第6回 ドン・キホーテの手ほどき

 ドン・キホーテの中には、手ほどきがある。いきなり何を言っているんだと面食らった方も、なんとなく察した方もおられることだろう。「どんきほーて」を一字ごとに分解すると、「てほどき」を抜き出すことができるのである。言葉を使って数学の素因数分解のようなものをしているといえなくもない。
 このように単語の中からまた別の単語を抜き出すという行為が、言ってみれば私の回文づくりの原始的なかたちである。何かしらの単語が目に入るたびに、反射的に文字を一字単位に分解して捉えてしまう。そして分解した結果現れてくる複数の単語は、別個のものとして理解するわけではない。頭の中のイメージでは、それらの単語が全部ぎゅうぎゅうに詰め込まれて浮かんでくる。たとえば、「ダンスパーティー」という単語を見たら、パンダが集団で踊っているイメージで頭がいっぱいになる。上品に社交ダンスをする紳士淑女たちの姿なんて、全く思い浮かばない。「クリスマス」と聞けば栗とリスと薬がみっしり詰め込まれた靴下を想像してしまうし、「バレンタインデー」なんて聞いた日にはレバーとバターと鯛の味が同時に思い出されてきて、ちょっと気分が悪くなるのである(ただし鯛の味をしょっちゅう味わっていたわけではないので、抽象的な魚一般の味のイメージだった)。それでいて、真っ先に目に入ってくる「バレたい」という言葉のインパクトにも引きずられてしまう。確かに秘めた想いをバラしてしまうのがバレンタインデーなのかもしれないけれど、レバーにバターに鯛にとお腹いっぱい過ぎて、もうチョコレートの甘さを想像する余地も、恋の甘酸っぱさのイメージを甘受するお腹の余裕もなくなってしまうのだ。また場合によっては、本来ない文字を補ってまで脳が別のイメージを引き出してくることもある。「さだまさし」の名前を見ると「しまださん」が思い浮かぶ。わざわざ「ん」を付け加えてまで、「さだまさし」と「しまださん」の顔を重ねてしまう。「しまだ」では駄目で、どうしても「しまださん」なのだ。私が人の顔をなかなか覚えられないのもここに理由があるような気がしてならない。私にとって「さだまさし」の顔は、常に「さだまさし」と「しまださん」がミックスされたような顔として記憶されているからだ。

 頭の中を飛び交うシュールなイメージの連続に、「お前ら意味不明なんだよ!」と叫びたくなる。しかし別に言葉の方は悪くないのだ。悪いのは、頼まれてもいないのに勝手に言葉を読み取り過ぎててしまうこっちの方なのだ。このままじゃ踊るパンダ軍団に脳内を支配されておかしくなってしまう。目に入った単語を逆読みするようになったのも、もとはといえばこの、単語分解癖から生じてくるイメージのとっ散らかりを防ぐのが目的だったように思う。「ーィテーパスンダ」と読んでみることに脳のメモリーを使用してしまえば、頭の中でいつまでもいつまでも続いている忌々しいパンダどもの踊りを阻止することができるかもしれないと、おそらくは無意識に考えたのだ。つまり逆読みは、余計なイメージで頭が氾濫するのを食い止めるための防衛手段だった。しかしこれはこれでナンセンスという、また違う種類の余計な情報の流入を許す結果になってしまった。そのナンセンスの中から意味を見出すことで救いを求めようとして、回文というかたちが立ち現れてきたのである。

 歌人の高柳蕗子さんが「ドン・キホーテの中には手ほどきがある」のような言葉の分解遊びを、幼かった頃の息子さんとよく一緒にやっていたとどこかに書かれていたのを見たことがある。息子さんたちは歌人の子で俳人の孫(高柳蕗子さんのお父上は前衛俳句の巨人・高柳重信である)の割に文学には興味を示さなかったそうだが、この言葉遊びは大好きだったらしい。ちゃんと理解してくれる者さえいれば、言葉をおもちゃにして遊ぶだけの楽しいゲームである。しかし私にはこの言葉の分解癖を理解してくれる存在はいなかったし、理解してくれるよう説得する力もなかった。何かの手ほどきをするドン・キホーテに、踊り狂うパンダたちに、さだまさしに寄り添うしまださんに、ひたすらに苦しめられてきたのだ。言葉遊びとはなんだかんだで、言葉を使って人間と人間が遊ぶという、コミュニケーションの手段なのだ。言葉をとっさに分解してしまう思考回路を親にも友達にも誰にも言えないままずっと内側に貯め込んでいた幼少期の私は、使い方のわからないおもちゃを頭の中でずっと散乱させ続けるばかりだったのだ。
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山田航(やまだ・わたる)。
1983年生まれ。歌人集団「かばん」所属。2009年第55回角川短歌賞、第27回現代短歌評論賞を受賞。第1 歌集『さよならバグ・チルドレン』で第27回北海道新聞短歌賞、第57回現代歌人協会賞を受賞。同年、第4回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。札幌市在住。

イラスト:タナカ由美