第3回 キープ・マイ・バランス

 回文を作るようになったのは大学生の頃で、きっかけは特にない。強いて言ってみるなら、内側から沸き起こってくる衝動のようなものだった。誰かが作った回文を見て憧れたということはなかった。本業である短歌については寺山修司とか穂村弘とかはっきりとしたヒーローがいたからわかりやすく説明できるけれど、回文にそういうのはいない。というより回文の作者を意識するという文化がない。「上から読んでも下から読んでも同じ」という構造の関係上、誰が作っても「正答」は一つしかないわけだから当たり前といえば当たり前だ。「これは自分が最初に考え出したオリジナルだ」と主張してもそれを証明することは理論的に不可能。回文は根本的に「創作」と捉えることが難しい形式なのだ。
 子供の頃から作家への憧れはなんとなくあったものの、作文すらまともに書けないのだからと内心諦めていた。それに頭の中になだれ込んでくる情報の洪水を処理することで脳がいっぱいいっぱいだったので、物語のかたちで空想を繰り広げているような余裕はなかった。小中学生時代の私の空想の方法はいわゆる「設定魔」であり、データを積み重ねて一つのシステムを完成させていくことに喜びを感じるタイプだった。架空のプロ野球リーグの成績を延々とノートに書き続けるとか、架空の人物の経歴をずっと書き連ねるとか、そういうやつ。暗いね。

 その頃の私は、自らの体をうまくコントロールできない自分にいつもいつも苛立っていた。野球部員だったけれど運動音痴で下手くそだった。それと歌(短歌ではなくソングの方)も下手だった。音痴がひどくコンプレックスで、音楽の授業中は「自分の歌が下手なのは体の病気なんだ、生まれつきなんだ」と誰にも言わない言い訳を心の中に溜め続けていた。そんな病気あるはずないのに。なお歌については、無職時代に暇にあかして毎日一人カラオケに通いまくって克服した。今ではカラオケ大好きである。よく歌うのはミスチルの『抱きしめたい』。
 体のバランスが悪かった。まっすぐに歩けない。どんどんどんどん右に寄っていく。両腕を横にぴんと伸ばしてから体の前にもってくると、両手がぱたんとつかないですかっと空振る。何でなのかはわからないけれどそのバランスの悪さが、自分が何をやってもどんくさい原因なのではないかとは感じ取っていた。いつも顔の半分に貼り付いたような笑顔を浮かべながら、もう半分は無表情だった。人には笑顔の側だけを見せて過ごしていた。だからいつも教室の中央にいることはなかった。右側か左側かに寄っていた。無表情の方の顔を見せたくなかったから。バランスの悪い自分の顔が嫌いだったから。
 別に誰かに憧れて回文を作り始めたわけではない。特定の回文に感動したからでもない。ただ、強迫観念に近い何かが私を突き動かしていた。それはバランスへの希求だったのかもしれない。伸ばした両腕をうまくぱしんと合わせられるように、文字と文字とをきれいな対称系に折り重ねたかったのかもしれない。

 ところで私は、短歌を作るとき口語で旧仮名というスタイルを用いている。「けり」とか「たり」とかを使わずに私たちが日常で使っている言葉そのままを短歌に載せる口語短歌が浸透するようになったのは、せいぜいここ30年、俵万智が登場してからのこと(それ以前からずーっと実験はされ続けていたけれど)。「おもう」ではなく「おもふ」と表記するような旧仮名が使用されていたのは戦前のこと。この二つの文体が同居しているのは、本来ならきわめていびつでバランスの悪い状態なのだ。でも私はあえてその方法を選んだ。バランスの悪さに悩み続けていた自分を引き受け、納得させるために。つまり、回文と短歌はそれぞれまったく逆のベクトルのものを希求しながら作っている。しかしその根っこには、全てにおいてバランスが悪かった昔の自分に対する清算という思いが、きっとあるのだろう。
96_3-1
96_3-2
96_3-3
山田航(やまだ・わたる)。
1983年生まれ。歌人集団「かばん」所属。2009年第55回角川短歌賞、第27回現代短歌評論賞を受賞。第1 歌集『さよならバグ・チルドレン』で第27回北海道新聞短歌賞、第57回現代歌人協会賞を受賞。同年、第4回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。札幌市在住。

イラスト:タナカ由美