第16回 「ベタな回文構文」の一歩先を

 他人が書いた小説や作った短歌を読んでいて「うらやましい」と感じることはないが、他人の作った回文を読むと「くそっ、このパターンがあったか。なんで気付かなかったんだ」と思うことがある。私は回文をゼロから創作するものではなく、無意識の中から掘り起こすものと捉えているので、自分より先に無意識にアクセスできた人の鋭敏な嗅覚に憧れてしまうのだ。世界の中に隠された未知の法則性を探り当てられるセンスに、いつだって魅了されてしまう。だから数学者を一番尊敬する。
 しかしそれでもたまに、回文に対してどうも美学を抱えてしまうことがある。いわゆるベタな「回文構文」は使いたくない。具体的にいえば、次のようなもの。

夜ニンジン煮るよ(よるにんじんにるよ)
私負けましたわ(わたしまけましたわ)
旦那セクハラは癖なんだ(だんなせくはらはくせなんだ)

 いずれもベタ中のベタな回文。これらの使われている「夜~るよ」「私~したわ」「旦那~なんだ」でくくるような構文は、回文の初歩としてよく使われる。「誰でも作れる回文講座」みたいなのがあったら(誰に需要があるのかわからないが)、まずこの構文を使って作ってみようとなるだろう。たとえば最後の「旦那セクハラは癖なんだ」は、中心に名詞で終わる回文を入れればなんでも成立する。「旦那新聞紙なんだ」でも、「旦那夜勤でも電器屋なんだ」でもいい。
 しかし、私は美学としてこういうのをあまり使いたくない。自分のホームページに載せている回文一覧にも、この構文を使ったものは入っていない。使ったことはあったかもしれない。しかし、あまりにも安易に思えたので捨ててしまったのだ。だってそればっかりだと、日本語として不自然な気がしてしまうもの。やっぱり、「回文と気付かれない回文」を理想としたいのだ。
 だからこういったベタ回文の「回文構文」を取り払って、より無理のない日本語として伸ばしてゆく方法を、「誰でも作れる回文講座」のステップ2としてゆきたい。

 「夜ニンジン煮るよ」だったら、「煮る」をさらに展開してみる。たとえば「煮込む」にしてみると、「婿ニンジン煮込む」にできる。でもこれだけだとどうも元のものと大差がない。「煮込む」を活用してみよう。煮込まない、煮込みます……「ニンジン煮込めない」。逆さ読みを頭に付け加えると、「いなめこニンジン煮込めない」。「なめこ」が出て来た。ぬるぬるのなめこ。食材つながりでなんだかいけそうだ。最初の「い」に何か付けてみたい。最初に付いても最後に付いてもおかしくなさそうなもの。できれば食材の名前が出て来るもの。うーん……「貝」。

貝、なめこ、ニンジン煮込めないか(かいなめこにんじんにこめないか)

 煮込みたくないなあ。どんな料理だ。とにかく、「夜ニンジン煮るよ」というベタな回文をもとにちょっと回文ワールドを広げることが出来た。「貝~ないか」もわりとベタな回文構造だけどね。

 じゃあ「私負けましたわ」はどんな風に展開出来るだろう。「私~したわ」構文がわざとらしすぎるのがどうも気に入らないポイントである。私じゃなくて「あたし」にし82_#16-3みよう。「あたし負けましたあ」。この「あ」に何かつなげられる言葉はないか。「にたなあたし負けましたあなたに」。「煮たな(似たな)あたし負けましたあなたに」。ここまで来たら、また「回文構文」で挟み込むという手を考えてみたい。だから「旦那似たなあたし負けましたあなたになんだ」でもいいわけだが、意味不明すぎるし、やっぱりベタな回文構文は使いたくない。意味が通り、かつそれほど有名ではない回文構文を引っ張ってきたい。
 ベタな回文構文以外の回文構文をどれくらいあらかじめストックしておけるか。これが不自然さのないきれいな回文を見つけ出すコツだ。「錦鯉」と「囲碁棋士に」なんてどうだろう。「錦鯉が囲碁棋士に」だけでスパッと切れ味のある回文になっているのだが、ちょっと回文構文として援用してみよう。

囲碁棋士に似たな。あたし負けました、あなたに錦鯉。
(いごきしににたなあたしまけましたあなたににしきごい)

 錦鯉をどれだけうまく育てられるかという対決をしていて、ライバルが囲碁棋士そっくりの錦鯉を育て上げるのに成功したので白旗を揚げたという内容だと解釈してください。この背景には錦鯉をめぐる壮大なドラマがあるのですがそれについては各自想像を働かせておくように。82_#16-182_#16-2
山田航(やまだ・わたる)。
1983年生まれ。歌人集団「かばん」所属。2009年第55回角川短歌賞、第27回現代短歌評論賞を受賞。第1歌集『さよならバグ・チルドレン』で第27回北海道新聞短歌賞、第57回現代歌人協会賞を受賞。同年、第4回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。札幌市在住。

イラスト:タナカ由美