、別に理由はない。ただ、もし自分が同じ立場だったら、きっとそうしただろう、という感覚から推測したにすぎない。
 なんだかすごい剣幕だったので、これから飛行機に乗って、二人はその後どうするのかなあ、なんて勝手に心配していたのに。まったく、夫婦喧嘩は犬も食わぬとは、よく言ったものだ。本当にそう思った。とはいえ、夫婦かどうかは未だに謎ではありますが。
 こういう面白い人間模様が見られるのも、カードのクラスが上がったご利益(りやく)かもしれない。(by名越康子)58_#41_DSC03835_s
「シャンパーニュ」:多くの皆さんが大好きな、フランス北東部のシャンパーニュ地方で造られるスパークリングワイン。エールフランスは文字通りフランスの航空会社なので、ビジネスラウンジには必ず白ワイン、赤ワインに加えてシャンパーニュも用意がある。それだけではなく、ラウンジとは銘柄は違うけれど、エコノミークラスの食前酒でさえ、シャンパーニュが1杯ならば無料でサービスされる。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/