第62回 ワインと筋肉

 最近、ワイン業界で「走る人」が増えてきている。柳さんもその一人だが、フランスのボルドーまでわざわざ足を運び「メドック・マラソン」に参加する人たちも後を絶たない。ワイン関係者以外でもマラソン人口は増加しているというし、どうしてみんなそんなに走りたいのかなぁ? と、人生の前半で嫌というほど走り続けた私は思っていた。
 中国の「グレースワイン」の若きCEOジュディ嬢は「美味しいものを食べて飲むために走っているのよ」と、宿泊しているホテルに近い皇居の周囲を走ったと言っていた。小柄でチャーミングな女性だった。
 「昔、僕100キロ以上あったんだけれどね」と、背が高くて細身の、シャンパーニュ大好きな日本人男性は言っていた。ITだったかゲームだったか、そういう関係の仕事をしている。すでに一代で資産を築き上げたので、今では好きなプレステージ・クラスのシャンパーニュや古い偉大なワインを奥様と楽しんでいる優雅な人だ。最近お会いしてないが、彼のfacebookは豪奢な食事風景か、走った後の晴れ晴れとした笑顔ばかりで華やいでいる。

 こういう話を聞いていて「走る=カロリーを消費する=たくさん食べても太らない」から「美味しいものを食べて飲むために走るのだ」と、単純に解釈していた。ところが、どうやら少し違うようだと最近気がついた。
 あるレストランの、リニューアル・オープンのレセプションに参加した時のことだった。広報担当の人から、店の新しいオーナーのNさんを紹介された。シャンパーニュを片手に、まずは日本人らしく名刺交換から始まった。
 Nさんは、いくつもの会社を持つ男性で、そのひとつがスポーツジムだった。ご自分の引き締まった上半身の写真も名刺に載せるぐらいだから、筋肉に自信があるのは明らかだった。だから、ちょっとした筋肉ネタをふってみた。
 「筋肉があると、免疫力が上がるんですってね。それに身体に保てる水分量が多くなるから、熱中症になりにくいとか」。NHKの「ためしてガッテン」から得た情報だった。
 すると、満面の笑みでのってきてくれた。いかに自分の筋肉が多いか、そして体脂肪はヒョウかシマウマほどにしかなく、とても低いのだということも教えてくれて、さらにこうつけ加えた。
 「筋肉がたっぷりあると、いっぱいワインを飲めるんだよ!」え? そうなんですか!? つまり、筋肉が増えると基礎代謝が高まるので、たくさん食べて飲んでもすぐに消化されてしまう、というようなことらしい。

 そういえば、10年以上使ってきた体重計が壊れたので、昨年新調することにした。今の機械は優れもので、体重計なのに計れるのは体重だけではなかった。既に一般的になっているから「そんなことも知らなかったの?」と言われるにちがいないが、私は随分驚いたのだ。
 体重、BMI、体脂肪、筋肉、骨量、内臓脂肪、基礎代謝、体内年齢、体水分などの項目が表示される。身長と生年月日、性別をあらかじめ登録しておくと、数値が標準値と比較してどうなのかという「判定」も出る。はじめは「へぇ、すごいのね」というぐらいにしか思っていなかったが、Nさんの話を聞いてはじめて「なるほど!」と合点した。
 その後、別のワインの席で筋肉隆々の若い男性がお隣だったことがある。フリーペーパーの編集者で食関係を担当しているというから、食べる飲むは半分仕事のようなものだ。
 「鍛えてますねぇ。たくさん飲めるでしょう?」というと、爽やかな笑顔でハキハキと答えてくれた。
 「はいっ! ワインなら一人で一晩2、3本は軽くいけますよ」。
 そういいながら、高級なシャンパーニュをぐいっと飲み干し、サービスマンにお代わりを願っていた。私は注がれていた量の半分もまだ飲んでいないのに。日本のワイン消費量アップへの貢献度が「大」の人だった。ありがたい!

 中学でも高校でも陸上部に所属し、中距離を専門にしていた。当時は土曜日も登校していたし、部活動は毎日あった。日曜日も練習に出たり大会に参加したり。だから、1年で360日ほどは走る生活をしていたことになる。当時はどのぐらいの筋肉があったのか、つい知りたくなってしまう。
 反対に、社会人になってからはほとんど運動をしていない。加えて6、7年前にスキーで膝を痛めてからは、走ることを諦めていた。でも最近になり、ある土曜日の夕方に近所の散歩に出かけた時に、何となく軽く走り出した。走り続けるのは難しいが「走る&歩く」の組み合せを、あまり頑張らないで続けてみた。これって、結構気持ちよいかもしれない。
 さて翌日の朝、体重計に乗ってみた。「筋肉」が少し増えて「基礎代謝」も上がっているではないか。運動しないとまた元に戻る。運動を2日続けると、どちらもまたさらに増える。貯金はなかなか増えないけれど、筋肉は運動すれば着実に増えるものなんだなぁ、となんだか面白くなってきた。
 マラソンに出る気など毛頭ないが、皆が走りたいと思う気持ちが少しだけわかるような気がしてきた。燃やせる身体をつくりたいんですよね?(by名越康子)

メドック・マラソン:フランスのボルドー地方で、毎年秋に行われているマラソン大会。偉大なワイナリーが立ち並ぶ街道を走るコースで、各ワイナリーの門前では結構なワインが「給水」用に振る舞われているらしい。走る人は「仮装」組と「真剣」組にわかれているようだ。
グレースワイン:中国北部の山西省に拠点を置く、中国で最も有名なワイナリーのひとつ。創業者は父だが、ワイナリーを発展させたのはジュディ本人で、恐らくまだ30代。日本にも輸入されている。
柳忠之・名越康子

柳忠之(やなぎ・ただゆき)
1965年、横浜生まれ。ワイン専門誌記者を経て、97年に独立。フリーのワインジャーナリストに。山梨から地球の裏側のチリまで、世界中のワイン産地を訪問。現地の最新ワイン事情を伝える。ワイン専門誌「ワイナート」のほか、「Madame Figaro Japon」「GOETHE」「Forbes Japan」などライフスタイル誌にも寄稿。日経ムック「Wine Style」の監修を務める。

名越康子(なごし・やすこ)
市庁舎の設計が若き丹下健三だったという、鳥取県倉吉市出身。慶應義塾大学を卒業の後、不動産会社に入社し、ビールもろくに飲めなかったにも関わらず、なぜかワインの道に迷い込む。輸入元勤務を経てワインの原稿書きを始めて、もうすぐ25年 !? 長年フリーランスを続けウエッブサイトWine Press Japanを立ち上げたが、この年になって「就職」することに。現在、Wines & Spirits専門誌「WANDS (ウォンズ)」編集記者。こちらもウエッブをオープンした(http://wandsmagazine.jp)。Facebokページはこちら→https://www.facebook.com/WANDS-1019991378019769/