第18回 回文が伸びてゆくまで


  抱いたし綺麗な襟足だしありえない轢死体だ

 私の考えた回文の一つである。轢かれてめちゃくちゃになってしまった恋人の遺体を抱きながら、唯一生前の名残りを留めていた襟足の美しさを確認して「こんな美しい轢死体はありえない」と泣き叫ぶ、というストーリーだと解釈してください。イメージするときはモザイク付きでどうぞ。今回はこの回文をサンプルに、短い回文をどのように長くしていったかを書こうと思う。
 実はこの回文、最初の最初は「ありえんエリア」だった。「ありえない」を逆から読んだら「エリア」が隠れているという「回文の種」に気付き、「ありえない○○いなエリア」という構造で作っていこうとしたのだけれど、挫折した。○○に入れる言葉でしっくりと来るのがなかなか思いつかなかったのだ。「エリア」という言葉が漠然としすぎているのがいけなかった。エリア51しかイメージが湧かない。そのままの状態で数ヶ月ああでもないこうでもないとこねくり回していた。しかしある日ひらめいた。「エリアという言葉にこだわらなくてもいいのではないか?」えりあ、えりあ……襟足という日本語があるじゃないか!
 つまり「し、ありえない○○いな襟足」という構文を作ることが可能だ。そして「し」に接続することが出来て、名詞の後に続いても違和感のない終助詞として成立するひらがながある。「だ」だ。「だし、ありえない○○いな襟足だ」。日本語としてだいぶこなれてきた。
 そしてこう眺めてみると、「襟足」へ接続するにふさわしい、「○○いな」にちょうどいい言葉が見つかった。「きれいな」。体の一部なんだし、襟足がチャームポイントという人も世の中にはいるだろうから、「きれいな襟足」という言葉は十分に成立するだろう。そういえば私が襟足という日本語を覚えたのは『古畑任三郎』のキムタクが犯人役の回で、田村正和がキムタクのことを「私より襟足の長いお兄さん」と表現したときだった気がする。
 さて、これで「だし、ありえないきれいな襟足だ」となり、日本語としてカチリとハマった。ただ、回文にならない。逆に読むと「だしありえないれき」になってしまう。「だしありえないれき○○きれいな襟足だ」かあ。「れき」の後の部分だけではなく、最初の「だし」の前にも何か言葉を付け足さなくてはならない。きついなあ。
 と、ここでもう一つピンと来た。「襟足だ」の「だ」と、「だし」の「だ」を、くっつけてしまったらいいんじゃないか。つまり、語順を逆にする。「きれいな襟足だしありえないれき」。こうすれば、ちゃんと日本語として成立するじゃないか!
 こうして、「きれいな襟足だしありえないれき」という回文が完成した。あとは「れき」の後に何を入れるかだ。「れき」の付く言葉をかたっぱしから考えてみよう。歴史、歴代、礫岩、レキシントン……。「れきし」だと「し、きれいな襟足だしありえないれきし」というふうにつなげてゆくことが可能だ。ここでもまた接続詞「し」にお世話になるなあ。「たくさん飲むし、たくさん食べるし」みたいな文に出てくるときの「し」ね。話題を変えてくれる接続詞だから、無理のある接続でもなんとかしてくれるんだよね。「たくさん飲むし、仮面ライダーに変身するし」でも(意味の上では)違和感ないもんなあ。
 そう来るとやっぱり、さっきと同様に「だし、きれいな襟足だしありえないれきしだ」とやりたいところだけど、また「だし」の前を考えるのはさすがにきつい。同じことを繰り返して迷宮にはまりそうだ。「し」に接続するのは「だ」だけではないんだし、柔軟に考えてみよう。「れきし」のあとに何かつなげられないか。れきし、れきし……轢死体。れきしたい! 轢死体があった!
 これまで「れきし」といえば「歴史」だろうという考えに囚われていたけれど、「れきし」は「歴史」だけではなかった。ちょっと危ない気もする言葉だけれど、そんなの構ってはいられない。「いたしきれいな襟足だしありえない轢死体」。さあ、あとは「いたし」の前に何を接続するか。ここはもう終助詞くらいしかありえない。となるとやっぱり。「だ」だ。「抱いた」が出てくるじゃないか!

  抱いたし綺麗な襟足だしありえない轢死体だ

 こうしてこの回文は完成した。最初の回文の種「ありえんエリア」を見つけ出してから、ゆうに半年以上をかけての完成だった。私がぼーっとしていたり人の話を聞いていなかったりするときはたいていこんなふうに数ヶ月がかりの回文を考えているところなので、そっとしておいてください。80_#18_180_#18_280_#18_3
山田航(やまだ・わたる)。
1983年生まれ。歌人集団「かばん」所属。2009年第55回角川短歌賞、第27回現代短歌評論賞を受賞。第1歌集『さよならバグ・チルドレン』で第27回北海道新聞短歌賞、第57回現代歌人協会賞を受賞。同年、第4回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。札幌市在住。

イラスト:タナカ由美