第15回 永遠とカツカレー

 すっかり回文作りにハマってしまうと、あるタイプの言葉に敏感に反応するようになる。一字をおいて同じ字が繰り返すという形式の言葉だ。たとえば「永遠(えいえん)」、「兵隊(へいたい)」「カツカレー(かつかれー)」など。つまり、一語のなかに対称形をあらかじめ含んでいる。こういうタイプの単語は、「永遠(えいえん)」であれば「い」を中心にしてぱたんと折り畳める構造になっている。だから当然、「い」を中心にした回文へと思考を働かせやすい。「永遠(えいえん)」の前に「ん」の付く言葉が来るように工夫してみるだけなのだ。「ん永遠」。「にん永遠に」。「ろくにん永遠にくろ」。「げころくにん永遠にくろこげ」。「下戸6人永遠に黒焦げ」。大して出来のいい回文ではないが、こんな感じに思考の取っ掛かりにはなりやすい。
 さらにいえば、こうした構造の単語は、類似のものを見つけやすい。「永遠(えいえん)」であれば、「アイアン(あいあん)」「快感(かいかん)」「経験(けいけん)」「採算(さいさん)」「聖戦(せいせん)」「タイタン(たいたん)」「背反(はいはん)」「雷嵐(らいらん)」「パイパン(ぱいぱん)」と似た構造を持った単語を大量に見つけられる。永遠からパイパンへの間には快感と経験があることが判明した。また、「だいだん」はそれだけではこうした単語にはならないが、「大団円(だいだんえん)」まで導き出せれば十分に回文の種になるだろう。

 こうしたあらかじめ対称構造を含んだ単語を発見すると、心のなかでガッツポーズをしてしまう。よっしゃ、良い種を見つけた!という気分だ。しかし実際にうまく活かされて、完成した回文として昇華されるものはごくわずかだ。全部が全部ちょうどよく前後につながりうる助詞や単語があるわけではない。大量の失敗作を潔く捨て去ってゆく厳しい道のりを耐え忍んでゆかなければ、回文は完成しない。
 むしろこういう単語は、主役よりも補助的な脇役としてのほうがうまく機能してくれることがある。「禁煙延期」だとあまりにもシンプルすぎて回文としての面白みが薄いが、真ん中に挿入して「禁煙永遠延期」とするだけで、過剰さが演出されてもう少し面白くなる。もちろん「禁煙経験延期」や「禁煙聖戦延期」に応用することもできる。「禁煙快感延期」は意味がわからない。
 これと同じように、回文を意味の破綻なくうまく引き伸ばすことができる脇役として重宝するのが、擬態語だ。とりわけ、「ころころ」「ぷにぷに」「わなわな」のような、同じ音を二回繰り返すタイプの擬態語。日本語には非常に種類が多い。これらも当然その単語のなかに対称構造を抱えている。ちょうど中心となる字が「に」である回文があったとする。たとえば「ガス田確かに貸したんですが」。これの中心部にぐにっと挿入するだけでいいのだ。「ガス田確かにぷにぷに貸したんですが」。意味はわからなくなったが、とりあえず文字数が増えた。「いかにも芋煮会」というベタともいえるシンプルな回文があったとしたら、中心になっている文字は「い」だから、「い」で始まって二回繰り返す形式の擬態語を考えてみたらいい。「いかにもいきいき芋煮会」。うわあ、町内会感がすごい。みんな絶対内心めんどくさいと思いながらやってそう。「いかにもいそいそ芋煮会」。目立たないようにゆっくりと始めるんですね。きっと他のみんなはソフトボール大会にでも熱中しているんですね。試合終了次第、すみやかに芋煮会開始ですね。「いかにもいやいや芋煮会」。嫌なんですね。本当は家にいてブログのチェックをしたいんですね。わかります。「いかにもいじいじ芋煮会」。いじけないでください。「いかにもいぼいぼ芋煮会」。いぼいぼなんですか? 芋が? 気持ち悪いです。きっと何かの病気です。

 ドラマに主役と脇役がいるように、言葉にだって主役と脇役があって、それぞれの輝きをみせている。名詞や動詞、形容詞といった華々しい役者に対し、副詞や助詞はどうしたって地味だ。しかしたとえ地味で目立たなくても、言葉という劇場を沸かせる能力は副詞や助詞にもある。「いかにも芋煮会」よりも「いかにもいきいき芋煮会」の方が、読者の想像力を刺激していっそう舞台を華やかにしているのだ。
84_#15-284_#15-184_#15-3
山田航(やまだ・わたる)。
1983年生まれ。歌人集団「かばん」所属。2009年第55回角川短歌賞、第27回現代短歌評論賞を受賞。第1歌集『さよならバグ・チルドレン』で第27回北海道新聞短歌賞、第57回現代歌人協会賞を受賞。同年、第4回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。札幌市在住。

イラスト:タナカ由美