第55回 たまにはスペイン時間を

 大学時代に「サニー」というテニスサークルに所属していた。高校までは陸上部だったので、自分の身ひとつで競技することしか知らなかった。だから、道具を使う運動、特に棒の先についている網でボールを打つ、なんていうことが、とても高等な技術に思えた。そう、まずは空振りの連続から始まった。
 それはともかく、サークル活動には「サニー・タイム」がつきものだった。どんな時間だと説明すればよいのだろうか。まあ、うだうだと過ごす無駄な時間とでもいうのだろう。
 練習が終わると、決まってどこかのファミリーレストランへ向かい、お茶をしたり食事をしたりしていた。そういう時、皆が集まるのを待って移動するのだが、なかなか全員そろわない。その間に、なんだかんだとおしゃべりをする。そろそろかなあ、と幹事役が全員の顔を見渡すのだが、一人か二人欠けている。正義感ある人が探しに行くと、待ち人が来た。今度は探し人を待つことになる。すると「あぁ〜、またサニー・タイムが始まったよ」と誰かが呟くのだった。

 時間の感覚が国によって違う、というのは体験済みの方も多いと思う。だいたいパンクチュアルなのは、日本人とドイツ人に決まっている。時間通りになんか絶対に動かない、と考えられているのは、イタリア人とスペイン人なのだと思う。だから、秋にスペインを訪ねた時にも、覚悟の上で取材に臨んだ。
 スペイン北東部のカタルーニャ地方にあるビラフランカという小さな街の、こぢんまりとしたモダンなホテルに5泊した。毎朝8時半にフロントにお迎えが来て、その日の行程が始まる予定になっていた。もし日本での仕事なら、約束の5分から10分前にはその場に居るように準備する。でも、場所はスペインだ。時間通りに来る見込みはほぼないだろうから、ちょうど8時半にフロントに着いていればよいだろう、と考えた。
 月曜日の朝は、案の定、お迎え到着は8時45分過ぎ。まあ、スペインでは極めてノーマルな感覚なのだと思った。火曜日の朝も同じぐらい。うんうん、これがスペイン時間なのだと納得した。
 ところが、水曜日は8時45分を過ぎても、9時近くなっても、誰も姿を表さない。おぉ、もしかすると、これが本当のスペイン時間なのかもしれない、と思っていると、フロントの男性が私のほうを見ているのに気がついた。
「君に電話だよ」と言うのだ。
 フロントの空間は、日本のビジネスホテルのそれよりも狭いぐらいで、係も一人だけ、ソファーで待つ客も私だけだった。きっと、私の待ち人からに違いない。
「ヤスコか? 申し訳ない。でも、車が故障してしまったんだ。高速道路で車が止まってしまってね。今、助けを頼んだから、もう少し待ってくれないか。あと30分ぐらいはかかると思う」
 それならば、と一旦部屋に戻って待つことにした。その後、本当に30分ほどしてからフロントのお兄さんから「来たよ」と連絡が入ったので、事故がなければ、本当は、8時45分ぐらいには到着していたのかもしれない。
 木曜日の朝は、さあ今日はどんな一日の始まりになるだろうかと、いつものようにせっせと出かける用意をしていた。すると、8時15分頃に部屋の電話が鳴り始めた。何ごとだろうか? また何か不具合があって、今日は早めの連絡が来たのかとも考えた。
「迎えが来てるよ」と、フロントのお兄さんが言う。
 自分の耳を疑うと共に、時計の針を確認した。いや、確かに長針は3の位置にあるし、iPhoneのデジタル時計でも8:15と表示している。おかしい! でも、ともあれ来ているというのだから、行かねばならない。
「わかった、ちょっと待っててもらって」と伝え、あわてて鞄に取材道具を詰め込んだ。ノートとペン、カメラにお水、それと行程表があれば十分だ。
 フロントに降りて、まずは握手。スペイン人に「お待たせしました」と言ったのは、生まれて初めてのことだったような気がする。若く意気揚々とした小柄な男性は、ワイナリーに到着するまで、車の中で色々な話を聞かせてくれた。
 彼は、プロモーションのために日本に1週間ほど滞在したことがあるそうだ。その時に輸入元の人から日本人の「5分前行動」について聞き、たいそう印象に残ったようだ。だからその日も、訪問者が日本人の感覚に合わせて早めに迎えに行ったのだ、という。
 おぉ、「日本時間」が「スペイン時間」に影響を及ぼしているなんて! と、ちょっと驚いた。でも、15分も早かったわよねぇ、といった意地悪は言わないでおいた。だって、その人はとっても情熱的にワインについて語ってくれたから。
「僕たちが、何年もかかってしてきたことを、たったの2時間で説明するなんてできないよ」と、早めの迎えは1分1秒をも大切にしたいという証でもあった。それにとても早口で、ひとつでも多くのことを伝えたい、という意欲に溢れているのが、手に取るようにわかった。
 だいたい1軒で約2時間取材時間があるのだが、相手によってその中身の濃さはまちまちだ。なんとなく2時間をやり過ごそう、と見える人もいた。何を質問されてもいいように、3人がかりで対応してくれたワイナリーもあった。一番スペインらしくていいなあ、と思ったのは「君が来てくれたから、こんないいのを開けちゃったよ」と、本当に嬉しそうに共にランチを楽しむ姿だ。
 そう、そしてこの濃度の違いは、自然に誌面の文字にも反映されるのでありました。

