第17回 逆に読むな危険

 子どもの頃に誰もがやったことがあるだろう、こんな謎かけがある。「フルーツポンチを逆にするとどうなる?」。そのまま逆さに読むと卑猥な言葉を発してしまうことになるのでためらっているところ、「正解は『こぼれる』でしたー!」と種明かしする、たわいない遊びである。しかし、わざわざ謎かけされなくても当然のこととして目に入る言葉が逆さまになる私にとっては、結構な死活問題である。
 「フルーツポンチ」はあまりにベタすぎて逆読みの癖にシャッターを閉じておくことをなんとか出来るようになったけれど、逆さに読むと卑猥になる言葉なんて他にもいくらでもある。「コンマ以下」とか、「コンチネンタルカップ」とか。なぜ世の男子小学生は「フルーツポンチ」にばかり魅入られて、「コンチネンタルカップ」の危険度には注目しないのだろう。そして最近、私の顔をしょっちゅう赤らめさせ続けているのが「湿布」である。座りっぱなしの仕事柄か腰の調子が悪いことがあり、湿布を貼ろうとするのだが、「湿布」という名詞を考えるたびにその逆さ読みが反射的に頭を去来し、しかもそのお尻に「ー」(伸ばし棒)をついつい付けてしまい、ひとり恥ずかしさをこらえることになる。他にも「リクエスト」とか「現地解散」ですらも平静ではいられなくなる。「ナイチンゲール」に対する男子小学生の反応と近いものが、体内からふつふつと湧いてくる。「フルーツポンチ」ではしゃぐ微笑ましい男子小学生も、「リクエスト」にまで反応するようになったら相当末期である。
 ほかにも個人的に、目にするたびにヤバいと思っているのが「ズッキーニ」。逆から読んだら「ニーキッズ」。いったいそれの何が問題なんだと思われるだろう。しかし回文に取りつかれている私は、「ニーキッズ」の文字列をイメージした時点でもはや「オ○ニーキッズ」とまで言葉をつなげていくことができるなとまで考えてしまうのだ。これはもう病気としか言いようがない。前半を「ズッキーニ尚も」にすれば、文脈のうえでもそんなに不自然さがない。間にさらに短い回文を挿入すれば、それなりによくできた回文になれそうなポテンシャルだ。しかしいくらなんでもこんな回文を世に出すわけにはいかない。自分の品性に関わる。別に私は日々下ネタのことばかり考えているわけではない。どちらかというと下ネタは苦手だ。しかし「言葉」というのは私個人の性格や社会的なイメージなんて一切考慮しない。それは一個の完璧に構築された建築物であり、ただそこにあるものとして立ち現れてくるだけだ。「言葉」そのものはその内部にあるものが良い言葉であるか悪い言葉であるかなどの倫理的判断は、一切行わない。

 そして私の場合、単に頭の中で逆に読んでしまうだけではなく、ついつい口に出してしまうことすらあるから、余計に被害が大きい。回文脳を持ち合わせてしまったことによる悲劇は実は少なくない。何度街なかで放送禁止用語をぼそりとつぶやいて立ち去る不審人物になったか、数え切れないくらいだ。
 この日本社会は、みんな気付いていない「フルーツポンチ」的罠がいたるところに潜んでいる。私のような回文脳の人間しか引っかからないタイプの、とても厄介な罠が。その罠に対して私はどういう風に対処してきたのかというと、「フルーツポンチ」がそうであるように、「男子小学生レベルのつまらない下ネタだから深く考える必要なし」と脳に命じ続けてきたのだ。想像できるかぎり最大限に頭の悪そうな男子小学生を脳内にこしらえて、「フルーツポンチ」ではしゃぐさまを想像し続けることで、「自分はこれと同じになってはいけない」と思い込んで乗り切ろうとしてきたのである。
 ただこの方法はこの方法で少しずつ問題点が出て来た。私の脳内の「最大限に頭の悪そうな男子小学生」は、もはや英語のスラングすらそのボキャブラリーの中に取り入れているませた小学生になってきてしまったのだ。仕方ないので、男子小学生から男子中学生に進級させてやろうかと検討しているところである。81_#17_181_#17_281_#17_3
山田航(やまだ・わたる)。
1983年生まれ。歌人集団「かばん」所属。2009年第55回角川短歌賞、第27回現代短歌評論賞を受賞。第1歌集『さよならバグ・チルドレン』で第27回北海道新聞短歌賞、第57回現代歌人協会賞を受賞。同年、第4回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。札幌市在住。

イラスト:タナカ由美