第42回 ドレスコードはまいど悩みのたね

 是枝裕和監督の「海街diary」がパルムドール受賞かと期待された、今年のカンヌ映画祭。残念ながらパルムドールは逃したものの、黒沢清監督の「岸辺の旅」が「ある視点」部門の監督賞を受賞したことは、日本映画界にとって一筋の光明だったといえるだろう。
 映画祭といえばレッドカーペットの上を颯爽と進むセレブたち。米アカデミー賞のそれと比べればいくぶん地味だが、露出度の高いイヴニングドレスに身を包んだアクトレスの姿は、カメラマンにとってかっこうの被写体に違いない。
 女性がイヴニングドレスなら、男性はタキシード。おそらくパーティの招待状には「Tenue de Soirée」とあったはずだ。「夜会服でお越しください」という意味のドレスコードである。

 今から23年前、ワイン専門誌の編集部に席を置いていた20代半ばの私は、「Tenue de Soirée」と書かれた招待状を初めて受け取った。それはパリで行われるソムリエコンクールのガラディナーの招待状だった。「これって男はタキシードで来いってことですよね? ボク、タキシードなんて持ってませんけど……」と編集長に困り果てた顔で尋ねると、「あら、大丈夫よ。首からカメラぶら下げていれば取材で来てるってわかるから、ふだんのスーツでも大目に見てくれるわよ」との返答。それで一張羅のスーツのみでパリ行きの飛行機に乗り込んだのだが……。
 日本から出場したのは、当時、全日空ホテル・シェフソムリエの高橋時丸さん。すべての審査が終わり、日本から来ていた取材陣や応援団とホテルのバーでビールを煽っている時だった。その晩のガラディナーの話題になり、コンクールを主催するフランス食品振興会のKさんが私に向かってこう言った。「あなた、タキシードちゃんと持ってきたわよね?」。それで編集長の言葉をそのまま伝えたのだが……、「あなた! あなたひとりが恥をかくのは構わないけど、日本を代表して出場した高橋時丸さんまで恥をかくことになるのよ」と、きついお叱りを受けたのだ。
 私は大慌てでパリの街に飛び出した。もちろん、その晩までにタキシードを手に入れるためである。クリスマス直前という時節柄も手伝い、大きな百貨店に入ると適当なタキシードがすぐに見つかった。本来なら足下もオペラパンプスにすべきだが、そこはいつものスーツに合わせている黒のスリッポンで許してもらうとして、ウィングカラーのシャツと黒い蝶ネクタイ、それにカフスボタンが必要になった。カマーバンドは省略である。
 問題はジャケットの袖とパンツの裾の直し。その日の20時からディナーが始る旨を売り場の男性に伝えると、3時間後の19時に戻ってくればすべて整えておくという。何事にも時間がかかって仕方のないフランス人だが、やれば出来るもんだとその時初めて感心した。
 いざガラディナーの席につくと、会場にはビジネススーツ姿の人もちらほら。丸テーブルの隣に座るKさんは、「馬子にも衣裳ね。自分の結婚式にも使えるからいいじゃない」とすまし顔である。その年のボーナスはこのタキシードの支払いであらかた消えた。

 そのようなわけで、パーティやディナーへの招待を受けると、気になるのがドレスコードである。「ビジネス」とあれば、仕事用のスーツでいい。最近はタイドアップしなくても失礼にあたらないので楽だ。一方、「平服でお越しください」は注意が必要である。ジャケパンでOKかと思えばさにあらず、ダークスーツの略礼服が好ましい。ジャケパンはドレスコードが「スマートカジュアル」の場合に許される。
 まあ、それでもカジュアルかフォーマルかの区別ならまだかわいいもの。困るのが色の指定だ。
 とくにブランドイメージがたいせつなシャンパーニュのイベントでは、招待状のドレスコードに色が指定されていることが多い。もちろん、全身を指定色で彩る必要はなく、差し色程度でかまわないのだが、ふだん身に付けることのない色だと、そのイベントのために何かを用意しなくてはならない。
 春にロゼ・シャンパーニュのイベントがあると、決まって招待状には「Something Pink」と書かれている。白シャツに紺ストライプのスーツ、ピンクのネクタイを締めていけばかっこよさそうだが、あいにく私は紺ストライプのスーツもピンクのネクタイも持ち合わせていない。結局春は、ピンクのポケットチーフでお茶を濁してばかりだ。緑も自分には似合わない色なので、ワードローブにジャケットはもちろん、シャツもネクタイも緑色のものは何ひとつなく、「Something Green」とあると頭を悩ますことになる。
 「Something Gold」の指定があったのは、2年前のモエ・エ・シャンドンのディナーだった。はて、どうしようかと考えあぐねた末、格安眼鏡店に行って、ゴールドのセルフレームの眼鏡を作った。どうせ同業者ばかりのテーブルなら、ウケ狙いで構うまいと考えたのだが、なぜか通された席はホテルの総支配人ばかりで、妙に居心地が悪かったことを覚えている。
 あのタキシードはその後、友人や知人の結婚披露宴に出るため何度か袖を通したのだが、自分の結婚式は式場の貸衣装だった。昼間の式に黒いタキシードは着れない。結婚の立会人のひとりをお願いしたKさんは、あのタキシードを着ていない私を見て、どう思っただろう。招待状のドレスコードを見るたび、パリのあの事件を思い出す。(by柳忠之)
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「モエ・エ・シャンドン」:シャンパーニュ最大のメゾン。その昔、当主が皇帝ナポレオン・ボナパルトからレジオン・ドヌール勲章を授かったことに因み、アンペリアル(皇帝の)と名付けられたキュヴェで有名。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/