 時間の感覚というのは、国によって異なるけれど、同じ日本でも住んでいる場所の影響もあるように思う。私の場合、東京に住み始めてもしばらくは「都会の人」にはなれなかった。
 件のサニーの友人と、喫茶店で待ち合わせをしたことがある。たぶん、まだ一年生の時のことだと思う。まさに「田舎の人」のままだった。約束時間になっても友は現れなかったが、いつもバッグに忍ばせていた文庫本を取り出して、のんびり本の世界に浸っていた。30分経っても来ないけれど、まだ読み終わっていないし、まあいいか、と読みふけった。
 いつの間にか、更に30分ほど経過していた。う〜ん、日にちを間違えたのかなぁ? とも思ったが、当時は携帯電話があるわけではないし、確認のしようがなかった。それから15分ほどしてからだっただろうか、店に慌ただしく入ってくる人がいた。
「あ、いた!」と、目を丸くして私のほうへ駆け寄ってきた。都会育ちの友にすれば、約束から1時間以上も待つなんて、とても信じられなかったようだ。
 あの頃は、学生時代で時間に余裕があったし、今のようにメールやライン、メッセージとか、そんな便利なものもなかったから、待てたのだろう。今ならば、「今、どこ?」「どうしちゃったの?」「もう、帰るね!」とか書いちゃって、さっさと次の行動に移っているに違いない。
 便利でスピーディーなのもいいけれど、こういう待ち時間とか、「サニー・タイム」とか、無駄な時間というのは意外に貴重なのかもしれない。そう、だから今度スペインへ行く機会があったら、スペイン時間を満喫してみようかなあ、などと妄想している。(by名越康子)
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[ビラフランカの小さなホテルの朝ご飯。毎日、鉄瓶でお茶を入れ、塩胡椒してオリーブオイルをたっぷりかけたトマトを丸ごとひとつ食べていた。スペイン? 少なくともカタルーニャ地方では紅茶を飲む習慣がないようだ。お茶系は、グリーン・ティー=緑茶、ブラック・ティー=烏龍茶的なお茶、レッド・ティー=ハイビスカス・ティーのようなハーブティー、しか選択肢がなかった。だから、鉄瓶で緑茶を入れ、ホット・ミルクを加えるという、奇妙なミルクティーを飲むことにした]
今回のカタルーニャ地方の取材では、スパークリングワインの「カバ」の中でも「チャレロ」という地元品種(土着品種)に焦点を置いて取材した。適材適所で残るべきものが残っているんだなあ、というのが正直な感想だ。慣習も同じようなことで、その土地で生きていくための智恵の結晶なのかもしれない。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/