第19回 これもっと伸ばせるんじゃないか病

 短い回文をどんどん伸ばしていくテクニックについて前回書いたのだが、「この回文もっと伸ばせるんじゃないか?」と感じてしまうのは一種の病気で、私はもう完全にこれをこじらせてしまっている。
 ある日、書店でトルストイの文字列を見かけた私は、毎度のごとく「逆読み」を発動した。トルストイを逆に読むと「いとすると」。頭にくっつければ「バイトすると」になるじゃないか。「トルストイ、バイトすると」。あとは前後にくっつけるのだが、ここはストックの「割り切れる回文」から持ってきた。トルストイは大作家なので、「大作家~喝采だ」というストック回文で挟み込む。

  大作家トルストイ、バイトすると喝采だ

 そんなわけで一本完成した。しかし、どうもやっぱり、「もっと長くできないかな?」と思ってしまう。わかっている。これはこれで完成している。これ以上伸ばしても日本語としては破綻してゆく可能性しか感じられない。「回文と気付かれない回文が理想」というかねてからの理念に照らし合わせれば、これ以上伸ばすのは無粋だ。しかしどうしても囚われてしまうのは、この回文の中心文字が「バ」だからだ。
 私は知っている。「バリバリ」という副詞が日本語に存在することを。「バ」が中心に来る回文は必ず「バリバリ」という副詞で修飾するだけで、たいした違和感を増すことなくに確実に三文字伸ばせることを、私は知っているのだ。私の作った回文でこんなのがある。

  何億積もうとバリバリ罵倒も付く女

 これもやはり、「何億積もうと罵倒も付く女」だけで十分に回文になっているのだ。だけれどこの回文の場合「バリバリ」と付けて強調してしまってもそんなに不自然ではないと感じたので、「バリバリ」も付いたかたちを完成形としてみたのだ。
 そしてこういう副詞は何も「バリバリ」だけじゃない。強調の意味になる副詞は他にもたくさんあって、やっぱりたいして違和感を増すことなく確実に三文字の延長を確保してくれるのだ。たとえば「どんどん」「ますます」「延々」「たまたま」「ぐるぐる」「わなわな」など。後半は文脈しだいではちょっと違和感を増してしまうタイプだが。
 有名な古典回文だって、このやり方を導入すればちょっとだけ長くできてしまう。たとえば「昼飯の楽しめる日」であれば、「昼飯のたまたま楽しめる日」とか「昼飯のたびたび楽しめる日」とかにできるわけだ。
 ちなみに「バリバリ」や「たまたま」のようなタイプだと、中心文字が文節の先頭に来るタイプの回文でないと使えない。「バイトすると」も「楽しめる日」も文節の先頭だ。だからたとえば「確かに貸した」のように中心文字(ここでは「に」)が文節の末尾に来るタイプの回文だと使えなくなる。でも、それじゃもう伸ばせないのかというとそんなことはない。「たしかに○○○にかした」の○○○の部分が三文字のミニ回文にさえなればいいわけなのだから、「に」で終わる副詞を持ってくれば「バリバリ」と同じかたちで伸ばせるのだ。たとえば「確かにぷにぷに貸した」とか。意味はわからないけど。
 たった三文字だけであっても、すきあらば回文を伸ばしたい。日本語として破綻するギリギリまで引き伸ばしたい。ちぎれる寸前までゴムを引っ張っていきたい。回文ジャンキーとしてはそういう思いがどうしてもあるのだ。そして正直なことを言えば、できることなら三文字程度の延長じゃ満足したくないのだ。
「バ」からはじまっていて回文っぽい構造を持っているからずっと使ってみたいなと思っていた言葉がある。「馬頭観音(ばとうかんのん)」だ。終わりの「んのん」が回文構造になっているから、「馬頭観音買うとバ」で回文にできる。かねがねそう思っていたのだ。
 当たり前だが、最後のバが余計なので日本語として成立していない。しかし中心文字がバの回文をくっつけてしまえば、その分伸ばせるのではないか。そして今目の前には、バが中心の回文がある。今がチャンスではないか。

  大作家トルストイ、「馬頭観音買う」とバイトすると喝采だ

 あのトルストイが、あの大作家トルストイ様が、「馬頭観音が欲しい」という理由でバイトするのだ。信じられない。いったいいくらで買えるんだ馬頭観音。想像がつかないぞ。でも何にせよ、その意気や良し。頑張れトルストイ!
 うん、わかっている。やっぱり日本語の完成度という点でみたら最初のやつのが一番よかった。さすがに無理があるだろ「馬頭観音買う」は。でも、長くて意味の通る回文はやはりロマンなのだ。インパクトも強くてわかってもらいやすいのだ。だからいつでも私の頭の中では「この回文どうにかして伸ばせねえかなあ」という思いで渦巻いている。そして少しでも長くできるテクニックも、完璧に身に染み付いてしまっている。ひとつ回文ができれば、ちょっとだけ伸ばしたバージョンも同時に二つや三つできている。「大作家トルストイ、バイトすると喝采だ」が完成してから十分も経たないうちに馬頭観音までたどりついている。それだけ日々回文のことばっかり考えてしまっているということもである。
 でも、はっきりと自分でも思う。これは病気だ。
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山田航(やまだ・わたる)。
1983年生まれ。歌人集団「かばん」所属。2009年第55回角川短歌賞、第27回現代短歌評論賞を受賞。第1歌集『さよならバグ・チルドレン』で第27回北海道新聞短歌賞、第57回現代歌人協会賞を受賞。同年、第4回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。アンソロジー『桜前線開架宣言 Born after 1970現代短歌日本代表』(左右社)、第2歌集『水に沈む羊』、エッセイ集『ことばおてだまジャグリング』がある。札幌市在住。

イラスト:オカダユミ